339 きっと、待っている
「あなたのお姉さんからの言葉を伝えます。全てが終わったら戻って来るとのことです」
ローラの言葉。伝える言葉。
「そう……」
真っ赤な猫に縋っていた老婆姿のラーラがゆっくりと立ち上がる。そして、そのまま、よろよろとゆりかごのような椅子まで歩き、倒れるように座る。
「待っています」
ラーラはそれだけ言うと優しく微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
そして動かなくなる。
……。
ラーラはもう動かない。
「どうしたのです。戦いはどうなったのです」
次の国がきょろきょろと周囲を見回している。
「帰りましょう。後は魔王を倒すだけです」
「分かったのです?」
次の国はよく分からない様子で首を傾げながらも、そのまま器用に頷いている。
「行きましょう」
『ええ。行きましょう』
『うむ。行くのじゃ』
『ああ、行こう』
「あ、ああ? また移動かよ」
「分かったのです」
戻ろう。
まずは中庭を抜けて、赤竜が待つ場所へ向かおう。
ラーラの眠る、小さな、小さな、小屋を出る。その途中で真っ赤な猫が振りかえる。
『またね、ラーラ』
真っ赤な猫はそれだけ言うと歩き出す。
ラーラは答えない。
ラーラは眠っている。
真っ赤な猫は振りかえらない。
隠された花園を歩く。
……。
「ここにも呼べると思うのです」
花園を歩いている途中で次の国が空を見てそんなことを言った。
呼べる?
もしかして赤竜を?
そういえばここは中庭だ。天井がない。飛んでいこうと思えば、何処にだって飛んでいくことが出来る。
空から赤竜を呼ぶことだって出来るだろう。
でも、だ。
首を横に振る。
「止めましょう。ここに呼べば、花が散ってしまう」
些細なことかもしれない。でも、赤竜が翼をはためかせてここに来れば、その風圧によって花は散ってしまうだろう。この花園を壊す気にはなれなかった。
「分かっていたのです。良い考えだと思うのです」
次の国も、出来るから、ただ提案してみただけだったようだ。
迷路のようになっている中庭を抜け、静かになった城に戻る。
そう、城は静まりかえっている。
人の気配がない。何処にも人の姿が、人が持っているマナが見えない。
まるでラーラが眠ったことに合わせて消えてしまったかのようだ。
城は静かだ。
まさか、この城の騎士たちも黒いマナで創った偽物だったのか? 幻だったのか? いや、しかし……。
そんなことが……?
……。
そうだ。騎士たちには人が持っているマナが見えた。それは決して黒いマナではない――なかった!
……。
創造の力――黒いマナなら、それすら可能にするのだろうか。もしかすると、すでにこの公国は滅んでいて、ラーラが一人で……。
いや、単純に、隠された花園に僕たちが入った時点で、この城からの撤退命令が出ていただけだろう。
隠された花園の小屋で待っていたラーラがどうやって命令を出したのか、という疑問は残るが、その方が、まだ、あり得る話だ。
静かな――元から誰もいなかったかのような城を駆け抜ける。
そして赤竜と合流する。
「ギャウギャウ」
赤竜は暇そうに大あくびをしていた。
「敵が突然消えたのです」
次の国は不思議そうに首を傾げながら、赤竜の首筋に跨がる。
……。
赤竜の周囲に騎士の死体が見えない。ここから先に進ませないために、赤竜は騎士と、騎士たちと戦い続けていた――はずなのに、その死体が見つからない。
赤竜は殺さず――追い払ったのだろうか?
……いや、今は、そんなことはどうでも良い。
皆も次の国の後に続き、赤竜に乗る。
「それで何処に行くのです」
「魔王の宮殿に」
「しかし、あそこには壁があるのです。それを壊すための力を手に入れていないのです」
……。
次の国がこの公国に来た理由は魔王の宮殿に攻め込む力を手に入れるためだった。
忘れていなかったようだ。
でも、だ。
「大丈夫です。その力ならすでに手に入れています」
そうだ。
それはすでに持っていた。
すでに手に入れていた。
すでに持っていたのに、ここまで来てしまった。
とてもとても遠回りだった。
でも、だ。
セツとの戦い。そこで黒いマナの存在を知ることが出来た。
ラーラとの戦い。勝つだけなら、銀のイフリーダが虚無の力を使えば一瞬だったはずだ。でも、真っ赤な猫の力を――ラーラの姉であるローラの力を借りることで黒いマナがどういったものかを知ることが出来た。
全てが繋がっている。
無駄は無かった。
全てはきっと、このためだったんだ。
赤竜が翼を広げ、空へと飛び立つ。
魔王の宮殿。
そこで魔王となったアイロが待っている。
そこで魔王の四魔将となったスコルが待っている。
そこで銀のイフリーダの本体だった無の女神インフィーディアが待っている。
待っている。