128 氷の壁
毛皮のマントの上から魔獣の毛皮を纏う。魔獣の毛皮は剥ぎ取って乾かしただけの、何も処理をしていない状態だ。それでも風と寒さから身を守ってくれるはずだ。
折った鉄の槍から作った簡易松明に火を点ける。予想していた通り、酷い臭いと煙だ。そして、予想していたよりも燃えるのが早い。
「それでどうするのです」
「このまま外に出ます」
「それでどうするのです?」
「煙が向かう先を目指します」
語る黒さんは不思議そうな顔をしながらも、ゆっくりと頷く。
洞窟の外へ、吹雪の中へと踏み出す。
風が強い。
当たり前だが、洞窟の中よりも寒い。
寒さの段階が違う。
魔獣の毛皮と毛皮のマントを身につけているはずなのに、寒さが体に突き刺さる。しかし、耐えられないほどじゃない。寒さに負けてはいられない。
簡易松明の火は……消えていない。
布に魔獣の油を染みこませたのが良かったのか、この吹雪の中でも燃えている。
『良かった。これなら、この吹雪の中でも煙を追いかけることが出来る』
簡易松明から流れ出る煙が吹雪に吸い込まれるように漂う。
「この煙の先に向かいます」
吹雪の勢いは強い。吹雪によって、自分の視界が塞がれてしまっている。燃えている松明の明かりと手元の煙しか見えない。
「自分では手元の煙しか見えません。その煙が向かう先へと案内して貰っても良いでしょうか」
「任せるのです」
語る黒さんの言葉を信じて、その指示通りに進む。
自分でも、ある程度は手元の煙を見て進路を決めることが出来る。ただ、どうしても手元の煙だけでは、急に煙の動きが変わった時に対応が出来ない。
「戦士の王、止まるのです。煙は右にのびているのです」
「分かりました」
煙はゆらゆらとまるで生き物であるかのように動いている。
自分の手元からのびているはずなのに、油断すればおかしな方向へ進んでしまいそうだ。
あれ……?
もしかして煙がぐにゃぐにゃと動いているのではなく、自分が向いている方向が変わっている?
『イフリーダ、自分はまっすぐ歩いているのかな』
『ふむ。ソラはころころと向きを変えているのじゃ』
銀のイフリーダの声だけが頭の中に響く。その姿は見えない。この吹雪だ。何処かに隠れているのかもしれない。
『それは煙を追いかけているから……じゃないよね』
『うむ。煙はまっすぐに、先へと流れているのじゃ』
何かの力によって方向感覚を狂わされている?
視界を奪われていることが原因?
いや、それなら、ある程度は見えているはずの語る黒さんがぐるぐると同じ場所を回っていた理由にならない。
やはり、何かの力が働いていると考えた方が正しいようだ。
そうやって方向感覚を狂わされたとしても、この松明から流れている煙をたどる限り、いつか目的地にたどり着けるはずだ。
そこに何があるかは分からない。
この吹雪を起こしている何かがあると――あって欲しいと思っているだけだ。
「戦士の王、また向きが変わったのです。右手なのです」
「分かりました」
吹雪の中を進む。
思っていたよりも目的地までの距離がある。
煙を吸い寄せていることから、ある程度近い場所なのでは、と思っていたのだが、あてが外れたようだ。
簡易松明の火を見る。
これは間に合わないかもしれない。
あくまで簡易松明だ。しっかりと考えて作った松明じゃない。もちろん防風も考えていない。一応、火が消えないように手で守っているが、それでどれだけ防げているか分からないような状況だ。
この松明の火が消えたら、すべて終わりだ。
歩く。
歩き続ける。
自分がどちらを向いているのか、何処へ向かっているのか、分からない。
それでも、ただ、ただ、煙の進む方へと歩いて行く。
それに合わせて吹雪の勢いが強くなっていく。
自分たちの行く手を阻むように、身を守るように、吹雪は勢いを増していく。
本当に、スコルは、この先に向かったのだろうか。
自分は何か思い違いをしているのではないだろうか。
このまま進んで本当に大丈夫なのだろうか。
嫌な考えばかりが浮かんでくる。
「戦士の王! 火が、火が……消えるのです!」
語る黒さんの叫ぶような声を聞き、我に返る。
そして、手元の松明を見る。
その火が――消えようとしていた。
簡易松明が燃え尽き、消える。
残ったのは鉄の穂だけだ。
松明が短くなっていたはずなのに、それが分からなかった。松明の熱を、熱さを感じなかった。
松明を持っていた手を見れば、毛皮の手袋の一部が焦げて穴が空いていた。そんな状態になっているのに気付かなかった。手の感覚が麻痺している。
「火が消えた……」
どうする、どうすれば。
「任せるのです! まだ私には漂っている煙が見えているのです」
確かに煙はまだ少し残っているのかもしれない。しかし、そんなのはすぐに消えてしまう。見えなくなってしまう。
「戦士の王、任せるのです。少し、失礼するのです」
語る黒さんがこちらの手を取る。そして、そのまま自分を持ち上げた。
駆ける。
語る黒さんが自分を持ち上げて駆ける。
それは、なりふり構わない、後先を考えない、寒さを、風を、無視した走り方だった。
「こんな、語る黒さんの体が持ちませんよ!」
「任せるのです。私たちリュウシュはヒトシュよりも強いのです」
語る黒さんが駆ける。
吹雪の中を駆ける。
吹雪の勢いはさらに強く、何処までも強くなっていく。
まるで氷の槍の中を進んでいるかのようだ。
そんな中を語る黒さんが自分を抱えて走る。
院の人間で、戦士でもなく、それほど力があるわけでも無いはずなのに。それでも、自分を抱えて、語る黒さんが必死に駆けている。
そして、語る黒さんの足が止まった。
「語る黒さん?」
語る黒さんがゆっくりと自分を下ろす。
「戦士の王、どうやら、ここまでのようなのです。でも、後、少しなのです」
語る黒さんが前を指差す。
辺りは吹雪に包まれ、何も見えない。何も見えないはずなのに、語る黒さんの、その姿だけはしっかりと見えた。
語る黒さんが指差している場所が見える。
氷の壁。
何かを閉じ込めているかのような、そんな氷の壁だ。
何処かに隙間があるのか、漂っていた煙は氷の壁の向こうへと吸い込まれていたようだ。
「あそこが、吹雪の先……なのです」
そして、語る黒さんは吹雪の先を指差したまま動かなくなった。
動かない。
その足には氷の結晶が張り付いている。
語る黒さんが足元から凍り始めている。
氷に包まれようとしている。
「イフリーダ!」
自分は叫ぶ。
これは完全に何者かからの攻撃だ。
この吹雪は!
この先に!
その敵がいる。
吹雪を生み出している存在がいる。
もう吹雪の終わりは見えた。
そこまで語る黒さんが連れてきてくれた。
『うむ。ソラよ、敵は見えたのじゃ!』
鉄の剣を引き抜く。その刃には大きなヒビが入っている。
もう何度も振り回せるような代物じゃない。
だから、こそ。
一撃でッ!
鉄の剣を振るう。
吹雪を、氷の壁を、その先を――斬るっ!