ロッテとシャル 第4話
デビュタントから約一年が過ぎ、リーズロッテは毎年恒例の王都のタウンハウスを訪れていた。
去年はリーズロッテのデビュタントがあったため、その準備でタウンハウスはてんやわんやだった。そして、今年はリーズロッテの結婚式がもうすぐ行われるため、タウンハウスはやっぱりてんやわんやになっている。
そんな中、スバル地区からシアルヴァンが王都に戻って来ているので、リーズロッテは久しぶりにシアルヴァンとお茶を楽しんでいた。
穏やかに晴れていたので屋敷のテラスにティーセットを用意し、紅茶をリーズロッテ自ら入れる様子をシアルヴァンは穏やかな気持ちで見つめていた。
「ロッテ。婚礼の準備で足りないものはないか?」
「ええ。シャルのお陰で、十分すぎる準備が整っているわ。」
リーズロッテの返事を聞くと、シアルヴァンは柔らかく目を細めた。シアルヴァンはリーズロッテが『シアルヴァン様』と呼ぶと、ちょっと不満そうな顔をする。なので、リーズロッテは2人きりの時はシアルヴァンを『シャル』と呼ぶようにしていた。
リーズロッテとシアルヴァンの挙式は2週間後に迫っていた。
当日は午前中に既に王位継承権を放棄しているシアルヴァンの正式な王室離脱の宣言と新たな公爵位の授与式が、午後からはシアルヴァン・ラ・トル・ガーディン殿下改めシアルヴァン・スバル公爵とリーズロッテ・ラダルウィルの挙式が行われる予定だ。
リーズロッテがティーカップをシアルヴァンの前に置くと、爽やかな紅茶の香りがシアルヴァンの鼻腔をくすぐった。
「ちょうどスバル地区は今、小麦が実り初めて畑全体が緑の絨毯のようになっている。ちょっと前までは大河沿いの河川敷の菜の花が美しかったのだが、それはまた来年だな。」
シアルヴァンは緑豊かに回復しつつあるスバル地区の様子を思い出し、感慨深げにいった。始めの頃の泥にまみれた景色とは比べものにならない美しい場所になった。
「まあ、それは素敵ね。実際に見るのが楽しみだわ。」
丸テーブルを囲んでシアルヴァンの隣りに腰を下ろしたリーズロッテは緑の絨毯のようになった畑や、大きな川沿いに黄色く染まる河川敷を想像して目を輝かせた。
当初シアルヴァンはリーズロッテを挙式前にスバル地区に呼び寄せようとしていた。しかし、リーズロッテは捨てられた子犬のような、とても淋しそうな目をした父親がなんだか不憫に思えてしまい、結局は挙式まではラダルウィル子爵領で過ごす事にした。
だから、リーズロッテがスバル地区に足を踏み入れるのは挙式の後が初めてになる。
シアルヴァンから話を聞く限り、自然豊かで美しい場所なのだろう。リーズロッテはまだ見ぬ新天地に思いを馳せた。
「そういえば、屋敷の近くに聖地も在るのでしたっけ?」
「ああ。馬に乗れば10分程で着く崖の際にある洞窟なんだ。落ち着いたら連れて行ってやる。」
「はい。楽しみだわ。」
聖地はリーズロッテとシアルヴァンの出会った特別な場所だ。リーズロッテは、新たな新天地にもその1つがあることをとても嬉しく思った。
「そこに神様はいるかしら?」
「うーん、どうだろうな。神々の姿は誰も知らない。だが、私はロッテと出会った聖地で願いが叶ったぞ。」
「まあ、そうなの?」
「ああ。自分を王子という色眼鏡で見ずに、裏切らず、安寧を与えてくれる人間が傍に欲しい。そう願ってあの地を訪れてロッテに出会った。」
シアルヴァンの大きな手が膝の上に置かれたリーズロッテの白い手に重なる。熱っぽい瞳で見つめられて、リーズロッテは頬に熱が集まるのを感じた。
「私は最初は『王都に行きたくない』とか『今日のおやつはマカロンが良い』とか、そんな願いごとばかりだったの。でも、いつの間にかいつも同じことを思うようになっていたわ。『このままずっとシャルの隣りにいたい』って。」
こちらを見つめる深い碧の双眸が柔らかく細められ、大きな手がそっとリーズロッテの頬を撫でた。そのままゆっくりと顔が近づき、目を閉じると優しく唇が重なる。
たったそれだけのことで、心の底から幸福感がせり上がってくるのを感じた。
神の姿は誰も知らない。どれも本当でどれも嘘。
居るはずのないトラの「ニァオ」という鳴き声が聞こえた気がしてリーズロッテは咄嗟に庭園の方へ振り返った。
「いま・・・」
リーズロッテとシアルヴァンは顔を見合わせて2人で並んでテラスの手摺りの前に立った。そこには木々が優しい風に揺られ花が咲き乱れる、いつもと同じ景色が広がっていた。