300 しをこえて
「それでは出発!」
鍛冶道具を片付け終えたフードの大柄な女性が歩き出す。慌ててその後を追う。
『ね、ねぇ、ちょっと』
真っ赤な猫がこちらに手を振っている。構って欲しいのだろうか。
『どうしました?』
『この人! ちょっと感じが変わっているけどサザさんじゃない?』
サザ。
確か、亡霊の名前だ。
少し性格が変わっているようにも思うけど……いや、前からこんな感じだったか? 周囲に影響を受けやすい性格をしていたようだから、旅をしている間に色々あったのかもしれない。
『でしょうね』
『なら!』
真っ赤な猫の言いたいことも分かる。
何故、自分がソラであると名乗らないのか、ということだろう。
……。
今のこの姿の自分がソラであると名乗って信じて貰えるだろうか? レームは信じてくれた。この真っ赤な猫もそうだ。リュウシュの戦士の二人も、レームのおかげで信じてくれた。
亡霊はどうだろう?
話せば信じてくれるかもしれない。だけど、僕が、あのソラだと分かれば、この亡霊は逃げ出しそうな気がする。
『このままでいいよ』
だから、このままでいい。
『分かった。あなたの判断に任せる』
真っ赤な猫は一瞬、驚いたような顔をしたが、それを飲み込み、頷いていた。
山を歩く。このフードの女性を助けるために山に広がっている森の中に入ってしまったため、道なき道を進んでいるような状況だ。早く道に戻らないと迷ってしまうかもしれない。
「ところで、お前の名前は?」
フードの女性が歩きながら聞いてくる。
少し考える。
「亡霊、です」
それを聞いた真っ赤な猫が何故か大きく転けそうになっていた。何故だろう。
僕は過去の亡霊だから、これで良いと思うのだ。少しだけ、亡霊が自分のことを亡霊だと名乗っていた気持ちが分かった気がした。
「へぇー。私はサザだ。これでも昔は良いとこのお姫様だったんだぜ」
フードの女性が、とても楽しいことを言ったというように笑っている。
「サザ姫さま?」
「おいおい、信じるなよ」
フードの女性が肩を竦めている。
森を歩く。
魔獣が現れれば、それを殲滅し、その魔獣を素材としてレームの鎧を補強する。レームがどんどん凶悪な見た目になっていく。いや、元が骨なのだから、その骨が見えている姿よりは凶悪ではないのだが、魔獣の素材を使っているからか、とげとげしい威圧するような姿は凶悪としか言えない。言いようがない。
刃の全身鎧だ。骨の鎧だ。骨と刃に包まれた騎士だ。
「と、ところで、フード?」
「ああ。このフードが気になるのかい?」
首を横に振る。普通に呼んだつもりだったのだが、フードの女性は勘違いしたようだ。
「いいぜ。おまえみたいな姿になら、見せてもいいさ」
フードの女性がフードに手をかける。別に見たかったわけじゃないのだが。それに、だ。その下にあるものはすでに知っている。
獣の耳だ。フードでそれを隠しているのだろう。
フードを取る。
そして、その下にあるものを見て、言葉を失う。
……。
そこにあったのは獣の耳だ。
確かに以前に見たものと同じだ。
だが、それが一つしかない。
もう一つの獣の耳が抉り、切り取られ、なくなっている。大きな傷になっている。
「ああ。お前の背の高さだと丸見えだな。こいつはヒトシュの地でやられたのさ。そういうこともあって、この先の国に向かっているのさ」
フードをかぶっていた女性が肩を竦めている。
思わずレームの方を見る。だが、レームは首を横に振る。
『おそらく公国だろう。あそこは獣人への迫害が酷い』
……。
公国に向かわなくて良かったようだ。
……。
かなり公国という国に対しての印象が悪くなった。公国と関わる時は慎重に行動する必要がありそうだ。
「酷い傷だろ? でも、おまえほどじゃないな!」
フードの女性――サザは笑っている。笑い、そしてフードをかぶり直す。
「さ、行こうぜ。ずっと森だ。迷っている気がする」
森を歩く。
魔獣を倒しながら歩いて行く。
にしても、魔獣が多い。あまり強くはないが、それでも禁忌の地に迫るほどの強さだ。
『レーム、ここは前からこんな感じだったの?』
レームは首を横に振る。
『そんな訳ないじゃない!』
真っ赤な猫に聞いてはいないのだが、答えてくれる。
『これほどの数、強さを持った魔獣はいなかったはずだ。もしかすると獣国は大変なことになっているかもしれないな』
『そうか』
どこもかしこも大変なことになっている。
魔王は何をやっているのだろうか。
「おーい、何やってんだよ。早く行くぜ」
サザが呼んでいる。
とりあえず獣国に行ってみるのが早い、か。
さらに森を歩き続けると、やっと道が見えてきた。森を切り拓いて作られた道。山の奥へと続いている。だが、道を行く人がいなくなっているのか、道の上にはうっすらと雑草が生え始めていた。
嫌な予感しかしない。
道を進む。森深い山道を歩く。
そして、視界が開ける。
そこにあったのは山に囲まれた盆地に広がる木造の町並みだった。まだ距離がある。このまま盆地へと道を下っていけばたどり着けるだろう。
建物は壊れていない。中央には大きな広場も見える。その広場の中央には小さな建物があるようだ。通りを歩いている人の姿は見えないが、滅びてはいない。
「み、見えてき、きましたね」
「え? 何処? あんな遠くの小さいのが見えるのかよ!」
サザは見えていなかったようだ。
だが、これでたどり着いた。
獣国だ。
獣国にたどり着いた。