260 士
『しかし、これで終わりなのじゃ』
銀のイフリーダはこちらを見ている。動かない。
こちらを見たまま動かない。
銀のイフリーダの距離は、彼女が飛び退いたことでかなり開いている。弓の間合いだ。もちろん、これくらいの間合いなら銀のイフリーダの槍は届くのだろう。それに剣でも斬撃を飛ばしてくれば届く。油断できる距離じゃない。
だけど銀のイフリーダは動かない。
それならば!
世界樹の弓を構え、矢筒に手を伸ばす。
矢筒から矢を取り……。
取り……?
手を伸ばす。
矢筒があった場所には何も無かった。甲殻魔獣の殻で作った矢筒。それが無くなっている。
どういうことだ?
『ふむ。その弓はなかなかに強き力を持っているのじゃ。じゃが! 他はそうでもないのじゃ』
銀のイフリーダが閉じていた片目を開ける。
さっき銀のイフリーダは何をやった?
神技で僕をバラバラにした。
バラバラ?
足元を見る。
そこには粉々になった矢と矢筒だったものが転がっていた。
まさか!
『まさか、さっきの技はこのために?』
『ふむ。先ほどおぬしが言った、この先は無かったようなのじゃ』
銀のイフリーダが両手を広げる。
……?
何をしている?
空間が揺らいでいる。
暗闇が、闇が……消える。
小さな無数の粒が闇を喰らい、消滅させる。
これは何だ?
危険、危険だ!
『これこそが無の深淵――虚無の神法なのじゃ』
闇を喰らう小さな粒が球体へと姿を変えていく。球体が膨らむ。不味い。
これは不味い。
球体が喰らう。
全てを喰らう。
闇を、転がっていた矢筒も、矢も、全てを喰らい大きく膨らんでいく。
――虚無。
慌てて飛び退く。
間に合うだろうか。
虚無の球体が目の前に迫る。
体が……。
逃げ切れず右手が虚無の球体に飲み込まれる。だが、そこで虚無の球体は収束し消えた。後には何も残らない。
僕の右手も消えている。
そう消えている。
『ふむ。逃げられたのじゃ』
銀のイフリーダがこちらを見ている。そこに躱されたことを焦る様子は無い。
もしかすると銀のイフリーダの狙いはこの神法を見せることだった? それでこちらの意志を折るつもりだろうか?
確かに恐ろしい神法だった。
『右手は消えました。でも、この程度なら』
蓄えたマナを使って再生すれば良い。たいした傷じゃない。
……。
しかし、再生しない。
いつものようにマナを使って体を作ることが出来ない。
『虚無に喰われたものは戻らぬのじゃ。その無くなった腕で弓を扱うことは出来ないのじゃ』
銀のイフリーダが親切にも教えてくれる。
なるほど。そういうことか。
だったら、やることは一つだ。
右腕の付け根部分から外す。肉がずるりと削り落ちる。再生出来ない部分は必要ない。
その部分は不要だ。
右腕という概念が虚無に喰われ再生出来なくなったのだとしても、右腕と同じように使える形の部位を作る。人の手よりは少し太く不格好になってしまったが問題無い。
『これで問題ないです』
ただ、人からは離れてしまった気がする。そこだけは残念だ。
『ふ、ふむ。少しだけ甘く見ていたようなのじゃ』
『そうですね。先ほどの力は恐ろしい力ですが、発動も遅く、マナの消費も多いように見えました。その一撃で僕を倒せなかったのは失敗でしたね』
銀のイフリーダが胸を張り、笑う。大きく笑う。
そして、小さな粒が生まれる。
生まれる。
一つじゃ無い。
次々と小さな粒が生まれていく。これに触れたら不味い。先ほどのように大きな球体では無いが、小さな球体が次々と生まれる。
数が多いっ!
飛び上がる。
『自由に身動きが取れぬ空に逃げたのは失策なのじゃ!』
こちらを追いかけるように小さな粒が生まれる。
翼を広げる。
飛び上がり逃げる。僕には翼がある。空でも自由に動ける!
そして掴む。
世界樹の弓を握り構える。
弦を引き絞っていく。
『矢の無い弓で何をするつもりなのじゃ』
矢が無い?
矢の代わりにマナを溜める。そして放つ。
マナの光が虚無を貫く。虚無がマナを飲み込み、消える。
矢の代わりにマナを溜め、矢のように放つ。次々と放つ。
生まれる無数の虚無を潰していく。
全ての虚無をマナで貫く。これで、ここまで届かない。
そのまま銀のイフリーダへと狙いを定め、マナを放つ。
『無駄なのじゃ!』
銀のイフリーダが手を伸ばす。そして飛んできたマナを手のひらで受け止め、そのまま喰らう。
飛ばしているのはマナの力そのもの。喰われてしまえば、ただ相手に力を与えるだけになってしまう。
これでは駄目だ。
打つ手が無い?
それなら!
世界樹の弓を持ち銀のイフリーダの元へと飛ぶ。そして、そのまま世界樹の弓で殴りかかる。
しかし、その一撃は銀のイフリーダが持っている銀の剣によってあっさりと受け流されてしまう。
当然だ。こんな破れかぶれみたいな攻撃が通用するような銀のイフリーダじゃない。
だから、放つ。
飛ばしたのはただの空気の塊。
銀のイフリーダが衝撃に少しだけよろめく。それで充分だ。
たった一瞬でも――いや、それが生死を分ける。
今なら、僕の一撃を回避することが出来ないはずだ。
僕は手に持った、それに力を込める。
それはさっき上空で手にしたもの。
最初に、この戦いが始まった時に上空に飛ばしていたもの。準備していたもの。
銀のイフリーダとの戦いでは魔獣の角と本棚の木材から作った矢で戦っていた。それだけしかないと思わせていた。
だけど!
世界樹の弓を作った時に削った木片から作ったものがある!
気付かれないように最初に上空へと飛ばしていた世界樹の矢。
世界樹の矢! いや、これは、ただの矢では無い。
握った世界樹の矢からマナの刃が生まれる。世界樹がマナの刃を形作る!
マナで作られた剣。
本当のマナの剣。
この剣でっ!
『神技っ! スマッシュ!』
強力な一撃を銀のイフリーダへとたたき込む。銀のイフリーダが驚いた顔でこちらを見ている。
イフリーダに一番最初に見せて貰った技。
教えて貰った技。
銀のイフリーダが、その一撃を受け、吹き飛ぶ。銀のイフリーダは回避出来ない。
駆ける。
銀のイフリーダが受け身も取れず暗闇の中を転がっていく。追いかける。
そして転がっている銀のイフリーダの前に立つ。
世界樹の弓に先ほどの世界樹の矢を番え、引き絞り、銀のイフリーダの前に突きつける。
『動けば撃ちます』
銀のイフリーダがゆっくりと顔を上げる。
『僕の勝ちだ』
銀のイフリーダがゆっくりと手を地面につけ、そのままくるりと仰向けに寝転がった。
『負けたのじゃ』
その顔は笑顔だ。何処か諦めているかのような、そんな笑顔だ。
『さあ撃つのじゃ。おぬしにはその資格があるのじゃ』
だから、僕は首を横に振る。
『最初に言ったように銀のイフリーダには味方になって貰います』
『それだけの力を手にして、今更我の力が必要とは思えないのじゃ』
そうだろうか?
もう一度、首を横に振る。
『必要です。壁を乗り越えるためにも、その先に待つ神との戦いのためにも必要です』
銀のイフリーダが目を閉じる。
……。
そして、ゆっくりと頷いた。
『我の負けじゃ』




