308 愚かな賢しさ
馬車が城の中を進む。
……人の姿が見えない。途中、宿で人の姿は見かけた。だが、それだけだ。他に人の姿を見ない。宿の人も必要最小限というか、必要だから仕方なく残っているという感じだった。地上にあった建物と同じだ。
獣人は数が少ないのだろうか?
これだけ大きな国なのに、とても寂しく感じてしまう。
そして馬車が開けた場所に――城内にある大きな広場へと出る。
その瞬間、周囲から大きな歓声が沸き起こった。
馬車に取り付けられた小さな窓から外を見る。
円形に作られた広場の外周は一段高くなっており、そこに多くの獣耳の獣人の姿があった。獣人たちが手を振り、大きな声で叫んでいる。楽しそうに叫んでいる。
何だろう。
ここが目的地のようだ。騎士の一人が馬車の扉を開ける。
「降りるんだ」
皆で馬車から降りる。
広場だ。
そして、その広場の奥、一段高くなった外周でも、さらに一段高くなった場所に豪華な椅子に座った獣人がいた。周囲の獣耳を持った獣人よりも体が一回り大きい。
その獣人が立ち上がる。
頭には王冠、背には何かの鱗で作られた外套。身なりも違っている。
「新たな挑戦者だ!」
立ち上がった大柄で偉そうな獣人が叫ぶ。良く通る声をしている。その偉そうな獣人が立っている場所からこちらまで、結構な距離があるはずなのに声がしっかりと聞こえる。
「あれは……」
フードのサザが舌打ちでもしてそうな声で呟く。
「ど、どうした?」
「見覚えがあると思ったんだよ。ちっ」
実際に舌打ちしていた。
こちらがそんなやりとりをしている間も偉そうな獣人の言葉は続いていたようだ。
「……だが、私に挑むには、まだ力が足りないと思わないか!」
偉そうな男の言葉に応えて周囲の獣人が叫び声を上げる。
「この者たちの実力を測るために、強力な魔獣を用意した」
偉そうな獣人が手を振る。
それに合わせて広場に一台の馬車がやって来た。こちらの馬車と同じように四つ足のトサカを持った蜥蜴が車輪のある四角い箱を運んでいる。だが、こちらと違うのは、その四角い箱は壁がなく、柱しかない。
……檻だ。
中には嫌な唸り声を立てている大きな黒毛の猫姿の魔獣が詰まっていた。その大きさは真っ赤な猫の倍以上だ。スコルよりも大きい。
巨大な黒毛の猫は鋭い爪で柱を何度も切りつけ、鋭い牙で噛みついている。
『闘技場、か』
レームが呟いている。
『ええ、どうやら、あの魔獣と僕たちを戦わせたいみたいですね』
レームが剣の柄に手を置く。
それに頷きを返す。
『僕は、ちょっと、お腹いっぱいで気分が優れないのでレームにお願いしても?』
『ああ。任せてくれ』
『ふーん。それなら私も見てる』
真っ赤な猫が座り込み、丸くなる。そのまま大きな欠伸をしていた。まるで心まで猫になってしまったかのような仕草だ。
『うむ。我も観戦するのじゃ』
銀のイフリーダがニヤニヤと楽しそうに笑っている。その二人の様子を見て、レームは肩を竦めていた。
『もうすぐのようだな』
騎士の一人が向こうの馬車で何かをやっている。すると、パタンと外向きに全ての柱が倒れた。
黒毛の猫が解放された。
解放された黒毛の猫はすぐ近くにいた、その騎士へと襲いかかる。なすすべもなく騎士が黒毛の猫に押し倒される。騎士が慌てて、黒毛の猫を押し返そうとするがかなわない。その喉に黒毛の猫の牙が迫る。
『やれやれ』
レームが駆ける。
あっという間に黒毛の猫の前へ――駆けると同時に剣を抜き放つ。
一閃。
しかし、その一撃を黒毛の猫が飛び退き、躱す。
『今のうちに逃げろ!』
レームが叫ぶ。だが、騎士には伝わらない。
仕方ない。
お腹が重くて動きたくなかったが、仕方ない。
驚きの表情でレームを見ている騎士の元に近寄る。そして、軽く肩を叩く。
「に、逃げて」
「ひっ、い、いつの間に!」
騎士はこちらに振り返って情けない叫び声を上げている。
「い、いいから、逃げて」
もう一度話しかける。
すると騎士は頷き、慌てて立ち上がって逃げ出した。
……。
にしても、だ。
外周の安全な場所でこちらを楽しそうに見ている偉そうな獣人を見る。この大柄の獣人が獣王だろう。
獣王にはこうなることが分かっていたはずだ。捕らえられていた魔獣が近くの騎士を襲うことなんて予想できたはずだ。
分かっててやったとしか思えない。
こちらの視線に気付いたのか獣王がこちらを見る。そして唇の端を持ち上げ、大きく、威嚇するように笑う。
……獣王はあまり良い性格ではないようだ。
やれやれだ。
そんな間もレームと黒毛の猫の戦いは続いていた。レームは二本の剣で黒毛の猫の爪と牙を防いでいるが、その素早さに翻弄され、上手く攻めることが出来ないようだ。
向こうは二本の爪、それに牙。武器は三つだ。それに対してレームは二本の剣だけ。数で負けている。レームの方が不利なようだ。
黒毛の猫が背を向ける。それを好機とみたレームが剣を振るう。だが、その瞬間、黒毛の猫の後ろ足によって、レームは蹴り飛ばされていた。
鎧を着込み、かなりの重量があるはずのレームが吹き飛ぶ。黒毛の猫は力もあるようだ。
レームが地面を転がる。
『うむ。情けないのじゃ』
銀のイフリーダが胸を張り、笑っている。
『うん。ちょっと笑えないよね』
真っ赤な猫は欠伸をしている。
『こちらは必死なんだけどな』
レームが鎧についた埃を軽く叩き落としながら立ち上がる。
『奥の手は?』
『使わない……いや、使えない。友の意思が必要な戦いではない』
レームが剣の一つを鞘に収める。そして残った方の剣を両手で持つ。
両手で持った剣を立て、右手側によせ、構える。
そしてレームが大きく息を吸い込む――いや、実際に吸い込んでいるわけではない。だが、その姿が幻となって見えた。
レームが動きを止め、黒毛の猫を待ち構える。
動かなくなったレームを見て倒す好機だと思ったのか、黒毛の猫が飛びかかる。
レームが構えた剣を振り下ろす。
その一撃を――動きを一瞬にして読んだ黒毛の猫が爪を前に出し、防ぐ。
防ごうとした。
……だが、レームの一撃は止まらない。
防ごうとした爪ごと、黒毛の猫を真っ二つに――両断する。
血しぶきを上げ、黒毛の猫が裂けていく。残るのは黒毛の猫の開きだ。
『剣の性能に助けられたよ』
血まみれのレームがこちらへと振りかえる。
剣の性能だけじゃない。レームの実力があってこそ、だ。
さて、これで前座は倒した。
獣王はどうするのだろうか。