ロッテ 4話
待ちに待った夏休みはあっという間にやってきた。
リーズロッテは刺繍をとっても頑張ったので、お兄様は勿論のこと、タウンハウスの使用人達までリーズロッテのお手製刺繍入りハンカチを何枚も押し付けられる羽目になった。
リーズロッテは本当に沢山の刺繍をしたけれど、中でも一番上手にできたのは猫の刺繍をした作品だった。リーズロッテはトラ猫のトラをイメージして縫い上げたその作品をシャルにプレゼントすることにした。
王都からはラダルウィル子爵領までは馬車で片道1週間かかる。お兄様は仕事がありそんなに長い休みは取れないので、リーズロッテは侍女のステラと護衛2人と一緒に故郷へと向かった。無機質な建物の集合体が段々とバラバラになり、のどかな田園風景が広がり始めるこの景色の移り変わりがリーズロッテは大好きだ。
久しぶりの屋敷に足を踏み入れると、執事のジェームズが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。ロッテお嬢様。」
「ただいま。お父さまとお母さまは?」
「中にいらっしゃいますよ。」
それを聞いたリーズロッテは足早に家族のリビングに向かい、扉の前で立ち止まるとぽんぽんとスカートをはたいて身だしなみを整えた。そして、スッと背筋を伸ばして軽くドアをノックした。
「お父さま、お母さま。ただいま戻りました。」
きっちりとした淑女の礼を両親に披露したリーズロッテは、顔を上げて立ち上がったお母さまと目が合うと今度はその胸に飛び込んだ。
「ただいま、お母さま。」
「お帰りなさい。可愛いロッテ。とても素晴らしい淑女の礼だったわ。」
14歳になったリーズロッテは、既にお母さまと身長は変わらない。お母さまは自分と同じ大きさまで成長しているリーズロッテを小さな頃から変わらないように抱きしめると、髪を優しく撫でてくれた。
リーズロッテはお父さまとお母さまにも一枚ずつ刺繍のハンカチをプレゼントした。お父さまとお母さまは大変喜んで下さり、リーズロッテはその笑顔を見たらシャルにハンカチを渡すのが益々楽しみになった。
帰宅した日の午後、リーズロッテがシャルの住む屋敷に王都から帰省した旨の手紙を届ける遣いを出すと、その日のうちにシャルからは返事が届いた。内容を確認すると、いつものような力強くも美しい字で『明日の午前中に迎えに行く』と書かれていた。
まあ、大変だわ!
てっきりいつものように早朝に待ち合わせるのだと思っていたリーズロッテは手紙を読んで焦った。リーズロッテは一応は子爵令嬢であり、シャルは貴族ではない。正面から迎えに来ては追い返されると思ったのだ。
リーズロッテは慌ててお父さまに事情を話しに向かった。お父さまは執務室で机に向かい、書類の確認をしているところだった。
「お父さま。失礼します。」
「おや、ロッテ。どうしたんだい?」
お父さまはリーズロッテに気付くと書類から顔を上げて柔らかく微笑んだ。
「あ、あのね、明日の午前中に私のお友達が訪ねてくると思うの。彼は貴族じゃないけど怪しい者じゃないわ。だから、追い返したりしないで欲しいの。」
リーズロッテの言葉にお父さまは丸い眼鏡の奥を光らせて、顎鬚を撫でた。
「お友達?」
「ええ、そうよ。前に時々話した大通り沿いにある赤い屋根の大きなお屋敷に住んでいる人よ。彼は貴族では無いけど、礼儀正しくて模範的な紳士なの。」
せっかく来てくれるシャルを追い返されてはたまらない。リーズロッテはお父さまにシャルがいかに紳士であるかを説明した。
この舘の主はお父さまだから、お父さまを懐柔しておけば他の誰も文句は言えないのだ。
「ふむ。その彼はロッテにとって、とても大切な友人であることはわかったよ。ただ、未婚の男女が2人きりと言うのも妙な噂が立ちかねん。侍女のステラも連れて行きなさい。」
始めは訝しげだったお父さまが、リーズロッテが一生懸命に説明するうちに眼鏡の奥の双眸を細めて微笑んで頷いたのを見て、リーズロッテは心底ホッとしたのだった。ステラはリーズロッテの侍女で、リーズロッテのお転婆な性格をよくわかっている。女学校に入る前も、リーズロッテが屋敷を抜け出していくのを時々見逃してくれたものだ。
翌朝、リーズロッテは浮き足立ってお出かけの準備をした。一番のお気に入りの淡い黄色の動きやすいワンピースをきて、髪の毛は侍女のステラにシンプルに結い上げて貰った。今か今かと部屋から窓の外を覗いていると、暫くして金髪の若者が歩いて近づいてくるのを見つけて、リーズロッテは部屋を飛び出した。
「まぁ、リーズロッテ。淑女が走ってはいけませんよ。」
階段を駆け下りていくのをお母さまに見付かってしまい、リーズロッテは慌てて姿勢を正すと淑女の挨拶をした。
「お母さま。お友達とお出かけしてくるわ。ステラも一緒よ。」
「ええ、聞いているわ。気をつけて行ってらっしゃい。」
「まあ、お母さまったら知ってたの?」
お母さまの言葉にリーズロッテは目を丸くした。シャルは貴族ではないのに、なぜがリーズロッテの家族にとても好意的に受け入れられているようだ。リーズロッテはそれをとても嬉しく思った。
久しぶりに会うシャルはこの数カ月でまた少し背が伸びたようで、もはや少年では無くなってきていた。リーズロッテの屋敷に従者を連れてやって来たシャルはリーズロッテを見つけると優しく微笑み、まずはリーズロッテの父親に挨拶をした。
「ラダルウィル子爵、リーズロッテ嬢をおかりします。」
「世間知らずでお転婆な娘ですがよろしく頼みますぞ。」
「お任せ下さい。」
優雅に挨拶をしたシャルは、リーズロッテの手をとると見事なエスコートをして屋敷から連れ出したのだった。
リーズロッテはシャルを横目にちらっと見た。金糸のような美しい髪に透き通る碧の瞳、鼻梁は高く筋が通っており、大人びてきたシャルは王子様と言われても納得の見目麗しさだった。
「ねえ。シャルは貴族では無いのよね?」
「ああ、違うよ。」
「シャルは本当の貴族より貴族らしいわ。お父さまだって信用させてしまうし、挨拶だってとても優雅だし、エスコートも完璧だし。誰に教えて貰ったの?」
「家庭教師だよ。屋敷に何人か来るんだ。」
リーズロッテの質問に、シャルは淀みなく答えていく。シャルの話からすると、シャルのご実家は貴族並みの大金持ちであることは間違いないようだ。
リーズロッテとシャルは久しぶりにトラ猫のトラがいる滝の近くの聖地に向かった。仲良く会話しながら歩く2人の後ろをステラとシャルの従者が黙って付いてくる。リーズロッテは初めて会うこの従者の様子を伺い見た。
「今日は従者を連れているのね。」
「ああ。昨日、君とのデートの許可を貰おうとラダルウィル子爵に手紙を書いたんだ。そうしたら、2人きりは駄目だと返事が来たものだからね。」
「え?いつ??」
「君に書いた手紙と一緒に届いたはずだよ。」
リーズロッテは目を丸くした。シャルが言うことが本当ならば、リーズロッテがお父さまにお出かけの許可のお願いしに行った時、お父さまは既にリーズロッテがシャルと出かける計画をしていることを知っていたのだ。
リーズロッテは、友人と出かけたいと言ったときに、さも驚いたように振る舞っていたお父さまの態度を思い浮かべた。あれが演技だったのだとしたら、お父さまは物凄い役者のようだ。リーズロッテはお父さまの新たな一面を垣間見た気がした。