200 毒と腐敗に蠢く王
『ソラよ、毒と腐敗に蠢く王のマナはすぐそこなのじゃ。さあ、進むのじゃ』
すぐそこ?
そうなん……だ。
銀のイフリーダに頷き返し、歩く。
黒い鎧は力なく崩れ落ち、動かない。体内のマナ結晶を銀のイフリーダに喰われたのだ。動くはずが、動けるはずがない。
転がり落ちた巨大な戦斧を見る。今の自分では持ち上げることも出来ないだろう。必要……ない。
爛れ人たちは皆、伏し、頭を下げ祈りを捧げている。まるで、こちらに怯えているかのようだ。
戦う気が無いなら、それで良い。強大なマナの元へ、毒と腐敗に蠢く王のもとへ進むだけだ。
歩く。
「ちょ、ちょっと、こ、これ。倒したの? どうするの?」
真っ赤な猫耳が慌てて後ろを着いてくる。
「進むだけです」
歩く。
体は動く。あれだけの強敵を相手にしていたのに殆ど怪我を負っていない。奇跡のような勝利だ。
海草が消え、開けた谷の底を歩く。
しばらく歩くとすぐに坂が見えてきた。毒の谷の底のさらに底。緩やかな下り坂を下へ下へと降りていく。
その先に毒の海とその中心で佇む一人の法衣を来た男の姿が見えた。
あれが、毒と腐敗に蠢く王?
「ここに誰かが来るということは、彼女――フリギアは死んだのですね」
毒の海の中心に佇む法衣の男が呟く。男とこちらの間には毒の海が広がり、離れているのはずなに、まるでこの地の全てに言葉が広がっているかのようだ。
「私たちは、ただ静かに暮らしたかった。マナが乱れ呪われた体を救いたかった。ただ、彼女たちの、彼らの痛みを癒したかった。それすら許さぬというのですか」
崖を降り、毒の海の前へと降り立つ。
『あれが毒と腐敗に蠢く王』
その姿は夢に見た司祭――そのままだった。この人が強大なマナを持つ王。
「あの首飾り、聖者……まさか生きていたなんて」
真っ赤な猫耳がこちらの服の裾を掴み、何処か怯えたように驚いている。
毒の海の中央に立っている司祭の首には青と赤に煌めく宝石の首飾りをしている。あれがこの真っ赤な猫耳が探していた聖者の遺産なのだろうか。
彼とこちらの間には毒の海が広がっている。遠く、飛び越えることは出来ない。しかし、毒の海の深さは膝に届かないくらいだ。毒を気にしなければ、男の場所へは……。
「あなたが聖者ですか?」
毒の海の中心に居た男がこちらを見る。
「その声、まさか、アイロですか」
首を横に振る。そんな名前は知らない。自分はソラだ。
「いや、いくら時の流れが歪んだ地だとしても、あれからどれだけの時が過ぎたか……彼が生きているはずがない。それに……幼すぎる。彼の子孫か」
「その人が誰かは分からない。僕は、ただ、強大なマナを求めてここに来ただけです」
司祭は静かに首を横に振る。
「これも、あの魔女の仕業ですか。私がここで呪われた人々のためにマナを得たことも、祈りを捧げていたことも、全ては……しかし、これを渡すことは出来ません。私を守ってくれていたフリギアが居ない今、戦う力の無い私に出来ることは一つだけです。私の命を持って、これを守ります」
司祭が法衣の下から短剣を取り出す。そして、その胸を貫いた。
命が消える。
司祭の胸から血が流れ落ち、毒の海に広がっていく。
毒の海が青く変色していく。転がり落ちた短剣が毒の海に腐食され霧散する。
司祭の――毒と腐敗に蠢く王の体の中にあった強大なマナの残滓がその体を喰らう。
司祭の体が喰われ消え、身につけていた法衣が、首飾りだけが残る。そして、その上に、小さな、しかし強大な力を感じさせるマナの結晶が転がり落ちた。
自ら命を絶った?
それにこの青い毒の海。
『まさか、このような、このような!』
銀のイフリーダが怒りに震えている。
毒の海?
『カノンさんを呼んでこよう』
毒に強いカノンさんたちなら……。
『無駄なのじゃ。これは呪い――我ですら近寄れぬ呪いなのじゃ』
銀のイフリーダは呪いの海の中心に転がっている強大なマナ結晶を憎々しげに見ている。
「な、何が?」
真っ赤な猫耳は驚いた表情のまま固まっている。
「帰りましょう。あれは呪いの海に沈みました。帰って何か手段を探しましょう」
真っ赤な猫耳に告げる。このままでは無理だ。
しかし、それを聞いた真っ赤な猫耳は予想しない行動に出た。
真っ赤な猫耳が呪いの海へと走る。そのまま青い水を掻き分け、強大なマナの元へと駆けていく。
自分の言ったこと、意味が分からなかった?
真っ赤な猫耳が強大なマナと首飾りを拾い、こちらへと戻ってくる。
無事……?
真っ赤な猫耳が、そのまま、膝を付き、倒れた。
「うん。呪われているって……本当だったみたい」
真っ赤な猫耳の吐き出す息が荒い。
「これが必要だったんでしょ?」
真っ赤な猫耳が強大なマナをこちらへと差し出す。
「な、何故?」
「これを妹のラーラに渡して……」
首飾りを受け取る。
真っ赤な猫耳の体内にあるマナが乱れている。呪いによって命が尽きようとしている。
「何故……」
「これを見て」
真っ赤な猫耳が、身につけていたローブをずらし、肌を晒す。その体は爛れ、腐り始めていた。
「これは……もしかして、ここの毒で?」
真っ赤な猫耳は首を横に振る。息が荒い。
「ううん。もっと前……さすがは……封印されていた禁域の地……よね。だから、これを」
真っ赤な猫耳、ローラから強大なマナを受け取る。
こんな、こんなっ……!
ここで四章は終わりです。
九日の更新は人物紹介、本編は十日からの予定になります。




