144 心が凍る
壁の先の通路を進む。
そこは細く長い通路だった。天井の高さ以外は地下にあった迷路を思わせる通路だ。そして、その通路は、どうも緩やかな下り坂になっているようだった。
下に向かっている?
目指しているのは玉座だ。この尖塔から繋がっているのは本殿のはずだが、下に向かうとなると話が変わってくる。
この道で良いのだろうか?
いや、考えるよりも進むしかない。
そして、しばらく通路を進むと小さな部屋が見えてきた。扉などは取り付けられていない。
通路の壁に張り付き、気配を殺し、少しだけ顔を覗かせて小さな部屋の中を確認する。
小さな部屋の中には金属で作られた格子状の扉と書庫に入る時に使ったようなレバーが見えた。
そして、その格子状の扉の前には、それを守るように騎士鎧が存在していた。
騎士鎧は異様な姿をしている。
まるで獣のように四つ足で這い、その兜は大きく裂け、その下から大きな牙が見えている。武器は持っていない。
尖塔で戦った騎士が最後に見せた姿とよく似ている。
魔獣と化した姿。
それが格子状の扉を守っている。
……こちらに気付いている様子はない。
この魔獣と化した騎士を倒さないと先には進めないようだ。
他に道はない。
倒そう。
一撃だ。
一撃で楽にしてあげよう。
鞘に入ったままの緑鋼の剣。鞘紐を外し、すぐ抜けるようにする。そして、その柄に手をのせる。
そのまま駆ける。
部屋の中へと走る。
騎士の魔獣がこちらの存在に気付き、大きな咆哮を上げ動く――飛びかかってくる。
……遅い!
駆けた勢いのまま緑鋼の剣を引き抜く。
斬る。
放たれた一撃が、衝撃となって、こちらへと飛びかかってこようとしていた騎士の魔獣の体を突き抜ける。
騎士の魔獣は、その姿のまま、半分に別れ、自分を抜けていく。
――放たれる剣の衝撃、神技ソードインパルス。
自分で使うのは二度目だが、今回も成功した。
成功した。
やはり、銀のイフリーダに自分の体を使って実演して貰っているのが大きいのだろう。見るだけとは違い、自分の体が、その動きを、力の入れ方を、流れを記憶している。その違いは大きい。
緑鋼の剣を振り払い、鞘へと戻す。
緑鋼の剣も悪くない。軽く、それが神技と合っている。
真っ二つになり、転がっている騎士の魔獣の方を見る。すると、その体から透明な棘の柱が生え、結晶へと変わり始めていた。
尖塔の前で戦った騎士と同じだ。
騎士の魔獣がマナ結晶へと生まれ変わり始めている。
そして、生まれた少し大きめのマナ結晶に触れる。
その瞬間、その中に残っていた記憶が流れ込んできた。
城の中の何処かの部屋。
少女を守る騎士とそれを取り囲む騎士。
取り囲んでいた騎士の一人が大きく口を開け、異形に、化け物へと姿を変えていく。まるで獣のように、大きな牙、大きな爪、触手のように伸びた体毛、恐ろしい化け物だ。
次々と騎士が姿を変えていく。
――ヒメ……サマ……オニゲ……クダサイ。
そこで記憶は途切れた。
『人が魔獣に変わる?』
『ふむ。どうしたのじゃ?』
『いや、この城で何が起こったのかな、と思っただけだよ』
少し大きめのマナ結晶を拾い、背中の袋に入れる。銀のイフリーダは少しだけ、物欲しそうに、その様子を見ていた。
『もう少しで強大な力を持った王のマナ結晶が手に入ると思うから……』
『うむ。少しの空腹は最高のスパイスだと、お主も言っていたのじゃ』
銀のイフリーダはそんなことを言っていた。
自分が、そんなことを? 言っていたかな?
覚えていない。
と、とりあえず先に進もう。
部屋の中にあるのは格子状の扉とレバーだけ。格子状の扉の先は上りの階段になっている。
このレバーが、格子扉を開けるための装置で間違いないだろう。
レバーに手をかけ、力を入れる。
動かない。
かたい。とてもかたい。
装置の内部が凍り付き、動きを止めているのかもしれない。
……。
……確か、こうだったはずだ。
静から動、一瞬で、一瞬に、力を入れる方法。その流れが爆発的な力を生む。
体が動き、レバーが倒れる。
そして、格子扉が開き始める。
『出来た』
『うむ。ソラの習得の早さには驚かされるのじゃ』
『うん。何でだろう。自分でも不思議なんだけれど、凄く上達が早い気がする』
『ふむ』
銀のイフリーダが腕を組み、少し考え込むような様子を見せる。そして、すぐに顔を上げた。
『ソラの中にあるマナが馴染み始めているのやもしれないのじゃ。それはソラの力を大きくしてくれるのじゃ』
『そう……なんだ』
『ただ、それはあくまで補助、ソラが本質を理解しているから、こそ、ということを忘れては駄目なのじゃ』
本質。
神技の本質ということだろうか?
よく分からない。
分からないが、自分の力になっているのなら、それで良いとしよう。
今は、考えるよりも階段の先へ向かう時だ。
階段の先。
先ほどのレバーで階段の先にあった扉も開いたのか、そちらから、恐ろしいまでの冷気と、強烈な威圧感が流れ込んでくる。
居る。
この向こうに、この先に、この吹雪の元凶が。
ついに辿り着いた。
この先で吹雪の元凶が待っている。
階段を上る……上がる、つもりで足を上げる。
しかし、その足が止まる。
いや、駄目だ。
迫る威圧感に足が止まりそうになるが、それでも一歩、一歩、確実に足を踏み出し、階段を上がる。
二歩、三歩。
……自分は勝てるのだろうか?
ここからでも感じる威圧感。この先に待っている元凶の存在感――恐怖。
歩くだけでも震えてくる。
恐怖で足が竦みそうになる。
冷たい風が、階段の先から流れている。周囲の温度が下がり、冷えているはずなのに、額からは止めどなく汗が流れ落ちる。
自分は、この先に待っている存在に恐怖している。
足が震えているのは寒いからじゃない。
恐れている。
足が止まる。
自分は、この先に待っている存在を恐れている。
すでに心で負けている。
駄目だ、漂ってくる威圧感だけで、それだけで心が折れそうだ。
ここまで来て、もう目の前なのに、勝てる気がしない。
何故? こんな、こんな、心が凍り付くようだ。
こんな、こんな、ここまで来て……。
『どうしたのじゃ、ソラよ』
銀のイフリーダの声が頭の中に響く。
言葉を返したいが、息が出来ない。この先に待っている存在に飲まれてしまっている。
こんなのは始めてた。
情けない。
と、そこで、異様な音、何かが戦っている音が聞こえてきた。
すでに吹雪の元凶と誰かが戦っている?
いや、この場で自分以外なんて、スコルしか居ない。
スコルが吹雪の元凶と戦っているのだ。
……。
スコルが戦っている。
戦っている!!
急ごう。
気力を振り絞り、自分の両ほっぺを叩く。叩く、叩く、叩く。
何を飲まれている。
スコルが戦っているんだ。
自分が行かなくてどうする。
自分の中の怯えを振り払い、一気に階段を駆け上がる。