ロッテとシャル 2話
多くの人々の雑踏がひしめく中、シアルヴァン第三王子の護衛騎士であるアダムは平民の姿をして護衛対象を尾行していた。
薄茶色のくたびれたシャツにベストを重ね、黒のズボンを履いたアダムはどこからどう見ても平民だ。
そして、この尾行の相手はリーズロッテ・ラダルウィル。ラダルウィル子爵の長女であり、アダムの主であるシアルヴァン殿下の想い人でもある。そもそも、この仕事は主であるシアルヴァン殿下より直々に仰せつかった。
「アダムは王都に行って欲しい。護衛は他にもウィルやスベン達がいるし、アダムはロッテに変な男が付かないように見張っておいてくれないか?」
スバル地区に旅立つ前に唐突にそんなことを言い出したシアルヴァン殿下の命により、今日もアダムは女学校の終わった後のリーズロッテの跡を尾行する。ちなみにウィルとスベンはアダムと共にシアルヴァン殿下をお護りする護衛騎士の仲間の名前だ。
その日、リーズロッテは女学校を終えたあと馬車でまっすぐには帰らずに、王都の繁華街に向かった。
馬車から降りると馭者に何かを伝えてから周りの様子を気にせずにてくてくと歩きはじめたリーズロッテは上質なワンピースを身に纏い、貴族令嬢らしく上品で愛らしい。今日はピンクと白のワンピースで、彼女の雰囲気によく似合っていた。
そして、そんなリーズロッテを見かけて声をかけようとする男がいようものなら、アダムはさっと彼女の背後にまわり射殺さんばかりの睨みを利かせて無言の牽制をするのだ。
万が一これでロマンスが生まれようものなら、大事な主であるシアルヴァン殿下が失恋することになる。絶対にそれだけは阻止しなければならない。
何人かに睨みを利かせながら強面で歩くアダムのことなど露知らず、リーズロッテは一件の店舗へと消えた。
ここはリーズロッテの行きつけの手芸用品店だ。リーズロッテは刺繍が趣味のようで、2週間に一度ほどの割合でここの店に来る。
アダムがそっと店の中を覗くと、リーズロッテは熱心に刺繍糸を選んでいた。何色かを見比べて籠にいれると、今度は刺繍の図案集を眺めだした。
リーズロッテの刺繍糸の購入頻度からすると、かなりの量の刺繍を作っているのは間違いない。そしてその作品の一部は主であるシアルヴァン殿下に手紙と共に贈られているそうだ。
以前に刺繍を贈られた時のシアルヴァン殿下のに嬉しそうな顔と言ったら、もう喜びを顔全体で表す子供のようだった。
何度もハンカチを取り出しては眺め、刺繍の上を指でなぞり、そして少しだけはにかむ。まさに恋する乙女ならぬ、恋する乙男である。
絶対に主であるシアルヴァン殿下の恋を成就させる。そのために、アダムは今日もひたすらリーズロッテの後をつけ回すのだ。
***
アダムはそっと物陰から護衛対象の様子を窺った。そして、こんな日が来るとは、と胸がじんわりと熱くなるのを感じた。
仲良く腕を組み寄り添って歩き、時々何かの会話を交わしながら微笑み合う姿は愛し合う男女そのもの。そこにはリーズロッテとアダムの主であるシアルヴァンの姿があった。
先日のデビュタントで想いをしっかりと通わせた2人は、本日デートで街に出ている。
普通、貴族の婚約者同士と言えば男性が女性の屋敷にご機嫌伺いに赴き、お茶をしながらお喋りをしたりする。しかし、リーズロッテとシアルヴァンはどうやらそういうデートはお好みで無いらしい。なんと、2人して平民に変装して街デートに出かけてしまった。
普通だったら止めるところだがシアルヴァンは数日後にはスバル地区に戻らなければならない。束の間の休息に羽を伸ばさせてあげたいとも思った。
リーズロッテは若草色のシンプルなワンピースに髪をハーフアップにまとめ、白いリボンで結んでいた。一方、シアルヴァンは白いシャツに黒いズボンでこちらもシンプルに纏めていて、並んでいる2人は金持ちの平民の初初しいカップルに見えた。
そして、護衛のための尾行を始めて数時間、アダムは既にお腹いっぱい、ご馳走様でしたと逃げ出したい衝動に駆られていた。
先ほど人気のカフェに入った2人の前には店の商品全てを注文したのでは無いかと思われる量のスイーツ類が並べられていた。それらを一口ずつリーズロッテに餌付けするように食べさせては嬉しそうに微笑むシアルヴァン殿下。そして、リーズロッテもお返しとばかりにシアルヴァンにアーンで食べさせていた。
王位継承権を放棄して暗殺の心配が無くなり、好きなものを好きなときに食べられて嬉しいのはわかる。しかし、今の姿は傍から見れば完全に恋の熱に浮かれてバカになったカップルである。
殿下、あぁ殿下、とても最近のテキパキと指示をする立派な総指揮官ぶりからは想像すら出来ない腑抜けた姿である。絶対に殿下の補佐役達には見せられない。
そして今、2人は小物の店に入ってリーズロッテの髪飾りを選んでいた。シアルヴァン殿下が直々にその髪に飾りを付けて蕩けるように微笑み、何かを耳許に囁いた。
すると、リーズロッテの頬がみるみるうちに薔薇色に染まり、潤んだような瞳でシアルヴァン殿下を見返していた。
きっと「妖精のように美しい」だとか、「あまりの可愛らしさに今すぐ君を連れ去って隠したい」だとか、そんなような歯が浮きそうな甘言を囁いているんだろうなぁ、とアダムは遠い目をした。
くっ、わが主ながら幸せが滲み出すぎている。正直言って羨ましいぞ。はっ!!まさか店の中でキスしたりしないだろうな?そんなふしだらな行為はこのアダムが止めなければ!!
そんなことを考えて地団駄踏んでいたら、あろう事か護衛対象を見失った。なんという不覚!!
「もし、こっちですわよ。」
きょろきょろとして想定外の事態に焦っているところに冷静に声をかけられてふと見れば、見たことのあるご婦人がこちらを気の毒そうに見つめていた。彼女が指し示す方向には殿下と覚しき金色の頭が少し見えている。
「お互い大変ですわね。お嬢様が幸せなのは良いのですが、ご自分達の立場をもっと考えて欲しいものですわ。」
はぁっと溜息をついて金色の頭の方向を見つめているご婦人をみて、はっとした。
「もしや、ステラ殿も尾行ですか?」
「ええ。子爵様がロッテ様のデートにいても立っても居られずに尾行して報告するようにと。もう完全に2人の世界ですわね。」
アダムとステラはお互いに見つめ合い、苦笑しあった。そしてすぐにまた護衛対象に近づいてそっとその様子を見守る。
若い2人の甘い時間はまだまだ終わりそうに無い。