289 灯明回廊
緩やかな下り坂を下へ下へと降りていく。
その先で待っているのは大樹と翼を持った真っ赤な猫の魔獣。かなり大きな魔獣だ。スコルほどではないが――人と同じか、それより少し大きいくらいだろうか。
真っ赤な猫の魔獣。
緩やかな下り坂を進む。
『ふむ。ここが道の終点のようじゃ』
『そうだね。ここが目的地だよ』
辿り着いた。
ここが目的の場所だ。
毒と腐敗に蠢く王――聖者が待っていた場所だ。
無の女神やあいつが聖者のマナを求めていた理由は簡単だ。簡単に予想ができる。迷宮の封印を解くためだ。
真っ赤な猫耳も青髪の少女も聖者の遺産を探していた。聖者の遺産が迷宮の封印を解く鍵になっているのは間違いないだろう。
それを手に入れるのも一つの方法だ。
だが、一番確実なのは、封印を行なった者の力そのものを手に入れることだ。やつらはそれを使って封印を解くつもりなのだろう。
……。
だけど、その力を手に入れているはずなのに、未だに封印を解こうとしていないのはどうしてなのだろうか。
マナ生命体である神と戦うにはまだ力が足りないと思っているのだろうか。
向こうの事情はどうでも良い。
僕の目的も同じだ。迷宮の封印を解くこと。
でも、毒と腐敗に蠢く王のマナはすでに存在しない。聖者が甦ることはないだろう。僕がマナを手に入れることは出来ない。
だけど、僕は知っている。毒と腐敗に蠢く王の最後を見た僕は知っている。
あの時、毒と腐敗に蠢く王は短剣で自分の胸を貫き、その血を毒の海に流したはずだ。そう、本人のマナは残っていなくても、その『血』というマナ情報が残っている。その情報を――魂のコードを読み取れば、何とかなるかもしれない。
一縷の望みを託して、ここまでやって来た。
もしかしたら、という可能性を信じてここまでやって来た。
だけど、そこにあったのは予想外の大樹だった。
坂を下りきる。
こちらに気付いたのか翼を持った真っ赤な猫の魔獣が片目を開ける。そして、こちらを見る。
とても億劫そうな――眠そうな瞳だ。
僕はこのマナを知っている。
真っ赤な猫耳の少女。呪いの海を渡り、聖者の遺産を手に入れて戻り、そのまま命を落とした少女だ。
その時の思いが、そのまま、この場所に焼き付き残ったのだろう。彼女は、どれだけの強い想いを持っていたのだろうか。
真っ赤な魔獣の背にある翼を見る。
そう、翼だ。
自分の背にも翼があるから分かる。それは、空への、自由への象徴だ。
僕は新しい命を手に入れて自由を得た。いや、あいつを倒して、自分の心が救われるまでは本当の自由になることはないけれど――それでも自由だ。
あの真っ赤な猫耳の少女も自由が欲しかったのだろうか。
「ぼ、ぼくだよ」
話しかける。
だが、真っ赤な猫の魔獣から反応が返ってくることはない。
それも当然だろう。僕と真っ赤な猫耳の少女は、少しの間、一緒に旅をしただけだ。何か心の繋がりがあったワケじゃない。
心まで完全に魔獣になってしまった、この少女に、僕の言葉は届かない。
もし、ここに居るのが、僕ではなく、青髪の少女だったなら――この真っ赤な猫耳の少女の妹だった青髪の少女だったなら届いたかもしれない。
届かない!
……。
僕が欲しいものは、この真っ赤な猫の魔獣の後ろにある。もしかしたら、大樹に聖者の魂の情報が残っているかもしれない。
僕はそれを手に入れないと駄目だ。
それが必要なんだ。
近寄る。
こちらの動きに合わせて真っ赤な猫の魔獣が立ち上がる。まるで大樹を守るかのように立ち塞がる。
……。
聖者の遺産を手に入れようとしていた時の想いが残っているのかもしれない。それが、この大樹を守るものだと認識させているのかもしれない。
近寄る。
歩いて行く。
「た、たたかうつもりはない。退いてくれない、か」
歩く。
真っ赤な猫の魔獣が前足を持ち上げる。そして、そのまま薙ぎ払う。
強い衝撃を受け、吹き飛ばされる。
『何をやっているのじゃ! おぬしなら躱せる一撃だったはずなのじゃ!』
銀のイフリーダが叫ぶ。
『大丈夫だよ。敵意がないことを分かって貰うためだから』
真っ赤な猫の魔獣は、ふしゅぅふしゅぅと荒い息を吐き出しながらこちらを見ている。
「戦う、つもり、は、ない。ぼ、僕に勝てないよ」
歩く。
近寄る。
歩いて行く。
同じように真っ赤な猫の魔獣が前足を持ち上げる。
次には強い衝撃を受け、僕の体が宙を舞っていた。なかなか重たい一撃だ。
空中で翼を広げ、ゆっくりと着地する。
どうやってマナを手に入れたのか、なかなか強い。とても強大な魔獣に生まれ変わっている。
だけど、それだけだ。
カノンさんのように技があるわけでもなく、ただ力任せに攻撃してくるような相手に負けることはない。
『何故、戦わぬのじゃ』
『戦いにならないからだよ』
近寄る。
歩いて行く。
敵意はない。
僕は、一度、ここで彼女に助けて貰っている。彼女のおかげで最後の強大なマナを手に入れることが出来た。それはとても大きな恩だ。
ならば、今度は僕が助ける番だ。
恩を返す時だ。




