311 セツなる願いを
歓声が消える。うるさいほど叫んでいた獣人たちの声が消えている。聞こえるのは獣王の泣き叫ぶ声だけだ。
フードのサザが動く。
無言で崩れ落ち泣き叫んでいる獣王の元へと歩いていく。
何をするつもりなのだろうと見ていると、サザは、その懐から小さな金槌を取り出していた。
まさか?
そして、こちらが止めるよりも速くそれを――小さな金槌を振り抜く。
……。
……。
転がる。
からんころんと音を立てて転がる。
見れば獣王の頭の上にあった王冠が消えていた。
「な、何をするぅぅ!」
獣王が王冠のなくなった頭に手を置き、叫ぶ。
フードのサザはそれを無視して転がった王冠の元へと歩く。そして、その王冠を小さな金槌で叩き潰した。何度も、何度も、王冠の原形がなくなるほど念入りに叩き潰す。
「何をするだと?」
フードのサザが獣王を見る。
「国を捨てたことは許そう。逃げたことは許そう。見捨てたことは許そう。お前たちが勝手に生きていくのは許そう。だが! 王だと! 捨てた者が王を語り、力を使い、この場を使い、後継を名乗り、そして姉さまの名を呼ぶ! 許せるものか!」
フードのサザが叫ぶ。
だが、獣王はフードのサザの言葉が分からないのか、その叫ぶサザの姿を呆然とみていた。
「ああ。言葉が分からないのか。それこそが紛いものの証だな」
フードのサザが吐き捨てるように告げる。
「な、何を言っている……?」
獣王はフードのサザの雰囲気に飲まれ困惑している。
仕方ない。通訳しよう。
「か、彼女は、あなたを、偽りだと、偽物だと告げている」
「な、何だと! ヒトシュごときが私を! 不敬な!」
崩れ落ちていた獣王が怒りに叫び、立ち上がる。
フードのサザが――その、自身のフードへと手をかける。
「不敬なのはお前だ」
そして、フードを取る。そこにあるのは片方しかない獣耳だ。残っているのは一つだけだが、それでもサザが獣耳を持った種族だと分かる証だ。
「な、何……。その耳、いや、その姿……」
獣王が、何かに気付いたかのように、よろよろと後退る。
「亡霊、手伝って貰っていいか? ここを鎮める。地上に立派な街があるんだ。ここは、こいつらに不要だ」
フードを取ったサザがこちらを見る。
「わ、分かった。手伝うよ」
「助かる。場所は分かっている。ここも同じはずだから、さ」
サザが動く。
「おっと、サザの姉さんよ、それは待って欲しいぜ」
と、そこに声がかかる。
聞いたことのある……声だ。
「うちらにも都合があるからさ」
声が空から降ってくる。
空を見る。
そこに居たのは鳥の頭と腕の代わりに翼を持った種族――ヨクシュたちだった。次々とヨクシュが広場に降り立つ。
先頭に立つのは棍を持った女性のヨクシュ……。
それは紛れもなくヨクシュのセツだった。
「ま、魔王軍だああぁぁぁ!」
と、そこで静かになっていた獣人たちが叫び声を上げる。今にも慌てて逃げ出しそうだ。
「おおっと、動くなよ! 逃げるなよ! 動いても逃げても容赦しないぜ」
セツが叫び、手に持っていた棍を突きつける。
外周に居た獣人たちの動きが止まる。怯え、下を向き震えている。
現れた十人ほどのヨクシュが頭を下げ、伏せている。立っているのはセツだけだ。セツを上位者として他のヨクシュが控えている。
「は、話が違う!」
獣王の声――いつの間にか獣王がセツさんのところに居る。
「うっせーんだぜ。何言っているか分かんないし、邪魔だぜ」
サザがすり寄ってきた獣王を振り払う。強い力で振り払われ、獣王は情けなくおろおろとするばかりだ。最初の威厳なんて何処にもなくなっている。
「んで! 話しは戻るぜ。サザの姉さんよ、ちょーっと待って欲しいんだぜ」
「もう放っておいてくれ。もう関係ない」
サザが首を横に振る。
「その耳、酷い有様だよなぁ。魔王様なら、その耳も治すことが出来ると思うんだぜ」
「ふん。これは自戒だ」
サザがセツを無視して歩く。
「と、ととと、だから待って欲しいんだぜ」
セツが翼をはためかせ、サザの前に回り込む。
「お、お前たち仲間だったのか! やはり魔王の手先だったのか!」
獣王がオロオロと情けなく叫んでいる。
だが、今はそれどころではない。
「な、なんで、ここにいるの?」
セツに声をかける。だが、目の前に立っていた獣王が自分のことと勘違いしたのか、オロオロとした様子のまま、こちらを見る。なんとも情けない姿だ。獣王が自慢していた巨大な両手剣を壊してしまったからか、それともサザが王冠を潰したからか――人は縋るものがなくなると、こんなにも情けなくなってしまうのか。
いや、だから、今は獣王のことはどうでもいい。
「な、なんで、ここにいるの?」
セツに話しかける。
「何だ、お前? その姿、爛れ人か? 何でこんな場所に爛れ人がいるんだぜ?」
セツの言葉に首を横に振って応える。僕は爛れ人ではない。
「あーんー? よく分からないヤツだぜ」
「そうだ。何故、お前がここにいる?」
サザがセツを見る。
「ここにいる理由? 欲しいものがあるからに決まってるぜ。たまたま、欲しいものがここにあって、たまたま、ここに来たら欲しいものが手に入る。これも、うちの日頃の行いが良いからだぜ」
セツが笑う。
違う、聞きたいのはそれじゃない。
セツがここにいる理由じゃない。
セツが何故、ここにいるか、だ。
気配がなかった。
ここに来るまでの何処にも、獣王と戦っている時にも、セツたちヨクシュの気配はなかった。
気配を消していた?
そんなにも長い間気配を消せるものか。気配を消したまま移動できるものか。
だから、こそ、不思議に思う。
何故、ここにいる?
どうやって?