185 帰ってきた
カノンさんの背に乗り、最初に出会った沼地まで戻る。
「では、ソラ。一度、ここでお別れなのだ」
「はい。また、よろしくお願いします」
その背から飛び降りる。
「それにしても、ソラは忙しいのだ。里でゆっくりしていっても良かったのだ。食事の準備も出来たのだ」
カノンさんが笑っている。
「あ、はい。それは、えーっと、そうですね。また、今度、お願いします」
少しだけ顔が引きつる。
正直に言うとカノンさんの里で出される食事が怖かったのだ。人を普通に食べるカノンさんの里で出される料理……。
人……。
うーん、まぁ、この森に迷い込んできた赤と青の二人やそれを襲った三人組以外でヒトシュの姿を見ていないので、違うとは思うのだが、ヒトシュの存在を知っていたことを考えると――やはり、怖い。
自分がヒトシュだからか、人を食べるのは――抵抗がある。
「それでは、また、なのだ」
「あ、はい。また、です」
カノンさんが蜘蛛足を深く沈め、飛び上がる。そして、そのまま沼地の上を歩き、里の方へと帰っていく。
ふぅ。
後は遊んでいるスコルが戻ってくるのを待つだけだ。
……。
西の森の奥に来て正解だった。
それに……うん。ここを最後にして良かった。結局、自分の力だけでは負けてしまったけれど、それでも、自分がもっと弱かった時、早い段階でここに来ていたら――カノンさんとは戦いにもならなかっただろう。カノンさんに力を認められることもなかっただろう。
……。
これで良かった。
今で良かった。
……。
その場でしばらく待っているとスコルが戻ってきた。
「ガルルルゥ」
スコルは何処かしょんぼりとした顔をしている。
「どうしたの?」
「ガルル」
足元がぐちゃぐちゃだったからか、思ったように動くことが出来なくて、あまり遊びを楽しめなかったようだ。
スコルとこの地の相性は悪いのかもしれない。
「スコル、帰ろうか」
「ガルル」
スコルが嬉しそうに頷く。
スコルの背に乗り、すぐに拠点へと戻ることにした。
大きく手を伸ばした木々が太陽の光を遮った薄暗い森の中をスコルが駆けて抜けていく。
「ガルルル」
いつもの小川が見えてくる。
それほど時間をかけずに小川まで戻ってくることが出来た。これもスコルの力があってこそだ。普通に歩いていたら、沼地まで何日かかったか分からない。一日、二日ではたどり着けなかっただろう。
スコルに感謝だ。
と、小川。
小川?
綺麗な水だ。
……。
もしかすると、沼地の水が沢山の石でろ過されて、ここに流れ込んでいるのだろうか?
そう考えると、この水をこのまま飲むのは、少し怖いかな。
にしても小川か。
うん、小川だ。
せっかくだから小川でスコルの体を簡単に洗ってあげる。
「ガルル」
スコルは少しだけ嫌そうに眉間を歪めているが、それでもブルブルと震えながら我慢している。
泥が天然の毛皮にこびりついてガビガビになっている不快感より、水を我慢して綺麗になった方が、まだマシだという判断なのだろう。
スコルを綺麗にした後、西の森を抜ける。
拠点に戻った頃には、日が落ちていた。
もう夜だ。
といっても、逆に言えば、あれだけのことがあったのに、まだ一日も経っていない。
うん、何日も大冒険を行った気分だったが、まだ一日だ。
「ガルル」
侵入者を防ぐように並んでいる防壁を乗り越える。壁を越えた先は畑になっていた。こちら側も畑だ。至る所に畑が増えている。
生産の皆さん……頑張り過ぎだ。
氷の城から持って帰った種の中には穂を大きく伸ばす、食用になりそうなものがあった。それ以外にも様々な食べられそうな植物があった。
まだ食べ方に関しては実験中だが、これだけ畑が広がれば、今後、食に困ることはないだろう。
服になる草も、食べられそうな植物も、体などを洗うことに使える植物も、狩りに使える毒を思った植物も――色々な植物が畑に実っている。
スコルの背から降りて、拠点に作られた砦のような建物の中に入る。中は静かだ。皆、もう眠りについているのかもしれない。
自分も寝よう。
明日は皆に説明をして、遠征の準備を行って……忙しくなりそうだ。
いつものようにシェルターの中に入り、膝を抱えて目を閉じる。
……。
せっかく立派な建物を作っているのに、なんで、自分は今でも、この最初に作ったシェルターの中で眠っているのだろうか。
リュウシュの皆さんが変に気を使ってシェルターを残してくれているけれど、別にここで眠りたいわけじゃないんだけどなぁ。
ゆっくりと足を伸ばして眠りたい。
ベッド……。
でも、リュウシュの皆さんが使うベッドは硬いから、起きた時に体が大変なことになりそうだし……。
そんなことを考えているうちに眠りに――心が闇の中へと沈んでいく。
……。
……。
そして、夢を見る。
何処かここではない場所。
見知らぬ見覚えのある場所。
「私には見捨てることが出来ません」
見知らぬ見知った司祭の声。
その司祭の背後には呪いの声を上げ続ける異形たちの姿があった。
体が溶け、中の骨がむき出しになった異形が、痛みと呪いの声を上げている。
「少しでも彼らの魂が癒やされるように」
司祭がこちらを見る。
「無駄だ」
俺は首を横に振る。
「いいえ」
司祭が首を横に振る。
「必ず大きな力を手に入れて、彼らを救います」
「好きにすれば良い」
多くのものが自分の手からこぼれ落ちていく。
孤独になっていく。
それでも――俺は、あの場へ、約束の地へ向かう。
それが約束だから……。
……。
夢を。
夢を見る。
何処かの、何処かであった、何かの思い出。