150 獣たちの女王
勝った。
勝てたんだ。
緑鋼の剣を鞘に収め、大きく息を吐く。
戦いの余波に巻き込まれたのか、あれだけ居たはずの青い狼の姿も消えている。終わったんだ。
帰ろう。
これで吹雪は止まったはず。氷の彫像と化している語る黒さんがどうなったかも心配だ。
「やったな」
そこへ亡霊がやって来た。その姿は流れている血も乾ききっていないような、そんな血だらけの姿で、立って、こちらへと歩いてくるのが不思議なくらいの状態だった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないに決まってる」
そう言った亡霊の顔は喜びに溢れており、嬉しそうに頭の上に乗っかっている犬耳を動かしていた。
「これで終わったんですよね」
「あ、ああ。ああ! そうだな。お前のおかげだ。いや……」
亡霊が首を横に振る。
「もう、お前、じゃないよな。名前は……確か、ソラだったよな?」
「はい」
亡霊が頷く。そして、大きく頭を下げた。
「ソラ、あなたの成し遂げたことに感謝を。あなたのおかげで姉さまは解放された。姉さまの意志は守られた」
亡霊の下げられ見えない顔から透明なしずくが落ちる。
「亡霊さん……」
亡霊が顔を拭う。そして、その顔を上げる。
笑っている。
「ああ、たく! こんなに小さいのに、ちびっ子なのに、何処から、そんな力がわいてくるんだ!」
亡霊がこちらの脇に手を入れて持ち上げようとする。
「止めてください」
自分は慌てて逃げる。
「ん? ああ、遠慮するなよな」
「遠慮じゃないです」
亡霊が不思議そうな顔で首を傾げている。
何だが、ぶつぶつと「城の子どもたちは、こうすれば喜んだのに……」とか、不穏なことを言っている。
思わずため息が出た。
そして、そんな様子を見て、少し嬉しくなった。自分が成し遂げたことを実感できた。
「ありがとうございます」
だから、お礼を言う。
「お礼を言うのはこちらの方だ」
「亡霊さんの緑鋼の剣のおかげで勝てました」
鞘の上から緑鋼の剣を叩く。
「あ、ああ! そうだろう、そうだろう。私の鍛冶の腕は良かったろう!」
亡霊は嬉しそうだ。鍛冶の腕はともかく、助けになったのは本当だ。
これが無ければ勝てなかった。
形の悪い、でこぼこになった刃も役に立った。
「ガル」
傷だらけのスコルもやって来る。
「姉さまの騎士の一人……か」
亡霊の言葉。スコルの前足には、この城で譲り受けた腕輪が輝いている。スコルは姫を守る騎士だったのだろうか。
スコルが頭を下げ、こちらになすりつけてくる。
その頭を撫でてあげた。
「ところで、亡霊さんはこれからどうするんですか?」
「あ、ああ。そうだな。私は、強大なマナの力に囚われ、この地を守るだけになった、その抜け殻と最後までともにするつもりだった。でも、その意志は解放された……んだよなぁ」
どうしよう、という感じで亡霊がこちらを見た。
「良かったら、僕たちのところに来ませんか? 今、そこでは蜥蜴人さんたちと村を作っているところです」
ここで声をかけなければ、この亡霊は、この廃墟と一緒に朽ちていく道を選ぶだろう。だから、誘った。
亡霊が笑う。
「ありがとう。考えてみるよ」
亡霊は微笑む。何処か、過去を吹っ切ったような、そんな微笑みだ。
「自分は一度帰ります。拠点で待っている蜥蜴人さんたちも心配です。それに、この都市の外で凍ってしまった仲間の状態を早く確認したいので……」
「ああ、分かった。そこまで送るよ。城の近道なら任せてくれ」
「ガル」
スコル、亡霊とともに城の外に出ることになった。
と、その足が止まる。
大きなマナ結晶を喰らった銀のイフリーダが、その場で動かず首を傾げている。
『どうしたの?』
『ふむ。いや、強大なマナの結晶の割には、うーむ、その力が弱いのじゃ』
『そうなの? でも、あれは確かに強大なマナを持った王の一人だったんだよね?』
『うむ。それは間違いないのじゃ』
『それだと、もしかして、あれかな。あの巨大な狼も王の一部で、それを途中で取り込まれてしまったから最終的に得られるものが減った?』
『ふむ……』
銀のイフリーダは腕を組み、顔を下げ、考え込んでいる。
『うむ。確かに、その可能性は否定できないのじゃ』
そして、ゆっくりと顔を上げた。
『吹雪は終わったんだ。帰ろう』
『うむ』
これで戦いは終わりだ。
城の外に出て廃墟となった都市を歩く。
もう、空には吹雪の渦はなくなっている。
廃墟を覆っていた氷が溶け始めている。
逆に、この廃墟を守っていた鎧たちは、中に入っていた魂がなくなったように動かなくなっていた。
廃墟を歩く。
そして、都市への侵入を阻むように作られていた氷の壁があった場所に辿り着く。
そこには何も無くなっていた。
都市を守っていた氷の壁が綺麗に消えている。
そして、その先に――見えた。
倒れ込んでいる語る黒さんの姿が見えた。
氷から解放されている。
そして、生きている。
ここからでも生きているのが見えた。
脈動する、魂の――マナの輝きが見える。
さすがは蜥蜴人の生命力。雪が積もった時も、その中で生きていた。だから、きっと生きてくれていると思っていた。
今は、眠っているようだが、そのうち、目を覚ますだろう。
良かった。本当に良かった。
語る黒さんの方へと駆け出す。
『ソラよ!』
と、そこで銀のイフリーダの叫ぶような声が頭の中に響いた。
すぐに横へと飛び退く。先ほどまで自分が居た場所に鋭い氷の柱が生まれていた。
『この攻撃は!』
すぐに周囲を確認する。
「あが、ソ……ラ」
見れば、亡霊が喉を押さえ苦しそうにしていた。
『ソラよ、よく見るのじゃ』
銀のイフリーダの言葉に頷き、亡霊を見る。湖に潜んでいた敵と戦った時のようにマナの輝きを見る。
「あが、が、う、う……」
苦しそうな亡霊のマナの輝きに何かが混じろうとしている。
これは――強大なマナの一つ、獣たちの女王!
生きていたのか!?
「ソ……ラ!」
苦しそうにしている亡霊が叫ぶ。
「討て! 私ごと……討て!」
喉を押さえ、それでも必死に叫ぶ。
「これは……姉さまと同じように、私を取り込むつも……討て……」
亡霊の声が小さくなっていく。
亡霊のマナの輝きが強大なマナへと染まり始めている。
亡霊の体の周りに吹雪の結晶が、氷の粒が生まれ始めている。
体を乗っ取るつもりか!
『イフリーダ、何とかならない! このままだと!』
せっかく、せっかく出会えた人なのに。仲良くなれたと思ったのに。
こんな、こんなのはっ!
『ソラよ、マナの輝きをよく見るのじゃ。まだあれは混ざりきってないのじゃ。強大なマナの部分だけをソラの心の刃にて貫くのじゃ』
心の刃……?
『分かった。やってみる』
『ふむ。我としては完全に混ざりきって強大なマナとなってから倒した方が楽だと思うのじゃ』
『駄目だよ。もう亡霊さんは仲間なんだから』
マナの輝きを見る。
鞘に収めた緑鋼の剣の柄に手を置く。
時間的猶予はない。
ここで、この獣たちの女王を討つ。
そして、亡霊を救う。
心の刃。
神技でも神法でもない。
マナを、魂を、貫く刃。
出来るだろうか。
いや、やるしかない。
出来る。
自分を信じて。
恐怖に心が折れなかったように、自分を信じる。
そして、鞘から緑鋼の剣を引き抜く。
その刃が亡霊の体を抜ける。
そう、抜けた。
体をすり抜けた。
『斬った……』
喉を押さえ、苦しそうにしていた亡霊の体が崩れ落ちる。
その背後で、強大なマナが砕け散っていた。
亡霊は崩れ落ち、気絶している。無事だ。
『後は我に任せるのじゃ』
銀のイフリーダが砕け散り、霧散した強大なマナを、大きく口を開け、吸い込んでいく。喰らっていく。
これで終わりだ。
本当に終わりだ。
終わったんだ。
『うむ。これで三つまで集まったのじゃ』
銀のイフリーダが腕を組み笑う。
『今回は疲れたよ』
その場に座り込む。
残る強大なマナは一つ。
「ガルル」
心配そうな表情でやって来たスコルが自分の隣で座り、丸くなる。その顔を撫でてあげる。
気絶した亡霊と氷に包まれていた語る黒さんは、すぐには目覚めそうにない。
その間、少し休憩させて貰おう。
疲れた。
これにて第三章終わりです。
十四日の更新は人物紹介、本編は十五日からの予定になります。