190 赤点
「ガルルル」
スコルが少しだけ不服そうな顔でこちらを見ている。こちらを、というよりもカノンさんを、か。
「スコルは少し不満みたいですよ」
その自分の言葉を聞いたカノンさんは大きく目を見開き、スコルの方へと振り返る。
「うん? お前なら、あの程度の――うん、早さを重視しただけの軽い一撃なら喰らわせても問題無いと思ったのだ」
「ガルル」
スコルは当然だ、という感じで唸っている。
そのスコルの後ろにくっついた荷台の中では赤と青が驚いた顔でこちらを見ていた。
そして、真っ赤な猫耳が口を開く。
「な、な、何だ、その怪物は!」
カノンさんがゆっくりとこちらへと振り返る。口元は楽しそうに笑っているが、その目は笑っていない。
「ソラ、あれは私たちへのお土産なのだな。ちょうど、お腹が空いていたのだ」
……。
「な! 私たちを騙したのか!」
真っ赤な猫耳が叫んでいる。
思わずため息が出た。
「カノンさん、あれの無礼な言葉は謝ります。一応、仲間として――協力者として連れてきています」
何というか、連れてきたのは間違いだったのだろうか。役に立つと自分で言っておきながら、すでに迷惑をかけてくれている。
……。
カノンさんが大きく笑う。
「良いのだ。単純に、谷へと向かうには実力が足りていないと思っただけなのだ」
そして、カノンさんが赤と青の方へと向き直る。
「何かを口に出すのなら、その意味を考えた方が良いのだ。弱き者の弱くあろうとする言葉はモノノフには届かぬのだ」
その言葉は重い。
真っ赤な猫耳は悔しそうに唇を噛みしめ、下を向いていた。
まぁ、仕方ない。
「アレはソラの所有物ということにしておくのだ。そうすれば手を出す輩もいないと思うのだ」
カノンさんの中ではすでにお荷物扱いだ。
これも、まぁ、仕方ない。
「それでソラの荷物は何処にあるのだ? 背負い袋とあの二つくらいしか見えないのだ」
「はい。これだけです」
カノンさんが首を傾げる。
「ソラは食事をしなくても大丈夫な種族ではないと思うのだ。それではとても足りないと思うのだ」
確かに不安が残る分量だ。しかし、どうしても持てる量には限界がある。足りなくなった時は現地調達をするしかない。
「持てる量には限りがありまして……」
それを聞いたカノンさんが吹き出した。
「ソラ、何のために私たちがいると思っているのだ。あの三人は戦力ではなく、荷物持ちのためなのだ」
カノンさんが沼地からこちらを見て不安そうな顔をしているメロウの三人を指差す。
……荷物持ち?
なんてことだ!
「カノンさん、すいません。もうしばらく待って貰っても良いでしょうか? 一度、拠点に戻って食料を持ってきます」
「うむ。そうするのが良いのだ。それと謝る必要はないのだ。こちらの説明が悪かっただけなのだ」
カノンさんは笑っている。その言葉に甘えることにしよう。
カノンさんの背から飛び降り、スコルの背に跨がる。
「スコル、急いで戻ろう」
「ガルルル」
スコルが頷く。出発の時間は遅くなってしまうが、これは仕方ない。
充分な食料を用意する方が重要だ。
スコルが駆け出す。
急いで拠点へと戻る。
赤と青の二人は荷台に乗ったままだ。正直、邪魔にしかならないので沼地に置いてきても良かったのだが、さすがに人を食べるメロウたちの中に置き去りにするのは問題があると判断したためだ。
急ぎ、それでも日が真上に来てしまうほどの時間をかけ、拠点に戻る。
拠点では、すでにリュウシュの皆さんが起き出し、畑仕事を行っていた。出発したその日のうちに戻ってきたこちらを見て驚いている。
「すいません。もう少し食料が必要になりました。スコルの荷台に載せて持っていきます」
「分かったのです。準備をするのです」
すぐにリュウシュの皆さんが動いてくれる。
畑を作り、魔獣も狩っているので食料にはかなりの余裕が出来ている。ある程度、追加しても問題無い。
先ほどから静かになっている赤と青の方へと振り返る。
「ここに残りますか?」
正直、実力が足りていないことは分かったはずだ。
「な! わ、私がっ!」
真っ赤な猫耳がこちらを見る。
「カノンさんに言った言葉を思い出してください。現状では荷物以下です」
真っ赤な猫耳が、「あっ」という驚きの表情のまま固まる。それでもすぐに復活し、こちらを睨むように猫のような瞳を大きく見開いた。
「私たちはまだ魔法も神の奇跡も使っていない! 私たちの力は……ううん。違う、違う。そう……ね、ごめんなさい。彼女には謝罪します」
真っ赤な猫耳が頭を下げる。
「分かりました。忘れないでください」
この真っ赤な猫耳は馬鹿ではない。しっかりと自分がやってしまったことを分かっている。でも、足りていない。ただ、ただ、足りていないだけなのだ。
反省し、取り返せる内は良い。だけど……。
この真っ赤な猫耳を見ていると不安になってくる。
小さな見た目のまま、子どもなのだろう。いや、似たような外見の自分が考えることでもない、か。
そんなやりとりをしている間に食料の積み直しが終わった。
「では、改めて行ってきます」
「はい、お帰りをお待ちしているのです」
今度はリュウシュの皆さんに送り出される。
何というか、酷い二度手間だ。
「さあ、行こう」
「ガルルル」
沢山の食料を入れた荷台を引っ張り、スコルが西の森を駆ける。
沼地に辿り着くと、そこでは静かに目を閉じ瞑想しているカノンさんの姿があった。
「お待たせしました」
カノンさんに声をかける。
ゆっくりとカノンさんが目を開ける。
「うん、お腹が空いたのだ」
カノンさんが笑っている。
カノンさんの体は大きい。もしかすると食料を多く必要とする種族なのかもしれない。
「えーっと、食事にしましょうか。かなり余裕をもって食料を持ってきました」
「うん。それは良い考えなのだ」
「ただ、カノンさんの食べられる物があるかどうか……」
カノンさんたちは肉食だろう。
一応、生肉も持ってきているが量は多くない。殆どが、あの水で炊く実と干し肉だ。
ま、まぁ、作ってみてから考えよう。
腐った落ち葉の中で燃えそうなものだけを集めて火を点ける。その上に鍋を置き、例の実を入れ、水を注ぐ。後は蓋をして、その横で生肉を焼く。
カノンさんは興味深そうにこちらを見ている。
「うん。ソラはあまり凝ったことをしないのだな。素材を生かすという『粋』なのだ」
……。
「えーっと、すいません。素材を生かすというか、これしか出来ないのです」
道具も調味料もない。
「カノンさんの里では違うのですか?」
「里には料理をするための職人がいるのだ。なるほど、そうだったのだな。赤塩程度なら今もあるのだ」
カノンさんが身につけた鎧の裏から、小さな袋を取り出す。
その中には赤みを帯びた小さな岩のような塊があった。
ま、まさか。
受け取り、ちょっとだけ削って舐めてみる。
塩辛い。
というか、塩だ。
塩、だ。
塩だった。
塩なのだ。
こ、これは、しょ、食文化でもカノンさんたちには負けてそうだ。
「ありがたく使わせてもらいます!」
焼いている肉に赤塩をまぶす。
ああ、久しぶりの味がある料理だ。