215 神の像
「どうぞ、かけてください」
どうぞ、と言われても座れる場所がない。
あるのは崩れた柱だけだ。
こちらが、どうしようか迷っていると神官の青年は崩れた柱の上に座った。その衝撃だけで埃が舞い上がる。
「げほっ、げほっ、ここは、ちょっとほこりっぽい場所ですね」
神官の青年が舞った埃を吸い込んだのか咳き込んでいる。自分が案内した場所なのに知らないのか。
とりあえず柱の上の埃を払い、神官の青年と向かい合うように座る。
「えーっと、ここはあまり使われていない場所みたいですね」
神官の青年が頬を掻く。
「ここは神殿の中にあるお客様を迎える場所なんですよ。はは、ここには長いのですが、使ったのは初めてなんですけどね」
「えーっと、ここに住んでいるんですか?」
「そうですね。神官の中には通いの方も居ますが、私は家を持つお金もないので……はい、この無の神殿は奉納される方も殆ど居ないですから、自由に使わせて貰っていますよ」
神官の青年は自虐的な笑みを浮かべている。
家代わり、か。この神官の青年は随分と苦労しているようだ。
いや、今、それはどうでも良い。
この神官の青年から聞けることを聞くだけだ。
「聞いても良いですか?」
「私で答えられることなら。結晶も貰ってますからね」
神官の青年はとても協力的だ。最初にマナ結晶を渡しておいて良かった。
「迷宮を攻略するために、迷宮の中に入りたいのだが、何か方法はあるだろうか? それと市民証を得る方法も教えて欲しい。今のままだと何をするにしても不便です」
神官の青年が大きなため息を吐き出す。
「先ほどのは、聞き間違いではなかったようですね」
そして、立ち上がる。それに合わせて埃が舞い上がる。
「けほっ、けほっ、埃が……っと、一緒にこちらへ」
神官の青年が口元を押さえながら歩く。落ち着ける部屋に案内されたと思ったのに、またすぐに移動するのか。何のために、ここに?
とりあえず置いてかれないよう神官の青年の後を追う。
案内されたのは神殿の中央に位置すると思われる部屋だった。
部屋の奥には壊れた石像の姿が見える。
台座にのった、その石像には上半身がなかった。足元を覆う法衣の下部分だけ、そして台座から伸びた槍とそれを持つ腕だけが残っていた。
壊れた石像。
「これが無の神を象った神像ですよ。手に槍を持っていますよね。それと腰の部分をよく見てください。半分だけですが、剣の鞘のようなものが見えますよ」
神官の青年の言葉は続く。
「無の神が男神なのか女神なのか議論されるところではありますが、戦神だったのは間違いないでしょう」
無の神のことを語る神官の青年は何処か得意気だ。
「えーっと、それが……」
「このような無残な姿になっていますが、他の神殿と同じように奉納することは出来るのですよ。ただ、奉納しても何も力を得ることは出来ません。何も力を得られない神殿にわざわざ寄進をして奉納する人なんて居ませんよ」
神官の青年は壊れた石像を見ている。
この無の神殿が寂れてしまった理由が分かった。何も力が得られないのなら、わざわざ神官にお金を渡してまでマナを奉納する、そんなのは――物好きでもなければ来ないだろう。
普通の人からはお金とマナを捨てるだけにしか思えないだろう。
「無の神は九大神の一柱なんですよ。なのに、今は従属神以下の扱いです。こんなことってあると思いますか」
無の神はかなり偉い神様のようだ。それが、この有様というのは神官としてはやるせないのだろう。
だが。
それが何の関係があるのだろうか?
「憤りは分かりますが、それが何の……」
「迷宮は神の眠る地だと神話にはあります」
神官の青年がこちらを見る。
「迷宮に入るということは神に近づくということ。神の寝所を、神の眠りを妨げるということ」
つまり、だ。
「えーっと、神官としては迷宮のことを教えることは出来ないということですか?」
迷宮に入るということは、神の住処に入り込む盗人になるということか。
しかし、青年は首を横に振った。
「いえ、知って欲しかっただけですよ」
「え、それはどういう……?」
「神は人が寝所に入ることを否定していないと思いますよ。否定するなら奉納した者に力を授けるはずがありません。むしろ神の試練として、それを推奨していると思っていますね」
「はぁ……」
自分からすればだからどうした、という話だ。
「それで、結局、どうすれば迷宮に入ることが出来るのでしょうか?」
「ああ、それですか」
神官の青年の態度は軽い。先ほどまでの熱の籠もった姿が嘘のようだ。
もしかすると、この神官の青年は、ただ、この神殿の現状を誰かに伝えたかっただけなのかもしれない。話したかっただけ……。
「迷宮に向かう途中に大きな建物が見えましたよね」
「あ、はい。右手にとても大きな建物が見えました」
神官の青年が首を横に振る。
「そちらは王の住む領主宮です。左手側にありませんでしたか?」
あっただろうか?
分からない。
右手の大きな建物と壁にばかり目が行って気付かなかったようだ。
「分かりません」
「もう一度行けば分かると思いますよ。そこが探求者の集まる組合になっています」
「はぁ」
「その組合員になれば迷宮に入ることが出来ますよ」
……なるほど。そういうこと、か。
でも……。
でも、だ。
「ですが、組合員にはどうやってなるのです? 簡単になれるものなのでしょうか?」
この都市に入ってからのことを思い出す。人々の反応はどうだった? 組合員になりたいとお願いしても無視されるか、最悪、争いになるだけのような気がする。
「組合員を養成する学所があります。そちらは流民にも開かれています」
「な、なるほど」
「ただし、入学には試験があります。才能が無ければ学所に通うことは出来ません。しかし、その入学試験、あなたなら大丈夫だと思いますね」
ふむふむ。
少し光明が見えてきた。
「しかもです。その学所を卒業すれば市民権を得ることも出来ますよ」
なるほど。それならば一度に全てが解決する。
「分かりました。ありがとうございます」
頭を下げる。
これで何とかなるかもしれない。
「結晶を貰っていますからね。そのお礼ですよ」
この神官の青年にマナ結晶を渡して良かった。
本当に良かった。
「それにしても、ですが……」
神官の青年が言葉を続ける。それは独り言のようにも聞こえた。
「少年を見ていると、話をしていると、見た目通りの少年とは思えません。いや、それどころか、時々、老人と話しているかのような錯覚を覚えます。少年が老人に見えるなんて、私も疲れているのでしょうか」
……ん?
どういうことだろう?
まぁいい。
「それでは早速、探求者の組合所に行ってきます」
「ええ。もし、泊るところが見つからないのなら、またここに戻ってくるといいですよ」
もう一度、頭を下げる。
さあ、これで何とかなりそうだ。




