シャル 3話
女学校から一時帰省して久しぶりに会うリーズロッテは花が咲き始めたかのように美しかった。
ふっくりとして幼かった顔立ちはしゅっとして顎が細くなり女性特有の美しさを纏い始め、触れると壊れそうな可憐さだった。そして、近くによると花のような甘い香りが鼻を掠めて引き寄せられるような魅力を放っていた。
シアルヴァンはそう思ったから、リーズロッテに「綺麗になった」と素直な褒め言葉を贈った。すると、リーズロッテは驚きで目を瞠り、薔薇色に頬を染めて照れていた。そんな姿もシアルヴァンにとってはたまらなく愛しい存在だった。
スバル地区に行くことをリーズロッテに伝えたとき、リーズロッテはとても不安そうな目でシアルヴァンを見上げた。
「絶対に行くの?」
「うん、行くよ。多分、事業自体は10年以上かかるだろう。僕も少なくとも最初の2年は戻って来ないつもりだ。」
「2年も?ずいぶん長いのね。」
「そうだね。でも、僕はどうしても自分の手で手に入れたいものが出来たんだ。だから行くよ。」
自分に2年も逢えなくなると知り、目にいっぱいの涙を溜めて悲しみにくれるリーズロッテの姿はシアルヴァンを歓喜させた。
リーズロッテが自分を慕ってくれていると改めて確信するには十分だった。
「ねえ、ロッテ。僕は君にまた会いに行くよ。もっと自信を持って誰に見せても恥ずかしくない自立した男になって会いに行く。だから、泣かないで。」
別れの日、リーズロッテは少し腫れた目でこちらを見て、少しだけ微笑んでくれた。その後もぽろぽろと泣くリーズロッテを見ているのは、シアルヴァンにとっても胸が痛んだ。シアルヴァンはリーズロッテの乗った馬車が見えなくなるまでその姿を見送った。
ロッテ、僕はどうしても君が欲しいんだ。
だから僕は行かなきゃならない。
***
スバル地区の惨状は思った以上に酷いものだった。特に、今回の雨季に大氾濫を起こしたのがまずかった。この治水計画が立てられた時の前提より遙かに悪条件だった。
川の至る所で堤防が決壊して畑や家屋が水没する被害は広範囲に亘り、たった1つしかない歩行者用の小さな橋も流されていた。道路はぬかるみ、畑は瓦礫の山。
これは、10年どころか15年以上かかる事業になるかも知れない。最初にスバル地区に足を踏み入れたとき、シアルヴァンはそう覚悟した。
そして、辛いときはリーズロッテがくれたハンカチの刺繍を撫で、この事業を成功させると誓った。
総指揮官と言ってもシアルヴァンにはまだ圧倒的に経験値が足りない。その為、シアルヴァンには複数の補佐役の指揮官がつけられた。
その中でも一番若いフィスラー候爵家の嫡男のドルエンは、シアルヴァンと同じ17歳でまだ王立学校を卒業したばかりだった。ドルエンはシアルヴァンにとっては父方の従兄弟でもあり、幼いときからよく知った存在だ。ドルエンが居てくれたことはシアルヴァンにとっては精神的支えとなった。
そして、熟練の補佐役達は躊躇なくシアルヴァンに意見し、過ちを見つけると厳しく叱咤してきた。そのお陰でシアルヴァンは未熟ながらも日々鍛えられて成長した。
恐らくそのような効果を狙ったと思われる今回の人事に関し、シアルヴァンは父親に深く感謝した。
スバル地区での生活が半年ほど経ったある日、作業員名簿を見ながら「おっかしーな-。」とぼやくドルエンを見かけてシアルヴァンは声をかけた。
「どうした?作業員になにか不都合があったのか?」
「いえ、不都合と言うわけでは。ただ、私の婚約者から友人が慕っている若者の安否を教えて欲しいと手紙が来たのですが、該当者が居ないのです。」
いつもなら聞き流すような内容だった。しかし、なにか引っ掛かったシアルヴァンは少しその作業員について聞いてみた。
「ドルエンの婚約者の友人と言うことは貴族令嬢だな?どの家の誰を探している?」
今回の事業に合わせて多くの貴族の子息達が補佐役や指揮官として派遣されているが、全部で50人も居ない。探せないはずはないと思った。
「探している相手は貴族じゃなくて、平民みたいなんです。名前は『シャル』で金髪碧眼、歳は私達と同じころ。『シャル』や『金髪碧眼』だけなら何人かいるんですが、完全に条件が一致する作業員登録者は居ないんですよね。」
聞き間違えかと思った。ここで働く自分と同じ年のころで金髪碧眼のシャル。その存在を知る貴族令嬢はこの世に1人しか居ない。リーズロッテだ。
「手紙を見せてくれ。」
「ええ!いくら殿下でも婚約者とのプライベートな恋文を見せるのはちょっと・・・」
「その該当部分だけでいい。見せろ。」
渋るドルエンから該当部分の手紙を奪い取ると、内容を確認した。そのドルエンの婚約者であるヴィアンヌ嬢からの手紙には確かにラダルウィル子爵令嬢のリーズロッテが密かに慕っている若者の安否を気にしていると書いてあった。
シアルヴァンは歓喜した。リーズロッテは離れて半年経っても自分を心配し、安否を知ろうとしてくれている。無事であることを知らせないという選択肢は無かった。
「その『シャル』は私だ。」
完全に予想外の告白にドルエンは目を見開いて驚いていた。驚きのあまり、手にしていた作業員名簿がバサリと落ちて、木板の床にばらばらに散らばったほどだ。
「はぁ!?殿下は一体何やったんですか!?偽名に身分詐称して貴族令嬢を誑かしたのですか??」
「人聞きの悪いことを言うな。事情があって、彼女には身分と名前を明かしていないんだ。いい具合にぼかして無事だと伝えてくれ。」
「いい具合にぼかせって・・・」
呆れて一言もの言いたげな視線を向けてくる従兄弟を適当にあしらい、シアルヴァンは仕事に取り掛かった。
必ずこの事業を軌道に乗せて、誰にも文句を言わせずに正々堂々正面からリーズロッテに求婚する。その決意がシアルヴァンの原動力となっていた。