267 淀み
「さて、と」
ボロ布の男が立ち上がる。
「う、あ?」
「ああ、何処か行くわけじゃない。食事の用意を、な」
ボロ布の男が火を起こし、何処に隠していたのか紫色の毒々しい肉を焼き始める。
「う?」
周囲には黒い煙が漂っている。今の僕では匂いはよく分からないが、とてもじゃないが美味しそうな匂いがしているとは思えない。
「美味しいかって? まぁ、あまり美味しいものじゃないな。あんたも食べるかい?」
ボロ布の男がこちらの前へと臭そうな肉を持ってくる。
「う、い、いら」
首を横に振る。この体では食事も出来ない。食べ物は不要だ。
「そうか。まぁ、欲しかったら言ってくれ」
ボロ布の男が食事を続ける。だが、どうみても美味しそうではない。
……。
このボロ布の男は、まだ食事を必要としている。まだ人としての部分が残っている。僕とは違う。
「あ、う、ば、ば、ばしょ、ばしょ」
「ん? あんた、ばしょ? 場所か。何の場所だ?」
ボロ布の男は食事を行いながら、こちらの言葉を聞いてくれる。僕はまだ上手く喋ることが出来ない。何とか会話しようとしても、時間をかけて単語、単語を口にするのがやっとだ。だが、そんな拙い言葉でも、ゆっくりと待って、意味を理解しようとしてくれる。
……。
このボロ布の男はとても良い人だ。
本当に良い『人』だ。
地上に出てすぐに彼に出会えたのは僕の一番の幸運かもしれない。
「ば、し、ばしょ、おう、おう、おうじ、たたう、たたう、たたかう、ばしょ」
少し長く喋ることが出来た。うん、どんどん喋って、もっと、もっと会話が出来るようになろう。
「ああ、そうか。あんたは三番目の王子が魔王と戦った場所を知りたいのか」
「そ、そう。そう」
何度も頷く。
「禁域の地は分かるか?」
力強く頷く。
「わ、わかる」
「その禁域の地の近くに大きな平原があるのは知っているか?」
平原?
それはちょっと分からない。村があったのは知っているが、禁域の地の入り口付近は森しかなかったように思う。でも、平原と言うくらいだから、広い場所なのだろう。近くを探せばすぐに見つかりそうだ。
「まぁ、行けばすぐ分かるさ。今は、特に、な」
なるほど。
にしても、だ。禁域の地の近く、というのは良かった。僕の目的地は禁域の地の奥にある。好都合だ。
「さて、と。俺はそろそろ休むぜ。あんたも適当に休んでくれよ」
食事を終えて眠くなってきたのか、ボロ布の男が横になる。そして、そのまま眠り始めた。
……。
行動が早い。それだけ生きることに一生懸命で余裕がないのかもしれない。
僕も目を閉じる。
眠ることは出来ない。眠る必要もない。
『イフリーダ、どう思う?』
『何が、なのじゃ』
銀のイフリーダからすぐに返事がくる。しばらく眠ると言っていた割には眠っている様子が無い。
『この人の話だよ。魔王は何の目的で人を魔獣に変えているんだろう』
そうだ。その目的が分からない。
魔王ソラが僕の予想通り、あいつなら、そんなことをする必要はないはずだ。人の反感を買うだけだ。
分からない。
『ふむ。我にも分からないのじゃ。ただのお遊びにしか思えぬのじゃ』
分からない。
何故だ?
うーん。
「うううぅうう」
と、そこで眠っていたはずのボロ布の男がうめき声を上げ始めた。
どうしたんだろう?
「痛い、痛い、痛い」
ボロ布の男は眠っているようだ。眠りながら「痛い、痛い」と呻き声を――悲鳴を上げている。
……?
何故?
ボロ布の男は眠っている。何故、こんな状況で目が覚めないんだ?
異常だ。
「痛い、痛い、あががががが」
ボロ布の男は体を抱え込み、震えている。だが、それでも目覚める様子が無い。
おかしい。
そして、異常に気付く。
このボロ布の男の中のマナの流れが淀み滞っている。体の途中で、しこりのように膨れ上がっている。
マナが体内で上手く循環できず、たまっていることで痛みを感じている?
もしかして魔獣化もこれが原因?
……。
「痛い、痛い、うががぁぁ」
ボロ布の男は叫び続けている。
……。
ボロ布の男に手を添える。
ボロ布の男の中に流れるマナの動きを見て、淀みたまっている部分の流れを戻していく。
悲鳴を上げていたボロ布の男の顔が安らかなものに変わっていく。
悲鳴や苦痛のうめきが消え、安らかな寝息へと変わっていく。
……。
僕は勘違いしていた?
魔王がやろうとしていたのは人の魔獣化ではない?
もしかして、何かの実験の副産物で魔獣化してしまった?
一体、何をやろうとしているんだ?
分かりそうで、分からない。
……。
そして、翌朝。
ボロ布の男が目を覚ます。
「あ、あひぃっ!」
そして、こちらを見て驚きの声を上げる。
「ど、どした?」
「い、いや、悪い。目の前にあんたの顔があったから、す、少し、驚いたんだ」
「そ、そうか」
ボロ布の男が胸をなで下ろしている。そして、何かに気付いたのか、首を傾げている。
「どした?」
「いや、何だろう。今日の朝は凄く気分が良いんだ。久しぶりによく眠れた気がする」
「そか、よかった」
ボロ布の男が、眼球のむき出しになった不気味な顔で歯を剥き出しにして笑う。
不気味だけれど、とても良い笑顔だ。
「ああ。よく分からないけど、あんたにお礼を言っておくよ。よく眠れたのはあんたが来てくれたからかもしれない」
だから、こちらも笑う。笑い返す。
すると、何故か、ボロ布の男は顔をしかめた。
「いや、あんた。あー、こういうのも何だが、その顔は、あー、うん。俺は良いけどよ、人の居る場所に行くなら、俺みたいにフードを深くかぶるか、仮面でもした方が良いと思うぜ」
……。
そう、か。
どうやら、僕の顔は随分と酷いもののようだ。
自分の顔を見ることがないから気付かなかった。
……。
これから、人の住む場所に行くなら、何か仮面を、か。考えておこう。




