ロッテとシャル 3話
領地の収穫高の書類に目を通していると、トルトンとノックの音が聞こえてラダルウィル子爵は顔を上げた。入室許可を出すと執事のジェームズが無表情に一通の封筒を差し出した。
真っ白で上質な厚紙の際に金色の装飾が施されたその封筒を見た瞬間、ラダルウィル子爵は顔を顰めた。
裏の差出人を確認すると、それは予想通りの人物、シアルヴァン・ラ・トル・ガーディン。愛娘、リーズロッテの婚約者であり、この国の第三王子殿下でもある。
見なかった事にしたいが、見てしまったからには内容を確認して返事を書かないわけにはいかない。ラダルウィル子爵は仏頂面のまま、その上質な封筒をベーパーナイフを使って開けた。
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ラダルウィル子爵
ご無沙汰しております。
こちらスバル地区の事業は順調に進んでおります。先日、第二区の急カーブの直線化工事が終了、堤防も1メートル嵩上げしました。
想定される雨量での洪水は起こらない状態になったとみて良いでしょう。
ご安心下さい。
シアルヴァン・ラ・トル・ガーディン
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用件のみが書かれた、非常に簡潔な手紙である。
ラダルウィル子爵はこの手紙を見て頭を抱えた。敵はなかなか手強い。ああ言えばこう言ってくる。
実はこの前段で、ラダルウィル子爵はシアルヴァンと何通かの手紙のやり取りをしている。
まず最初に来た手紙は結婚式の時期を早めたいという趣旨の手紙だった。それに対し、ラダルウィル子爵はこう書き綴った。
『王室に嫁ぐのだから1年以上の準備期間を置くのが常識。バカ言ってんじゃねぇぞ。』
非常にやんわり、このような趣旨の返事を出した。それに対し、シアルヴァンからの返事は簡潔に言うとこうだった。
『国王陛下も良いって言ってたよ。それに俺、王族じゃなくて、貴族になるから。』
何通かの手紙バドルを繰り広げた後、結局押し切られた。一年半後の予定だった結婚式はちょうど一年後に早められた。愛娘のリーズロッテがそれをとても喜んでいるようなのもしゃくに障る。
そして、次なる手紙が来てラダルウィル子爵はその身を震え上がらせた。その恐怖の手紙の内容はこうだった。
『まだ婚約中だけど離れているのが耐えられないからリーズロッテをこっちに頂戴』
なんという恐ろしい男。愛娘を一日も早く親から奪い手元に置く気満々である。しかし、そうは問屋が卸さない。対するラダルウィル子爵はこう書き綴った。
『時々洪水が起こる危険地帯に娘はやれん。せめて式が終わってからにしろ。バカも休み休み言いやがれ。』
愛娘のリーズロッテの婚約者のシアルヴァン殿下はリーズロッテに恋をした。そして、愛娘を手に入れる為に引き篭もりがちだった生活から大事業の総指揮官になるほどの行動をおこした青年だ。まさに狙った獲物は逃さないとはこのことだ。
もちろん、ラダルウィル子爵とて、シアルヴァン殿下がリーズロッテを心から愛していることはよくわかっている。そして、悔しい事に愛娘のリーズロッテもシアルヴァン殿下に心底惚れ込んでいる。
しかし、リーズロッテはまだ16歳。もう少し手元に置いておきたいという親心は禁じ得ない。
ラダルウィル子爵はもう一度届いた手紙を見返した。このままでは娘をすぐにでも連れ去られてしまう。指で額を押しながら、熟考に熟考を重ねてからペンをとった。
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シアルヴァン殿下
事業が順調とのこと、心からお慶び申し上げます。
娘を含め家族諸共、殿下に輿入れする日を心待ちにしております。
ただ、噂に聞くところでは殿下は事業用事務所の近くの屋敷に共同で暮らして居るとこと。
まだ未熟者の娘がそのような共同生活に耐えられるとも思えませんし、近くに適切な屋敷も無いとか。
お見苦しい姿を見せない為にもスバル領事館が完成してから万を期してそちらに伺う所存です。誠に残念でなりません。
ラダルウィル領主 ラダルウィル
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要は、『屋敷が出来てからじゃ無いと行かせないよ。残念でした。』と書いたわけだ。屋敷を建てるのは少なくとも半年以上はかかるはずだから、式のぎりぎりになるはずだ。我ながらいい返しだとほくそ笑んで執事のジェームズに手紙を手渡した。
その2週間後、再び上質な封筒が届きラダルウィル子爵は眉間に皺を寄せた。差出人は予想通り、シアルヴァン・ラ・トル・ガーディン。嫌な予感をびんびんと感じながら、恐る恐る封を開けた。
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ラダルウィル子爵
ご無沙汰しております。
リーズロッテは将来の私の妻です。愛する彼女を共同生活の屋敷に住まわせるなど、ご冗談を。
実は子爵に婚約を申し入れた日にすぐに屋敷の建設を手配しました。現在建築中であと2カ月もすれば完成するでしょう。
スバル領事館を兼ねるこの屋敷はラダルウィル子爵領の王家の屋敷の3倍ほどはある大きなもので、客室も沢山用意しております。
是非、ラダルウィル子爵夫妻も泊まりでお越し下さい。いつでも歓迎いたします。
シアルヴァン・ラ・トル・ガーディン
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ラダルウィル子爵は思わず持っていたペンを指からポロリと落とした。
なんということだ!既に屋敷を手配済みだとは、なんと仕事の出来る男なのだ。流石に陛下から公爵位を賜る予定なだけある。
しかし、このままでは愛娘、リーズロッテが!!
追い込まれたラダルウィル子爵は最後の手段に出る事にした。
その日の夜、リーズロッテはお父さまとお母さまと3人でテーブルを囲んでいた。お兄さまは仕事でずっと王都のタウンハウスにいるので、最近はいつも3人で食事をとっている。
「ロッテ。もうすぐここを離れるのは寂しいんじゃないか?」
優しく見つめてくるお父さまにそう言われ、リーズロッテは少し首をかしげて考えた。
「うーん、そうね。でも、スバル地区もとても自然豊かで素敵なところらしいから、とっても楽しみだわ。シアルヴァン様もいらっしゃるし。」
「そ、そうか?お前のよく行っていた滝の近くの聖地も行けなくなる。寂しいだろう?」
「そういえば、スバル領事館のすぐ近くにも聖地があるんですって。どんなところかしら?シアルヴァン様と行きたいわ。」
「くっ。スバル地区に行くとここに戻ってくるのは5日はかかる。滅多に戻ってこれなくなるぞ。寂しいな??」
「あのね、シアルヴァン様がこれから大河に馬車も通れる橋を架けて下さるのよ。橋が出来れば5日掛かってたのが2日になるわ。1週間かかる王都に毎年行っていた事を考えれば、隣みたいに近くなるわね!」
なんとかリーズロッテの『寂しい』という言質を取ろうとラダルウィル子爵はあの手この手で頑張るが、その全てにシアルヴァンが先手を打っている。本当に、何と恐ろしい男なのだ!
出来すぎる男に愛娘をロックオンされることほど恐ろしい事は無い。その日の夜、ラダルウィル子爵はブランデーを片手に、娘の親離れにひとり涙したのだった。