210 ただの盗人
人が多く集まっている天幕の一つへと近寄ってみる。
人の会話が聞こえてくる。
「今日は何処に飯を食いに行く?」
「――のところで新鮮な肉が入荷したらしいぞ」
「相変わらず結晶不足か……」
色々なことを喋っている。
しっかりと彼らの喋っている言葉が分かる。あの真っ赤な猫耳のローラから言葉を習ったことは無駄じゃなかった。ローラの住んでいた場所とこの迷宮のある場所で言葉が違っていたらどうしようかと思ったが杞憂だったようだ。
良かった。これなら何とかなりそうだ。
とりあえず情報を手に入れるためにも話しかけてみよう。
「あのー、すいません」
天幕の近くにいた男の一人に近づき声をかけてみる。
「ん、なんだぁ?」
男がこちらに気付き、顔を動かす。
「なんだ、このクソガキ」
そして、こちらを見て眉をしかめる。
「えーっと、話を聞いて貰いたいのですが……」
「はぁ? 何を言ってやがる。見て分からないのか、こっちは忙しいんだよ」
良かった、言葉は通じているようだ。ただ、こちらの印象はあまりよろしくないようだ。何故だろう。
「少しだけ話を……」
「ああー! ガキが剣なんか持って探索者の真似事か? 遊ぶなら他でやってくれ」
男は威嚇するように大きな声を上げ、こちらを追い払うように手を振る。
……駄目だ。
取り付く島もない。
他の人はどうだろうか。
「あの……」
「あ?」
声をかけようとしたら睨まれた。
……。
うーん、この天幕に集まっている人たちは忙しいようだ。間が悪かったのかもしれない。
仕方ない。
この都の奥に進むか。
幸いにもここには侵入を防ぐような門や壁、人を選別するような門番の姿は見えない。いくらでも奥まで進むことが出来る。
小さくため息を吐き出し、ここを離れることにする。
この辺りは天幕が多く、奥の方に進むほど煉瓦造りの建物が増えてくる。天幕の下では忙しそうに人々が動き、見たことのない果物や肉などを並べている。
ここは何だったのだろう。
その天幕の方に近寄ると忙しそうに動いている人たちに嫌な顔をされるので、結局、ここが何だったのか聞き出せなかった。
もし、これらが商品で、ここがものを売る場所だ、というのなら、お客になるかもしれない自分を追い払おうとする理由が分からない。
つまり露店ではない。
食べ物が中心だから(多分、食べ物だよね)集めて何処かに運ぶ前の場所?
やはり分からない。
まぁ、人の姿はここだけではない。沢山の人が道を歩いている。建物の姿も沢山見える。奥にはとても大きな建物も見える。
その中には自分の話を聞いてくれる人もいるだろう。
キョロキョロと周囲を見回し、確認しながら歩く。
殆どの建物が煉瓦で作られている。木材は使われていないようだ。ここに来るまでにいくつか木は見かけたので、木材がないからだとは考えられない。木材が使えない何かの理由があるのかもしれない。
目的地もなく、ただ舗装された道を歩く。
歩いている人たちは自分の姿を見て少しだけ眉をしかめている。うーん、あまり好意的に見られていないようだ。
何でだろう。
自分もここの人たちも同じヒトシュのはず。外見的な違いは見えない。まぁ、確かに自分は小さいが、違いと言えばそれくらいのはずだ。
他に何か違いが……ある?
と、その時だった。
歩いている先にある天幕の一つで騒ぎが起きていた。
「おい、こら! 泥棒! このガキ、待ちやがれ!」
天幕の下には果物のようなものが並んでいる。そこに立っている男が大きな声を上げている。
そして、そちらから両手いっぱいに果物のようなものを抱えた子どもが走ってきた。子どもの背丈は自分と同じくらいか。ただ、その着ているものはすり切れ、非常にみすぼらしい。
子ども?
その子どもは自分の前で曲がり、建物の裏へと駆けていく。
「泥棒だ! 捕まえてくれ!」
天幕の下にいた男が叫んでいる。男は天幕の下から動けないようだ。
……。
泥棒、か。
追いかけてみようかな。
この露天商に恩や義理があるわけじゃ無いが、ここで商品を取り返せば話を聞いて貰えるかもしれない。少し、力になろう。
走る。
確か、さっきの子どもは建物の裏へと逃げていったはず。両手に荷物を抱えているんだ追いつける。
走る。
建物の裏は、その並んだ建物が壁になり、迷路のようになっている。曲がりくねった道を走り、子どもの気配をたぐり追いかける。
居た。
子どもにはすぐに追いついた。
子どもは迷路の分岐路でどちらに進もうか迷うようにキョロキョロと首を左右に振っている。
「止まれ」
声をかける。
子どもがびくりと体をすくませ、ゆっくりとこちらに振り返る。そして、何故か安堵のため息を吐いていた。
「何だよ、びっくりさせるなよ」
?
何だ、どういうことだ?
「これは俺が苦労して手に入れたんだからな。欲しがってもやらないぞ」
子どもは何処か得意気だ。
仲間だと思われている?
「何を言っているんだ?」
「何? 何ってなんだよ」
子どもは追っ手が来ていないのか確かめるように周囲を見回している。
「えーっと、それは盗んだものだよね?」
「追っ手はいないな。うん? ああ、俺が苦労して手に入れたものだよ」
苦労して手に入れた?
「それは盗んだものだよな?」
「あー、だから何言ってんだよ。欲しがっても分けてやらないって言ってるだろ」
まだ食べ物には困っていない。欲しがってはいない。
「盗んだものは返すんだ」
こちらの言葉を聞いた子どもは大きく目を見開き驚いていた。
「お前、正気かよ」
「正気だけど?」
この子どもは言っても分からないようだ。仕方ない。
背中の剣に手をかけ、一気に引き抜く。
「お、おい、ふざけんなよ。何だよ、その剣は!」
「返すんだ」
子どもに忠告する。
「ふざけんなよ! これは俺のだぞ。俺が苦労して手に入れたものだぞ」
「それはお前のものではない。あの露天商の商品だろう?」
少し脅した方が良いのだろうか。
剣を構える。
「お、おい。冗談だよな」
「冗談に見える?」
「ま、待てよ。話を聞けよ。あ、あいつは悪い奴なんだ。俺ら流民をゴミみたいに扱うしさ。お前も流民だろ? 市民証がないもんな。俺らはこうしなくちゃ生きていけないんだ。やっと手に入れた食べ物なんだ。分かるだろ?」
子どもが一気にまくし立てる。
ため息を一つ吐く。
「分からない。あの露天商が良い人間なのか悪い人間なのかはどうで良い。お前に都合があるように、あの露天商にも都合があるだろう。お前がやったのはただの盗みだ」
「ふざけんなよ! どうして分からないんだよ! なんで、なんでだよ! こうしなくちゃ生きていけないんだぞ! せっかく苦労して!」
子どもは叫んでいる。
境遇?
かわいそうな境遇だったら何をしても良い? 違うと思う。
自分が自分の持ち物を盗まれたら、その盗んだ相手を許せる気がしない。目の前の子どもはただ盗みを働いた盗人だというだけだ。
「返すんだ」
「くそ! くそ! くそ! 死んでしまえ!」
子どもから果物のようなものを取り上げる。
剣で脅したのが良かったのか子どもの抵抗は無かった。悔しそうにこちらを睨んでいる。
はぁ……。
なんだか、なんだろう。
ため息しか出ない。
背負い袋から干し肉を取り出し、子どもに投げ渡す。
「食べられるか?」
「肉? 何だよ、これ」
「あげるよ」
「はぁ? こんなもんで許されると思ってるのかよ! 死んじまえ!」
子どもは叫んでいる。
なんだか、どうでも良い気分になってくる。
とりあえず露天商のところに戻ろう。
背中に剣を戻し、果物を持って来た道を戻る。
その背後では子どもがずっとこちらを罵っていた。




