286 散在流星
周囲を警戒しながら海草の森を歩く。
この場所は海草の生えている陸地部分と川のようになって流れている毒の沼地部分に分かれている。以前と同じだ。海草の森を歩いて行けば、この谷の奥にたどり着けるだろう。
海草の森の奥……。
そこで川になっている毒の沼地部分を見る。今なら毒の沼地を越えて、その先に何があるかを調べることも出来るだろう。
調べることが出来る。
何かが流れ着いているかもしれない。
『ふむ。マナが清められ、なかなかに快適で楽しい場所のようじゃ』
そこに銀のイフリーダの声が響く。銀のイフリーダは本当に楽しそうだ。心の底から快適だと思っているようだ。
……。
あれ?
『イフリーダ、以前はもう少し違うことを言っていなかった? 不快だとか、なんとか……』
銀のイフリーダが腕を組み、首を傾げる。
『我が? そもそも、この場に来たのは初めてなのじゃ。ふむ。我の失われた記憶に関係することかもしれぬのじゃ』
今の銀のイフリーダは記憶を失っている。
前回は不快だと言っていた。今回は快適だと言っている。その違いは何だろうか?
何が違っている?
記憶を失っているから――だから反応が違う?
僕には以前も今も変わっていないようにしか感じられない。
『もしかすると、なのじゃ』
銀のイフリーダがぽつりと呟く。
『どうしたの?』
『ここはマナが綺麗すぎるのじゃ。そして、それが壁となっているのじゃ』
『どういうこと?』
『もし、もし、なのじゃ。主従のような、何らかのマナの繋がりがあったとして、そのものと、この壁で隔たれてしまえば、繋がりが消え孤立して不安になるかもしれないのじゃ。まぁ、我はそのような心細いなどという弱き感情は克服済みなのであり得ない話なのじゃ』
とても早口だ。
こちらに聞かせたいというよりも言ってしまって、言葉にしてしまって納得したいだけに思える。
『そ、そうなんだ』
『そうなのじゃ』
銀のイフリーダは胸を張っている。
……分からない。
とりあえず奥に進もう。目的の場所までは後少しだ。
改めて毒の沼地を見る。この沼地を探索するのは止めよう。探索が目的ではない。冒険心を満たすのは全てが終わってからだ。目的をはき違えてはいけない。
海草の森を進む。
途中、毒の沼地の中に巨大な殻を持った虫がもぞもぞと蠢いているのを見つけた。まるで四つん這いになった熊のような姿をしているその虫だが、動きは鈍いようだ。殆ど動いていない。敵意も感じない。
『あれはなかなか大量のマナを蓄えてそうだね』
『ふむ。確かに、なのじゃ。喰らえば、なかなかのマナが得られそうなのじゃ』
銀のイフリーダはやる気のようだ。だけど首を横に振る。
『襲いかかってきたら喰らうけど、今はそこまでする必要を感じないよ』
マナはいくらでも欲しい。力を得る必要はある。だけど、戦うにもマナは必要だ。どれだけの強さか分からない相手に戦いを挑んで、戦う前よりも消耗してしまっては意味が無い。
これはマナ生命体になった欠点かもしれない。
マナの消費……。
そうだ。今、戦う必要は無い。
海草の森を進む。
しばらくするといくつかのマナの反応を感じた。マナの反応は弱い。それほど強い魔獣ではないだろう。
そのまま進む。
やがて、相手が見えてきた。
お腹が異常に膨らみ、顔が、中の骨が見えるほど爛れ、それを隠すために鳥の嘴のようなマスクを身につけた魔獣――爛れ人だ。
その風貌は以前と変わらない。だが、以前と違うところがあった。身につけているものだ。
以前はただ木を削っただけのような槍を持ち、腰蓑を身につけているだけだった。だが、今は金属の槍と鎧を身につけている。
明らかに装備品の性能が上がっている。
数が多ければ油断できないかもしれない。以前も複数を相手にした時は苦戦した。
……。
首を横に振る。
違う。油断? そんなことで立ち止まってどうするんだ。
蹂躙しよう。
この程度で躓くなら、先に進むことは出来ない。
武装した爛れ人の集団の前へと飛び出す。
爛れ人がこちらに気付き、驚きの声を上げる。それは言葉ではなく、ただの耳障りな音にしか聞こえない。
この爛れ人に知能があるとは思えない。だが、一応、警告だけはする。マナの消耗を避けられるなら、それが一番だ。
「む、向かってくるなら、た、倒す」
……。
爛れ人たちはよく分からないという様子でキョロキョロと周囲を見回している。
おかしい。
襲いかかってくる様子がない。
もう一度、警告をしよう。
今度はヒトシュの言葉だ。
「む、向かってくるなら、倒す」
……。
爛れ人たちの反応がおかしい。
こちらへと襲いかかってくる様子は無い。だが、言葉が通じたとも思えない。
どうすれば良いのだろうか。
このまま、この爛れ人の集団を蹂躙するのは簡単だろう。だが、それで良いのだろうか?
こちらがどうしようか迷っていると、爛れ人の集団に動きがあった。
爛れ人の一人が膝を付き、頭を下げた。それに合わせて次々と、爛れ人が膝を付き、頭を下げる。
それは祈りの姿に見えた。
その姿は――何かに縋るように、こちらに助けを求めるように、見えた。
……どういうことだろう?




