191 天舞
カノンさんに貰った赤塩を使い料理が完成した。
塩で焼いた魔獣肉。
ふっくらと炊き上げたうっすらと赤い植物の実。
……料理とは言えない代物だ。
それでも塩が使えた分、以前よりは格段にまともになっている。
「カノンさん、どうぞ」
巨大な蜘蛛足を折り曲げ、座っているカノンさんに塩焼きの肉を持っていく。しかし、カノンさんは受け取らない。
「肉は良いのだ。それよりも、そちらの方が気になっているのだ」
カノンさんはよだれでも垂らしそうな、物欲しそうな瞳で鍋の方を見ている。
鍋の中身は植物の実を炊いたものだ。肉食のカノンさんには合わないと思っていたのだが、物珍しさだろうか。
「分かりました」
鍋の中身を器に移し、スプーンと一緒にカノンさんの人の上半身の方へと手渡す。
「うん、かたじけないのだ」
器を受け取ったカノンさんはスプーンで中身を掬い、かがみ込んで蜘蛛の口の方へと運ぶ。
あ、食事はそっちなんだ。となると、蜘蛛側の方が本体なのだろうか。
大きな蜘蛛の頭がガチガチと咀嚼を行い、それを飲み込む。
その瞬間、カノンさんの体が震えた。まるで雷でも落ちたかのように上から下へと震えが伝わっていく。
「んほぅっ! こ、これは何という食べ物なのだ! 素晴らしいのだ。こんなに美味しいものは初めて食べたのだ!」
カノンさんが狂ったような速度で話しかけてくる。
こんなカノンさんは初めて見た。いや、まぁ、付き合いが長い訳ではないけれど。それでも、普段は飄々としている、というか何事にも揺らがない人物のように見えていたから、これは……意外だ。
「何という食べ物か教えて欲しいのだ!」
で、名前、か。
「名前はありません。自分たちが育てている植物の実を水で炊いただけのものです」
名前は、まだ、無い。
「なんと! こんなに美味しいものに名前がないとは問題なのだ! ソラが良ければ私が名付けたいのだ」
「あ、はい。どうぞ」
上の体が喋っている間も下の蜘蛛の体が食事を行っている。とても器用だ。小さく一口分をスプーンで掬い、蜘蛛の口の中へと運んでいる。その一口を食べる度に、蜘蛛の足がバタバタと動いていた。
「天にも昇るような踊りたくなるような美味しさの食べ物……天舞とするのだ」
「てんまいですか?」
「うん。ソラ、良ければ物欲しそうに見ているあれらの分も……あれらにも分けて欲しいのだ」
カノンさんが物欲しそうにこちらを見ている三人のメロウの方へと振り返る。
「あ、はい。では、取り分けますね」
しかし、カノンさんは首を横に振る。
「良いのだ。今、貰った分だけで足りるのだ」
「え?」
そんなに大きな体をしているのに?
「うん。私たちはあまり量を必要としない種族なのだ。もちろん、激しく動いた後は別なのだ。今は、これで充分に足りるのだ」
カノンさんは笑っている。こちらが、その巨体で? と疑問に思ったことに気付いたのだろう。
「分かりました。充分な量を持ってきているので足りなかったら言ってください」
「うん。分かったのだ」
カノンさんが器を持ち、三人のメロウのところへと歩いて行く。
「お嬢、それは何なので」
「何なので!」
「凄く、凄そうなので」
三人がカノンさんから器を受け取り、一口食べる。こちらも、やはり蜘蛛の頭の方で食事を行っている。
その瞬間、先ほどのカノンさんと同じように頭から蜘蛛足まで雷が落ちたように震えが走る。そして、ちょっと見てられないような表情で蜘蛛足をバタバタと動かしていた。
「お嬢、これは危険な食べ物で」
「里に持ち帰れば争いが起こるので」
なんだか会話が危険だ。危険が危ない。このてんまい? が原因でカノンさんの里と戦いになったらどうしよう。持ってこない方が良かったのだろうか。
うーん。
赤と青の二人の方を見る。こちらは黙々と食事を行っている。旨いも不味いもない。もしかすると住んでいた場所では、もっと良いものを食べていたのかもしれない。
……。
……うん、文句を言わずに黙々と食事をしてくれるのは良いことだ。
この二人がカノンさんたちのようになっている様子はないので、天舞で衝撃を受けるのはメロウの人たちだけのようだ。
……。
考えても仕方ない。
自分も食事にしよう。
ああ、塩焼きの肉は美味しいなぁ。これを口に含んで天舞を食べれば、最高だ。カノンさんたちではないが、今までで一番、美味しいご飯かもしれない。
カノンさんたちと出会えて本当に良かった。
「ガルルル」
スコルには天舞が合わないのか、魔獣の生肉ばかりを食べている。焼いた肉もあまり好みではないようだ。
さて、と。
「スコル、ここでいったんお別れだね。十日が経ったら迎えに来て欲しい」
「ガルル」
スコルが頷く。
スコルから荷台を外し、中の荷物をメロウさんたちに渡す。
メロウさんたちが受け取った荷物を器用に蜘蛛の背中へと乗せている。赤と青の二人も荷物と同じ扱いだ。赤と青の二人は若干怯えている様子だが文句は言ってこない。覚悟を決めているのかもしれない。
「さあ、ソラ行くのだ」
うん、出発だ。
カノンさんたちが飛び上がる。
何も無いようにしか見えない空中を駆けていく。
毒の沼地の上を走る。
「魔獣の姿が見えませんね」
魔獣の気配はある。しかし、こちらに襲いかかってくる様子はない。
「うん。ここはメロウの領域なのだ。私たちに襲いかかってくるような無謀な輩は殆どいないのだ」
「殆ど、ですか」
「うん。中には力の差が分からぬ愚かなものたちもいるのだ。が、今回はそういった類いは避けて進んでいるのだ。私たちは争いを好まない種族なのだ」
うん?
争いを好まない?
それはどうだろう?
カノンさんは凄くけんかっ早いような……。
いや、違うのか。
狩りや戦い、それらと争いを分けて考えているのか。
あの時、こちらに攻撃を仕掛けてきたのは狩りのつもりだった? それとも制裁だろうか。争っているつもりはなかったのかもしれない。
改めて怖い種族だと思った。
一日中、毒の沼地を駆け抜け、日が落ち始めたところで休憩できそうな浮島に止まり、一泊する。
毒沼から生えている木の上で休むのかと思っていたが、しっかりと道順を決め、途中で休息できる場所を確保しているようだ。
ここはメロウたちの巣なのだろう。
次の日も毒の沼地を駆ける。
何事もなく二日目が過ぎ、三日目も過ぎていく。
そして、四日目。
毒の沼地の先が崖になっていた。
毒の液体が崖下へとドロドロと流れ落ちている。
異様な光景だ。
「辿り着いたのだ」
確かに、谷だ。
しかし、そこに流れているのは水ではなく毒液だ。
毒の谷。
地獄の光景だ。
てんてこまい。