265 神殿
結界の壁を叩いていた手を止める。
これ以上は無駄だ。壊すことは出来ない。
「あんた、大丈夫か?」
ボロ布の男がこちらに声をかけてくる。
「あ、う」
振り返り、頷く。
「そ、そうか。ここは危ないから、少しは安全な場所に案内するぜ」
フードを深くかぶったボロ布の男が手招きする。その手は干物のようにからからに乾いていた。
「あ、う、わか、わか、あ」
もう一度、頷く。
ボロ布の男が折れ曲がった背のまま歩く。意外と早い。カサカサと器用に歩いて行く。
追いかける。
ボロ布の男は廃墟を抜け、その先にある坂を登っていく。
坂の先は……やはり廃墟だった。だが、その場所には見覚えがある。
そこは神殿街と呼ばれていた場所だ。僕の記憶の中では大きな神殿が沢山並んでいた場所だ。
周囲を見回す。
「ああ、あんた、気になるのか。酷いものだろう」
そこには崩れた神殿の残骸しかなかった。何か大きな力によって破壊し尽くされている。
「あの魔王ソラが壊していったのさ」
ソラ?
「あ、う、そら」
自分を指差す。
「いや、あんたのことじゃないからな。いや、あんたもソラって言うのか。だからって……いや、まぁ、それは後にするか、こっちだ」
ボロ布の男は崩れ滅び去った神殿街を――廃墟を抜ける。そして、そこにあったのは未だ原形を残した神殿だった。
古びているし、一部、壊れている。だが、それは先ほどのような力による破壊じゃない。年月による崩壊だ。何故か、その神殿だけが壊されず形が残っている。
……?
神殿街を抜けた先にある神殿?
僕はそれを知っている。
そうだ。
無の女神の神殿だ。
なるほど、そういうことか。神にマナの力を送らせないために神の分体が祀られている神殿を全て壊したのか。自分の味方である無の女神の神殿だけは残したのか。
『イフリーダ、ここを使っても大丈夫だと思う?』
『ふむ。おぬしが何を気にしているのか分からぬが、ここにあるのはマナを送る抜け殻のみなのじゃ。おぬしの存在を、もちろん我の存在も気取られることはないのじゃ』
大丈夫なようだ。
安心して胸をなで下ろす。
「おい、あんた、この中だ。ここなら安心して身を隠せる」
ボロ布の男が無の神殿の前で手招きしている。
……追いかけよう。
ボロ布の男の後を追いかけ、無の女神の神殿の中に入る。
中は以前と変わらない。ところどころに修理されず崩れた柱が残っているのも一緒だ。崩れていると言っても外にあった神殿ほど酷くはない。充分、住むことは出来る。
「ここなら安全だ」
ボロ布の男があぐらを掻いて座る。
そこは壊れた無の女神の神像があった部屋だ。今も、その残骸はあるようだ。足の部分だけが残っている。祈ればマナを奉納することも出来るだろう。もちろん、やらないが。
「改めて自己紹介するぜ。俺はグレッグだ。あんたは?」
僕も座る。
「あ、そら。そら」
自分を指差す。
「そうか、そうだったな。あんたはあの魔王と同じ名前か。だが、同じ名前だからって、さっきのはいただけないぜ」
「あ、さき、さき、さっき?」
さっき? 何のことだろう。
「ああ。さっきだぜ。あんたは知らないだろうから教えるが、魔獣は、特にあんな魔将なんて呼ばれるような奴らはマナの色で相手を見ているんだよ。だから、名前を騙ろうが、姿を偽ろうが、騙すことは出来ないんだぜ」
マナの色で物事を見る。
それは僕だって知っている。
……。
マナの色。
つまり、今の僕のマナは、あの時と変わってしまっている。別人だ。でも、僕は僕なのに、それを分かって貰えないなんて……。
「あ、う」
頷く。ただ、頷く。
「喋るのが辛いなら無理しなくても大丈夫だぜ」
このボロ布の男は自分に対して妙に親切だ。何故だろう。
いや、それよりも、だ。
今、聞けることを聞いておこう。とにかく情報が欲しい。
「この、この、あ、う、しんで、しんで、しんかん、どこ?」
少しずつだが、喋ることにも慣れてきた。もう少し練習すれば何とかなりそうだ。
「神官のことか?」
「あ、う」
頷く。
「この神殿の神官はいないんじゃないか。最後まで、あの魔王に味方していたようだが、そんなことをしていたからな。あの戦いの最中に……」
「あ? たたた? たたか?」
ボロ布の男が首を傾げる。
「あんた、あの戦いを知らないのか?」
頷く。何度も頷く。
「そうか。もしかすると記憶が……混乱しているのか」
「あ、う。しり、しり、た、しりたい」
ボロ布の男に詰め寄る。知りたい。
僕が死んでいた間に何があったのかを。あの闇の中で戦っていた間に何があったのかを。
「分かった。分かった。落ち着いてくれよ。あんたのその姿で近寄られるとよ、分かっていても怖いからさ。教えるからさ。何が知りたいんだ?」
「すべ、て、そら」
知りたい。
「ああ、魔王ソラのことか? そりゃあ、あんたをそんな姿にしたヤツだからな。知りたいだろうな。あんたは少し記憶が混濁しているようだから、最初から説明するぜ」
教えてくれるようだ。
これで何があったのか分かるかもしれない。
僕の知りたいこと。
あいつが、あの後、何をやったのか。
スコルが何故、あんな風になってしまっているのか。
みんなはどうなったのか。
その答えを……。




