268 魔王
「あり、ありがとう」
小さく頭を下げ、お礼を言う。
「気にするな」
ボロ布の男が照れ隠しのように干物のような手を振っている。
そこで立ち上がる。
「もう、いく、いくよ」
「お、おう? 何処に行くんだ?」
ボロ布の男がこちらを見ている。
「れーむ、あいにいく」
「レーム? ああ、三番目の王子か。もう死んでいると思うが……」
「へいげん、みにいく」
そうだ。
僕は、結末を――どうなったかを見に行く必要がある。向かうべきは禁域の地の奥だ。だけど、その前に、レームがどうなったかを確認する必要がある。
「そうか。分かったぜ。俺はいつでもここにいるから、何かあったら遠慮なくいつでも来いよ」
頷く。
「わ、わかった。ありが、ありがとう」
「さっきも言ったが、気にするなよ……にしても、あんた、一日で随分と喋れるようになったな」
「そ、そうか? よか、よかった」
もう一度、頷く。
「ああ、そうだぜ。今なら、普通に他の人とも会話出来ると思うぜ」
ボロ布の男が笑う。
それを見て、僕は、もう一度だけ頷き、背を向ける。歩いて行く。
行こう。
無の女神の神殿を後にして廃墟を歩く。
明りを掲げ、薄暗い廃墟を歩く。
『ふむ。どうするのじゃ』
『さっきも言ったけど、まずは平原を目指すよ』
友人に会いに行く。
それだけだ。
都市の廃墟では相変わらず明りを嫌う人型の魔獣が徘徊している。人型の魔獣と言い切ってしまうには抵抗があるけれど、もう、そうとしか言うことが出来ない。
明りをかざす。
歩く。
そして、都市の廃墟を抜ける。
風が吹いている。
風が砂埃を巻き上げ、石畳の道を覆い隠している。こんなにも風が強かっただろうか。
僕の記憶の中では、ここは、あまり風が吹いていない場所だったような気がする。
歩く。
魔獣の姿は見えない。都市の廃墟にしか魔獣はいないようだ。その魔獣も魔王が人を変異させたものだ。元から生息していた魔獣ではない。
歩く。
歩きながら考える。
魔王ソラ。
僕の名前を騙っているけれど、それは間違いなくあいつのことだろう。かつての、大昔の石の都で戦っていた男――アイロ。
だが、何故、そのアイロの名前ではなく、僕の名前を騙っているのか。
そして、何故、人と戦っているのか?
目的は神の打倒ではなかったのか?
それなら人と協力した方が良いはずだ。なのに、あえて敵対するような行動を取っている。憎まれるようなことをしている。
魔王なんて呼ばれるくらいだ。とてもじゃないが好かれているとは思えない。
そういえば、あの迷宮の底、闇の中で、あの男と出会った時、少しだけ違和感を覚えた。夢の中で、僕のかつての体の中に眠っていた記憶の中で見たアイロの性格と、出会った時の性格が少しだけ違うように感じた。
まったくの別人と言うほどではないけれど……。
長く生きすぎて性格が変わってしまったのだろうか?
長く……?
そういえば、もう一つ謎がある。
あの男はずっと、あの闇の中で生きていたのか? そこで新しい体を作って、その体に乗り移りながら生きていた?
それなら、何故、今になって地上に出てきたんだ?
逆に、だ。何度も地上に出ていたのなら、過去の歴史にアイロの姿を見ることが出来なかったのはどうしてだろう? それだけ長く生きているなら、もっと国の裏から支配とかをしていてもおかしくないような気がする。
僕が知らないだけで、気付かなかっただけで、本当はそうだった?
でも、この国の王様に会っても、そんな様子は無かった。とても過去にアイロの支配があったとは思えない。
なのに、何故、今になって?
何かの準備が終わったのか?
僕の時と、その時期がたまたまかぶっただけ?
分からない。
謎だ。
『イフリーダ、イフリーダはアイロのことをどれくらい知っているの?』
『ふむ。我は何も知らぬのじゃ』
頭の中に浮かんだ銀のイフリーダは肩を竦めている。
『え?』
『ふむ。おぬしが何故、それを知っているのかも、何故、それを気にするのかも分からないのじゃが、我は何も知らぬのじゃ』
……?
どういうことだろう。
『ふむ。今の我は本体から見捨てられた残骸のようなものなのじゃ。知識はあっても記憶はないのじゃ』
『そうだったの?』
『そうだったのじゃ』
何故か銀のイフリーダは偉そうに胸を張っていた。
『何で得意気なの?』
『そのような状況でも優れた力を持っている我の凄さを理解出来ぬとはおぬしもまだまだなのじゃ』
……。
イフリーダはイフリーダだ。なんというか、なんというか、だ。
歩く。
そんなことを考えながら歩く。
歩き続ける。
そして、視界の先に雲の途切れているのが見えた。暗闇の雲に覆われた闇が終わっている。
この空に広がっていた暗闇の雲は、世界全てを覆い隠していた訳ではなかったようだ。
あの穴を――迷宮を中心として、都市の上部だけを覆っていたようだ。
暗闇が終わる。
歩く。
歩き続ける。
そして、崩れた建物が並ぶ廃墟に辿り着いた。
……。
ここは、暴れ馬を借りた、あの村があった場所だろう。ここも廃墟になっている。
人の気配は……ない。
そう、人の気配はない。
だが。
近くの土が盛り上がる。
そこから真っ白な手が――骨の手が現れる。
人の気配はない。だが、あちこちに魔獣の気配が漂っている。
魔獣が持つ淀んだマナの気配。
僕のマナの気配を感じ取ったのか、周囲の地面から次々と骨が現れる。
骨の魔獣。
ここでも現れたのは、かつては人だった魔獣だ。
どこもかしこもが酷い有様のようだ。
……。
骨と弓は相性が悪い。矢で射るのは難しいだろう。
弓で叩き潰そう。
世界樹の弓を構える。マナの力は込めない。
大地から生まれた骨の魔獣を世界樹の弓で叩き潰す。生まれた側から叩き潰す。丈夫な世界樹製の弓は、今のように棍棒代わりに――乱暴に扱っても壊れない。これがそこら辺にある普通の木製だったら、折れたり、曲がったりして、矢を放つ時に支障をきたしてしまったかもしれない。
だが、世界樹製なら……。
と、そこで木剣のことを思い出した。
……あ。
別に弓の方で叩き潰さなくてもこちらを使えば良かった。
ということで世界樹製の木剣で骨を叩き潰す。
次々と現れる骨の魔獣を叩き潰し、吹き飛ばし、粉々にする。
この魔獣は生者のマナを求めて蠢いている。それは生きていた頃の、人の暖かさを求めてのことだろうか。
叩き潰す。
蘇り、こちらを求めて襲いかかってくる骨を叩き潰す。
……それしか出来ることはない。
無数の骨を壊す。
そして、その骨の奥から、一際、強大な力を感じさせる魔獣が現れた。
それは四つ足の獣だった。
首が長く、鼻息が荒い。
どうやら、ここの主格の魔獣のようだ。誰かに支配された魔獣ではない。野生の魔獣だ。この魔獣は力によって、ここで生き抜いてきたのだろう。
この魔獣は人が変わり果てた魔獣じゃない。
久方ぶりの魔獣らしい魔獣だ。




