320 白イフリーダむ
「レーメリア叔父様、お願いがあります」
女が何か言っている。
『それでこれからどうするんです?』
『あ、ああ。当初の予定通り、このまま公国に向かえば良いと思う』
レームはすがりつく女を何処までも無視するようだ。
「あなたの力が必要なのです」
女はまだ何か言っている。
『レーム、それで、この女はレームの知り合いなの?』
『ああ、ソラも知っているはずだ』
自分が知っている?
……。
覚えがない。
多分、その程度の存在だったのだろう。
「今、国は大変なことになっています!」
女はまだまだ何か言っている。
『無視していいの?』
『とりあえずは、な』
レームは女を無視してあらぬ方を見ている。
「今こそ、レーメリア叔父様のお力が必要なのです」
女はこちらを無視してレームに話しかけている。
『レーム、いいの?』
僕もレームが見ている方を見る。
『ソラ、分かるだろう?』
レームが見ているもの――それは魔物に襲われ亡くなった従者と馬だった。従者のその顔は、苦痛によるものなのか、大きく目を見開いている。
……。
レームは従者の死体に近寄り、その見開かれた目を閉じる。
「レーメリア叔父様、そのようなもののことよりも大切なことがあるのです」
女は何か言っている。
……もの、か。
『ソラ、これが公国だ』
レームは睨むような顔で女を見ている。
『昔はこれでもまだまともだったんだがな。それでもすぐに染まる』
レームは肩を竦め、大きく息を吐き出している。
「聞いているのですか」
女の言葉は続く。
レームは女の言葉を無視し、その体を無理矢理持ち上げる。
「な、何をするのですか!」
そして、そのまま荷物のように持ち運び、暴れ馬の上にのせる。
『暴れ馬、すまないが、これを運んでくれ』
レームは暴れ馬の首筋を優しく撫でている。女はこれ扱いだ。己の従者をもの扱いしたのだから、『これ』扱いで充分だろう。
『ソラ、すまない。待たせたな。行こうか』
暴れ馬の背に乗せられた女を見る。
『いいの?』
『ああ。いくら、このようなのでも、さすがに、このままここに放置するのは、な』
『このようなのは、ここに放置すれば良いのじゃ』
銀のイフリーダは良いことを言っている。それを聞いたレームは苦笑していた。
『ちょっと!』
会話に混ざってきた真っ赤な猫は眉間にしわを寄せている。
『どうしたの?』
まさか、これを擁護するというのだろうか。
『この国にだって良い人は居るんだから! 全てが全てこうだと思って欲しくない!』
レームと顔を見合わせる。
『分かってます』
『ああ、その通りだな』
真っ赤な猫の側には良い人が居たのだろう。まともな人も居たのだろう。でなければ、獣人が迫害される国で、獣人だった真っ赤な猫がまっすぐに育つはずがない。
……いや、まっすぐだっただろうか。微妙なところだ。
『ちょっと! 何か変なことを考えてない?』
微妙だよね。
何かを叫び続けている女を無視して旅を続けることにする。
『公国に着いたら捨てましょう』
レームに同意を求める。
『ああ、それでいいよ』
レームは何処か諦めたような表情だ。
女はしきりに何かを言っている。こんな魔獣だらけの中を馬車で走っていたのだ。何らかの、そうしなければ駄目なだけの理由があるのだろう。
だが、それは僕たちには関係ない。
それが、この女には分からないのだろう。
もうすぐ公国だ。
『公国は、この湖の先だ』
レームの案内で進む。
暴れ馬の背には女が乗っている。そのためレームは歩きだ。この女を拾ったのが公国の近くで良かったと思うべきなのだろうか。
湖を抜ける。
そして、見えてくる。
『ここが公国ですか?』
そこにあったのは一面、白銀の世界だった。
大地が白銀に覆われている。
真っ白で、銀色で……。
『あ、ああ。い、いや、何だ、これは?』
『そうよ! 何で、こんなことに!』
レームと真っ赤な猫が驚きの声を上げている。
「お、おい! これはどういうことだ?」
フードのサザも驚きの声を上げていた。サザも公国には来たことがある。その三人が、三人とも驚きの声を上げている。
氷に閉ざされていた、あの城のように、全てが白銀だ。
氷の世界。
雪の世界。
三人の反応から理解する。どうやら、以前からこうだった訳じゃないようだ。
これは異常事態。
この国で何が起こっている?
何かが起こっている?
……。
雪、氷。
……?
いや、おかしい。
辺り一面が雪と氷に包まれているのに、新しく雪が降っていない。そういえば、逃げていた馬車に雪は積もっていなかった。
天候?
空は晴れ渡っている。それほど寒くないはずだ。
なのに雪は溶けていない。溶け始めてすらいない。
おかしい。
どういうことだ?
僕が見えているものと、実際に見えているものが違うのだろうか?
マナは氷のように見える。だけど、実際は違うのだろうか?
分からない。
まるで何かの力で全てが氷に作り替えられたかのような、そんな景色に見える。
まさか、公国はすでに滅んでいた?
人の気配がない。
暴れ馬の上にある女を見る。この女だけが逃げ延びることが出来た?
おかしい。
これが、この現状が、セツの言っていたことなのだろうか?