シャル 1話
シャル視点です
その当時、シアルヴァンは信じていた者に裏切られ、もう何を信じれば良いのかわからなくなっていた。
シアルヴァンは現国王陛下の3番目の王子としてこの世に生を受けた。父親である国王陛下には4人の妻がおり、正妃は隣国の大国の王女、側妃に国内の有力貴族の娘が2人と、シアルヴァンの母でもある小国の貴族の娘だ。
シアルヴァンのまわりには物心ついたときから常にきな臭い陰謀が渦巻いていた。腹違いの兄である第1王子は王宮のテラスから謎の転落死を遂げており、他の王子たちも命を狙われるのは日常茶飯事。
その為、それぞれの王子には常に護衛の従者が付き、食事は勿論毒味係が確認してからではないと、絶対に口を付けないことを徹底していた。
シアルヴァンの毒味係は、シアルヴァンが物心ついた頃から彼の傍に居てくれた侍女であり、彼にとっては第2の母親のような存在だった。
いつも食事を目の前で一口食べてから、「殿下、沢山お召し上がり下さい。大きくおなり下さいな。」と微笑む。そして、シアルヴァンが食事中はいつも隣りに控え、その食べっぷりをにこにこと見つめているような女性だった。
その日、運ばれてきた肉製スープを先に口に含んだ彼女は、汁を零してしまったと言って自らのハンカチでその器を拭った。他の者がやったのであればシアルヴァンも警戒したのだが、全面的に信頼している彼女がやったことなので全く気にしなかった。
笑顔で手渡されたスープの器を受け取り、それに何の疑いも無く口を付けた。
すぐに異常に気付いて吐き出したが、毒は熊や猪に使うような劇薬指定の猛毒だった。焼け付くような喉の痛みと急激な息の苦しさに死を覚悟した。薄れゆく意識の中で「なぜ?」と彼女に問うと、彼女は口の端を持ち上げていつものようににっこりと微笑んだ。
「邪魔な路傍の石は小石でも放置すれば転ぶこともありましょう。小石は少なければ少ないほど良いのです。」
そう言いながらシアルヴァンを見下ろす瞳は、なぜか後悔と懺悔のような色が見えた。
母親のように慕っていた彼女は、自分の事をずっと『邪魔な路傍の小石』と思っていたのか。絶望で目の前が真っ暗に染まるのを感じた。
次に気付いた時、シアルヴァンはベットの上に横たわっていた。シアルヴァンの意識が戻ったことに気付いた医師達は大慌てで関係者を呼びに行った。
命が助かったことを母親は泣いて喜んだが、父親である国王陛下はただ静かにシアルヴァンを見下ろし一言こう言った。
「以後は気を引き締めよ。」
なんだか何もかもが嫌になった。あれから既に一か月近くが経っており、毒味係の侍女は捕らえられると奥歯に仕込んだ毒で自害したことを知った。
のちに彼女の実家の準男爵家がとある伯爵家から多額の借金をしており、爵位売却の危機であったことがわかったが、それと今回の事件を結びつける証拠はなにも無い。結局、彼女の実家の爵位は無くなり、彼女が自害したことにより真相は闇に葬り去られた。
シアルヴァンにはすぐに次の毒見係が付けられたが、すっかり人間不信となり王宮の自室に引きこもり、外に出ることは殆ど無くなった。
暫くそんな日が続き、心配した母親が父親である国王陛下に掛け合い、シアルヴァンは療養のために王宮を離れることになった。
行き先は父親である国王陛下自らが選定したという僻地の子爵領だった。領主であるラダルウィル子爵家は古くから王室に忠義を誓った由緒正しい子爵家であり、信頼出来る人間だという。
シアルヴァンがそこに行くことは、父親である国王陛下と母親である側妃、あとは一部の側近とラダルウィル子爵にのみ知らされた。
1週間かけてたどり着いたラダルウィル子爵領は、とんでもない田舎だった。見渡す限り、農地と民家と山しかない。そして、シアルヴァンの滞在先はラダルウィル子爵邸から歩いて5分程の、王家のお忍び用の屋敷だった。
シアルヴァンはそこでも引きこもりがちだったが、ある時護衛のアダムがそんなシアルヴァンを見かねて声をかけてきた。
「殿下。ここラダルウィル子爵領は田舎ではありますが、数々の神話の聖地があることでも有名でございます。気分転換に見に行かれてはいかがでしょう?」
「神話の聖地?」
「はい。天界の神々が地上に降り立つ場所とされている聖地が沢山あります。ここから歩いていける場所にもありますから、行ってみませんか?滝とせせらぎが美しい場所ですよ。」
シアルヴァンは自室から窓の外を見た。青い空が広がっていて絶好の散策日和である。
「まあ、行ってやってもいいが。」
その言葉を聞いたアダムは目を輝かせた。
「ではすぐに侍女に外出の準備を整えさせましょう。私が護衛とご案内を兼ねて付き添います。いいですね?」
「勝手にしろ。」
アダムはすぐに屋敷の執事というていを装った国王陛下からのお目付役であるバロンに報告に行った。
神話の聖地で神々が降り立つ場所。もし神々に会えたならば、彼らはシアルヴァンの願いを叶えてくれるのだろうか。
自分を王子という色眼鏡で見ずに、裏切らず、安寧を与えてくれる人間が傍に欲しい。
そんなことを考えて、シアルヴァンは馬鹿な事を、と首を振った。そんな人間はいないことを、シアルヴァンはこれまでの短い人生経験の中で既に知っていた。
***
「あちらですよ。ほら、耳を澄ますと滝の音が聞こえてくるでしょう?そのすぐ近くに大岩があり、そこが聖地ですよ。」
アダムに案内されてたどり着いた場所は、屋敷の近く山のふもとにある森に入って暫く歩いた場所だった。
鬱蒼と生い茂る木々に人一人がぎりぎり通れる小径を進んだ。よくもまあこんな場所に立ち入ろうと思ったものだと先人たちの好奇心の強さに脱帽した。
アダムが言う通り、木々を抜けていくと目の前に滝が見えてきた。高さ5メートル程の小さな滝だったが、滝と木々と合間から見える空のコントラストが美しく、幻想的な場所だ。
シアルヴァンはそのまま視線を移動させたとき、違和感を感じて咄嗟に足を止めた。滝のすぐ近くの岩の上に少女が横たわっていたのだ。
「おい、あんな場所に女の子がいるぞ。まさか死んでいるのか?」
「え?」
アダムにもその少女の存在は予想外だったようだ。咄嗟にシアルヴァンを庇うように腕を伸ばして制止した。
まさか本当に神が降臨したのか?シアルヴァンはアダムにその場に留まるように言い、警戒するように気配を消してそっと近づいた。じっと目を凝らしてよく見ると、僅かに少女の胸が上下している。
シアルヴァンがさらに距離を詰めると、少女はただ寝転んでいるだけのようで、なにやらブツブツと呟いているのが聞こえた。
「はあ、今日もダメか。」
「何がダメなの?」
思わず声をかけて少女を覗き込むと、少女はひどく慌てて飛び起きた。
ダークブラウンの波打つ髪に、同じダークブラウンの大きな瞳。色は白く、少し釣り気味のぱっちりした目元は長いまつ毛に縁どられており、焦ったせいか紅潮した頬と唇は薔薇色に色づいていた。
可愛い子だな。
リーズロッテに出会った時の第一印象はそれだった。王宮にいた時に見かけた多くの婚約者候補達のような豪華な美しさを纏った少女ではなかったが、シンプルなワンピースは彼女の魅力を引き立てていた。
リーズロッテはシアルヴァンのことを神様だと勘違いしているようだった。違うということを話すと、ガッカリしたようだったが、「じゃあ私とお友達になりましょう。」と言ってきた。
生まれてこの方、「お友達になりましょう。」などと言われたことはこれが初めてだ。シアルヴァンが呆気に取られて答えられずにいると、リーズロッテはにっこりと笑って拙い淑女の礼をして見せた。
「リーズロッテです。仲良くしてね。あなたのお名前は?」
「シアル・・・」
思わず名前を言いかけてハッとした。自分は命を狙われた身で、ここに療養に来ていることは極秘事項だ。こんな少女に対してでも身元を明かすべきではない。
しかし、リーズロッテはそんなシアルヴァンの胸の内は露にも知らぬ様子でにっこりと微笑んだ。
「シャルって言うのね。よろしくね、シャル。」
その瞬間、シアルヴァンはリーズロッテだけの『シャル』になった。