194 谷の洞窟
食事を終え、出発の準備を行う。
真っ赤な猫耳は先ほどまでの体調不良が嘘のように元気に動いている。食事を行い、ゆっくりと休憩したのが良かったのかもしれない。
「もう大丈夫そうですね」
真っ赤な猫耳が頷く。
「迷惑をかけ……もう大丈夫だから。ううん、それどころか、ここに着いてからは逆に元気が溢れてくる感じ」
真っ赤な猫耳は力が有り余っているといった表情をしている。
……これなら大丈夫そうだ。
「では、谷の奥を目指して出発しましょう」
毒の川に落ちたら大変なので、カノンさんたちメロウの背中に乗せて貰い、海草の森を進んでいく。
自分が探索を行った範囲を抜け、さらに谷の奥へ。
爛れ人や鬼の襲撃はない。魔獣の姿も見えない。毒のある場所では、魔獣でも生活が難しいのかもしれない。
とても静かなものだ。
進む。
谷を奥へ、奥へと進む。
かなり長く続いている。
休憩を終えてから、もう、どれだけ進んだか分からない。
長い。
この谷は、永遠に続いているのではと思わせるほどの長さだ。
「うん?」
突然、海草の森を進んでいたカノンさんの足が止まった。
「どうしました?」
「あれなのだ」
カノンさんが崖側を指を差す。
そちらを見るが特に何も見えない。岩壁があるだけだ。
……。
いや、違う。
よく目を凝らして見ると崖の岩肌に、隠れるように小さな横穴が空いているのが見えた。言われなければ気付かない。カノンさんたちメロウは目も良いようだ。
「洞窟……ですか?」
「うん。そのようなのだ」
小さな入り口の洞窟。
「私たちでは入り口が小さすぎて進むことが出来ないのだ。でもソラなら大丈夫だと思うのだ。このまま洞窟を無視して谷の奥へと進むか、洞窟を探索するかは任せるのだ」
ぱっと見では分からないように隠された横穴。中がどれくらいの広さになっているか入り口からでは想像出来ない。敵の待ち伏せがあるかもしれない。それにカノンさんたちは中に侵入できないため、その支援を受けることも出来ない。
どうしようか。
「ソラがあの洞窟を探索するのなら、その間、ここに陣地を作るのだ。ここは薄暗く、時の流れが分かり難いが、そろそろ休んだ方が良い時間だと思うのだ」
……なるほど。
「分かりました。いったん、ここで野営の準備をしましょう。その間、自分は洞窟の探索を行います」
「分かったのだ。そのようにするのだ」
カノンさんたちが運んでいた荷物を下ろし、野営の準備を始める。
「今日はここで休むの?」
真っ赤な猫耳が話しかけてきた。
あー、うん。そうか。そうだね。
真っ赤な猫耳も旅の仲間だ。何も教えずにお荷物で居ろというのは酷い話かもしれない。
「はい。今日はここまでになります」
「それで、あなたはどうして戦う準備をしているの?」
真っ赤な猫耳が咎めるような口調で言葉を返してきた。
……うん?
自分は、この真っ赤な猫耳に何かしただろうか?
「そこにある洞窟の探索を行うつもりだから、です」
「そう」
真っ赤な猫耳がこちらを猫の瞳で見つめる。いつもの睨むような目だ。
「私も行く」
……へ?
「一人で大丈夫です」
真っ赤な猫耳が首を横に振る。
「私も行く! 洞窟なら明かりが必要になるでしょ!」
あ。
確かにその通りだ。
洞窟を進むための明かりは用意していない。
確かに、この真っ赤な猫耳の明かりを作る力は必要かもしれない。
「分かりました。よろしくお願いします」
「まったく! あなたにもこんな迂闊なところがあったなんてね!」
真っ赤な猫耳は呆れたようにため息を吐いている。しかし、その顔は何処か嬉しそうだった。
「ラーラ、私は彼と一緒に探索に行ってきます」
真っ赤な猫耳が青髪の少女を呼ぶ。
「姉さま?」
青髪の少女はよく分からないという感じで首を傾げている。
「ここをお願いね」
「姉さま、私も行きます」
「駄目! あなたは癒やしの力の使い手。この先、その力が必ず、うん、きっと必要になる。だから、あなたは、まだここに居るべき!」
真っ赤な猫耳の言葉を聞き、青髪の少女は上を向いて考え込み、その後、ゆっくりと頷いた。
「さあ、行きましょう!」
真っ赤な猫耳が跳ねるように歩き出す。
……はぁ。まぁ、元気になったようで良かった、かな。
「後ろをお願いします。僕が前を歩くので後ろから前を照らしてください」
元気なのは良いが、それで無茶をされてはかなわない。
野営の準備はカノンさんたちと青髪の少女に任せ、自分と真っ赤な猫耳は横穴の中へと入る。
中は狭い。
この狭さではヒトシュでなければ出入りが出来ないだろう。中で待っているのは、あの爛れたヒトシュだろうか? いや、カノンさんは鬼の大きさを言っていなかった。鬼がこの先で待っている可能性もある。それに出入り口がここだけとは限らない。中に大物がいる可能性を忘れてはいけない。
「再生と破壊の神フレイディア、世界を壊し新しき力となり周囲を見通す火の加護をノゾム――ファイアトーチ!」
真っ赤な猫耳が持った小さな杖の先端に炎が宿る。
「さあ、行くわ!」
真っ赤な猫耳は無駄に張り切っている。
小さな炎の明かりを頼りに狭い洞窟の中を進んでいく。中に毒の気がたまっている様子はない。これなら真っ赤な猫耳でも大丈夫だろう。
しばらく洞窟を歩き続けると、少し開けた場所に出た。
と、その時だ。
何かが、洞窟の空気を切り裂いて飛んでくる。とっさに盾を構える。盾が何かを跳ね返す。
何だ?
それは酷く古びたボロボロの矢だった。
木の矢? ボロボロの?
敵?
周囲に明かりが灯る。
明かり?
灯った明かりの方を見れば、前回出会ったのと同じような姿をした爛れ人が、その手に持った紫色の木槍に火を点けているところだった。
次々と火が灯る。
その数は……十程度。
暗かった洞窟が一気に明るくなる。
見れば炎を灯した木槍を持つ爛れ人だけではなく、手に弓を持った爛れ人もいる。あれがこちらに矢を放ったのかもしれない。
ここは爛れ人の住処だったのか。
逃げるべきか?
「ちょっと、ちょっと、こいつら……」
真っ赤な猫耳が驚き、慌てている。
「カノンさんが言っていた爛れ人という名前のヒトシュだそうです」
うん、逃げるべきだ。
まずは対話出来るかどうかを試して、そのまま後退し、一気に逃げるべきだ。外に出ればカノンさんたちの援護を受けることが出来る。
真っ赤な猫耳を守りながら十人ほどの集団を、それも弓を持った相手も居る中、それらを何とかするのは厳しい。
「対話を試みてみます。その隙を突いて逃げます。準備して」
真っ赤な猫耳へとささやく。
「わ、分かった」
真っ赤な猫耳が頷く。
「えー、すいません。もし良ければ話をしませんか?」
爛れ人たちへと呼びかける。
しかし、反応はない。
「ここはあなたたちの住処だったのでしょうか?」
話しかけながら、ゆっくりと後ろへと――後退っていく。
やはり、爛れ人たちからは反応がない。
先ほどの矢が威嚇行動なら良いのだが、もし明確な敵意を持って行われたものだったなら……。
ゆっくりと後ろに下がる。
後はタイミングを見計らって一気に逃げるべきだ。幸い、洞窟は一本道、走れば逃げられるはずだ。
と、そこでにわかに爛れ人たちが騒がしくなった。
まるで鳥の鳴き声のような声できぃきぃとわめいている。
何が?
その時だった。
背後で――逃げようとしている洞窟の道の先で何かが動いた。
何かが動く大きな音。
「こ、これ!」
真っ赤な猫耳の声に思わず振り返る。
見ればこちらの退路を断つように大きな岩が道を塞いでいた。
どうやって?
いつの間に?
いや、それよりも、だ。
これで退路がなくなってしまった。
燃える木の槍を持った爛れ人が、弓に矢を番えた爛れ人が、楽しそうにきぃきぃとわめきながら、ゆっくりとこちらに迫っている。
……。
「覚悟を決めましょう」
「え? 覚悟?」
倒すしかない。
あちらからは敵意しか感じない。
やるしか、ない。