346 魔王との最後の戦いを
真っ赤な猫が駆ける。
前足の爪を伸ばし、そのまま飛びかかるように襲いかかる。だが、その一撃を男は何処からか取り出した剣で受け止める。
受け止めた?
いや、剣だ。
僕はこの剣に見覚えがある。よく知っている。
知っている!
マナの剣だ!
この男が持っていた。分かっていたが、持っていた!
弓に矢を番え、マナを流す。すぐさま放つ。
男にマナを纏った矢が刺さる。
……。
いや、刺さったと思った瞬間、黒いマナに飲まれ、消える。躱しもしない、か。
男は当たり前のように黒いマナを使って防ぐ。
真っ赤な猫が爪を使い、次々と攻撃を放つ。だが、その攻撃は、男が手に持ったマナの剣によって受け流される。そう、受け流されている。
……受け止めない?
もしかすると身に纏っている黒いマナは飛び道具だけを防ぐようなものなのかもしれない。真っ赤な猫の爪に特別な力があるという可能性も、あるにはある! だけど、その可能性は低いだろう。
だって、あれはただの爪だ。
と、その時、こちらに何か小さな点が生まれた。
『飛んで!』
真っ赤な猫に向けて叫ぶ。
『え?』
真っ赤な猫がすぐさま飛ぶ。
瞬間、真っ赤な猫が先ほどまで居た場所に球体が生まれ、その空間がなくなった。そう、無くなった。
少し離れた場所に居る無の女神の方を見る。
そちらではレームと銀のイフリーダが戦っている。その戦いの場には無数の点が浮かんでいた。
そう、点だ。
虚無。
無数の虚無をくぐり抜け、剣と槍で――レームと銀のイフリーダが戦っている。
『!』
銀のイフリーダがレームに虚無が生まれる場所のイメージを送っている。それを参考にしてレームが動く。
虚無。
存在すら消す虚ろなる無。
危険な力だ。
それによって僕は右側にあったはずのものを失った。もう、それが何だったのか分からなくなっている。
何かが存在していた。
その何かという存在すら無に消えている。
危険だ。
『そちらは大丈夫ですか?』
『!』
『大丈夫なのじゃ!』
マナの声すら出せないレームと必死に叫ぶ銀のイフリーダ。近くで戦っているからか、その余波がこちらまで来てしまっている。いや、無の女神はこの二人を相手にしながら、こちらにちょっかいをかけるくらいの余裕があるということだろうか。
やはりというか、予想していた通りというか――危険なのは魔王よりも、この無の女神だ。
『ローラ、僕も気を付けるから、気を付けながら、攻撃して』
『もう! なんて危険なの!』
真っ赤な猫が叫びながら爪を振るう。
男が剣を振るい、その迫る爪をひょいひょいと受け流していく。確かに、この男は強いだろう。だが、化け物じみた強さは感じない。
黒いマナの扱いは手慣れているようだが、それだけだ。
剣の技だってレームと同じくらいだろう。もちろんレームを馬鹿にしている訳じゃない。レームの剣の技量は、この世界で最高峰と言えるくらいだと思っている。だけど、それはどうやっても常識の範囲内だ。
カノンさんやセツさんのような常識外の強さじゃない。
この男は戦士じゃない。
戦うことを一番としているヤツじゃない!
『時間を稼いでください』
『もう!』
真っ赤な猫は爪を繰り出す。真っ赤な猫は、時折、間をずらし、攻撃をたたき込む隙をうかがっている。
『何をこっそりと会話をしている』
頭の中に声が響く。男のマナの声!
『お前も!』
『当然だろう』
読まれている。
この男はマナの声が聞こえている。いや、相手には無の女神が居るんだ。そんなことは分かっていたことだ。
忘れていない。
弓を引き絞る。そこに矢はない。
ただ、何もない弓を引く。
「何をしている」
真っ赤な猫の攻撃を受け流しながら、男がこちらを見ている。ただ、見ている。
分からないだろう。
そうだ、分からないものは何かが来ると分かっていても避けられないものだ。
これは必ず当たる。
そう、当たる!
放つ。
飛ぶ。
何も無いはずなのに、いや、だが、それは確かに存在している。
次の瞬間、男の体を、肩を、矢が貫いた。
いや、矢が貫いたという結果が生まれた。
黒いマナ。
創造の力。
これはこれで恐ろしい力だ。
全てを書き換え、結果を創る。回避が出来ない。
男の肩には存在しなかったはずの矢が生まれ、矢が刺さるという結果が創られている。
確かに男は黒いマナで、こちらの攻撃を防いでいた。しかし、それすらも創られた結果によって上書きされてしまった。こちらの書き換えが弱かったのか致命傷を与えることは出来なかったが、攻撃を通すことは出来た。
これなら通じる!
……だが、代償も大きい。
マナが、自分の体が、維持出来ない。どろどろとぐにゃぐにゃと溶けていく。維持出来ない。黒いマナに意識が飲まれる。自分が自分でなくなるような感覚。
連発は出来ない。
次にもう一度、同じことをやれば、自分という存在が消えてしまいそうだ。
この魔王の宮殿に入る時は大丈夫だった――はずなのに。
何故?
何が違う?
……。
と、そこで気付く。
銀のイフリーダ!
あの時は、僕は銀の右手があった。
自分の右側を見る。ドロドロに溶け、何も無い。そこには何も無い。
今はない。
黒いマナを抑えてくれる存在。
……。
銀のイフリーダが、銀の右手があれば、この男には勝てる。とどめを刺すことが出来る。だが、今、銀のイフリーダは無の女神を抑えている。抑えてくれている。
銀のイフリーダの力無しで無の女神を抑えることは出来ない。任せる必要がある。
無理だ。
どうする?
「攻撃を通すとは……驚かせてくれる」
男が肩から矢を引き抜く。黒いマナで創られた結果の矢。
足りない。
どうすれば……?
「お前は危険なようだ」
男がこちらを見る。
強い瞳で見ている。
そう、こちらを見ている。
男が、初めて、僕という存在を見た気がする。
男は、初めて、僕自身を敵として認識した気がする。
そう、この男は、やっと、目の前に居るのが僕という存在だと分かったのだ。
この男は僕を見ている。
……勝つ。
乗り越える!
そして、初めて、僕は僕になる!
……。
だが、その瞬間だった。
男が口から血を吐き出した。
「え?」
瞬間が続く。
穴が――
男の体に無数の穴が開いていく。
纏っていた黒いマナも関係ない。
次々と穴が開き、男の体は穴だらけになっていく。
「やっと隙を見せたのです」
声。
その声にゆっくりと振りかえる。
そこに立っていたのは弓を構えた次の国だった。