137 食べる禁忌
戦う準備は出来たが、その前にやることが一つある。
「すいません。何処かに燃えるもの、火を起こしても安全な場所ってありませんか?」
一仕事終えてくつろいでいる亡霊に聞くと、不思議そうな表情で首を傾げていた。
「あ、ああ? 何をするつもりだ?」
「食事にしようかと思います」
その言葉を聞いた亡霊はさらに首を傾げていた。そのまま首がねじ切れそうな勢いだ。
「戦う前に活力をつけようと、持っている魔獣の肉を焼いて食べようかと思ったんです」
「なんと野蛮な!」
亡霊は大げさに驚いている様子だ。武器を鍛えてくれた恩人ではあるが、その態度には、少しだけ納得できないものがある。
「亡霊さんは食事をしないのですか?」
「そうか、食事か。食事だな。そうだな、食事は必要だな。忘れていたよ」
亡霊は何か改めて思い出したかのように、顔に手を当てている。その表情は、少しだけ暗く歪んでいる。
「それで、どうでしょうか?」
「あ、ああ。そうだな。ここでなら火を起こしても問題ない」
「肉を焼けば、かなり煙が出ると思います。それでも大丈夫ですか?」
亡霊が肩を竦める。
「ここは鍛冶場だぞ。火を扱っても問題無いように作ってあるのさ」
「それなら……」
「ただ、ここには燃やせるようなものは、何もないな。あるのは実験的に作った武器――金属ばかりだ」
燃やせるものが……無い?
それは困った。
吹雪を無理矢理突破することになったのも、燃やせるものが見つからなかったからだ。そして、この都市の中に入っても見つかっていない。
ここにもない。確かに、ここに転がっているのは金属製のガラクタばかりだ。
困った。
何処か探しに行くべきか。
それとも空腹を我慢して元凶の元へと進むべきか。
しかし、空腹というのは自分が考えている以上に戦う力を奪う。気合いや根性では乗り越えられない。
どうする?
どうすれば良い?
「まぁ、待て。燃やせるものはないが、燃やすことが出来るものならある……火なら起こせるからな」
燃やせるものはないが、燃やすことが出来るものなら、ある?
よく分からない。
「それは、どういう……」
「こういうことさ」
亡霊がこちらへと手を伸ばし、その手を開く。
もちろん手のひらには何ものっていない。
そして、その手のひらに火が生まれた。
「それは?」
亡霊が笑う。
「やはり知らなかったか。大気中のマナを燃やしているのさ。言うなれば、火を起こす魔法だな」
銀のイフリーダが行ったファイアトーチの神法とそっくりだ。
亡霊がゆっくりとした動作で、生まれた火を地面の上に置いた。
燃えない床の上で火の塊が燃えている。
よく分からない謎の現象だ。
「その火は、小一時間程度なら持つから、好きに使えばいい」
「ありがとうございます」
これで魔獣の肉を焼いて食べることが出来る。魔法の火で焼いても大丈夫なのか、少しだけ不安だが、そんなことばかり考えていては何も出来ない。
食事にしよう。
背負い袋を降ろし、中から凍らせていた魔獣の肉を取り出す。倒した魔獣の肉の殆どを語る黒さんに持って貰っているので、自分の手持ちはわずかしかない。しかし、今はこれで充分だ。
石の短剣を魔獣の肉に突き刺し、串代わりにする。
と、そこで背負い袋の中に見知らぬものが入っていることに気付いた。
蓋がついた小さな小瓶……いや、壺か。
見知らぬものだが、これを自分は知っている。
何故、背負い袋に入っていたのか分からないが、自分は、これを知っている。
拠点の蜥蜴人さんの誰かが入れたのか、それとも語る黒さんが入れたのか。いや、もしかすると学ぶ赤さんが……。
自分はこれの存在をすっかり忘れていた。
そして、新しく作られた緑鋼の剣の刃を改めて思い出す。
刃は鈍く、でこぼこになっている。それは、何かを流し込むにはちょうど良い凹凸かもしれない。
……。
覚えておこう。
今は食事だ。
石の短剣を突き刺した魔獣の肉を火の中に入れる。
凍っていた肉が溶けて焼け始めた。
周囲には肉の焼けた食欲を誘う匂いが漂い始める。
「生き物が焼ける匂いだな」
「そうですね。ところで亡霊さんは食事を行わないのですか?」
一度聞いたことだが、答えをはぐらかされたような気がしたので、もう一度だけ聞いてみた。
「私は亡霊だからな。すでに死んだのと同じだ。不要だよ」
亡霊は肩を竦めている。
食事をせずに生きていける生物がいるのだろうか?
もしかして、何かを隠している?
『イフリーダ、どう思う?』
自分の隣で肉が焼けるのを興味深そうに眺めていたイフリーダに聞いてみた。
『ふむ。こやつはマナイーターじゃな。我と同じようにマナを喰らうのじゃろう』
マナを喰らう?
しかし、何故、それを隠しているのだろうか。
『ふむ。それは、ソラの中にあるマナを狙っているからとも考えられるのじゃ』
銀のイフリーダの言葉。
自分の中にあるマナを狙っている?
だから、隠した?
焼けた魔獣の肉が油をしたたらせている。そろそろ良い焼き加減かもしれない。
魔獣の肉。
食べる。
食事。
生きている上で必要なものだ。
……。
「マナ……ですか?」
思い切って聞いてみた。
気付いていることを隠した方が良かったのかもしれない。それでも、武器を作ってくれた人を疑いたくなかった。
だから、聞いた。
「知って……いたのか」
亡霊が絞り出すような声で答えた。
「マナイーターですか?」
「無知かと思えば、予想外だよ」
亡霊の表情は嫌なものでも見せつけられたかのように歪んでいる。
「何故、隠したんですか? それは……」
自分を狙っていたから?
「違う、違うさ。お前たちの時代ではどうだか知らないが、私たちには、マナイーターはね、恥ずべき禁忌なのさ。そんなものにでも縋って生き延びたことを知られたくなかった」
亡霊は自虐的に笑っている。
よく分からない。
生き延びるために、必要なことをやるのが恥ずべきことなのだろうか。
焼けた魔獣の肉を喰らう。調味料が欲しくなる味だが、それでも空腹にガツンとくる美味しさだ。
「ごめんなさい、よく分かりません。今やっているように、自分は生きるために魔獣を殺して食べています。それと何か違うのでしょうか」
自虐的に笑っていた亡霊の顔が、驚きに変わる。驚いた表情でこちらを見ている。
「そうか、そうだな。お前は……ああ、少し救われた気がするよ」
亡霊が頭の上の犬耳をパタパタと動かして笑った。
よく分からないが、亡霊の中で、マナを食べることに対しての折り合いがついたのかもしれない。
……。
食事を終えたら出発しよう。
一時間という単位がある世界……とてもふぁんたじぃ。