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◇闇に蠢く者たち

 上天に浮かぶ月に薄雲が懸かり、地上には僅かな光しか届かない。そんな薄闇の中、数人の男たちがそろりそろりとやぶの中を進んでいた。彼らが目指すのは、窓から漏れ出た明かりが闇の中にボンヤリと浮かぶ家屋。男たちは、その屋敷の庭先に潜んでいたのである。一切の気配を断ち、物音ひとつ立てない仕草から、ただの物取りのたぐいとは思えない。しんと静まり返った庭先に漂うのは、微かに男たちから漏れ出る汗の匂いのみであった。

 と、その時――雲の切れ目から月が顔を出し、庭先に面した家屋の前に、月光に照らされ人影が浮かび上がった。その人影が、腰に差した剣をすらりと引き抜くと同時に、濃密な気配を庭先に向かって噴出させた。途端に、庭先の闇に潜んでいた男たちが、殺気混じりの強烈な剣風に当てられ、びくりと体を震わせる。

 

 男たちの前に立ち塞がるように現れた人影は、護衛士のガウエン。

 護衛士とは、契約に基づき人や商隊等、あらゆる物を守護し生業とする者達を総じて、人々からそう呼ばれていた。国や傭兵団、或いは商会等の決まった団体に属さず、あくまで個人で仕事を請け負う者達が、護衛士と呼ばれているのである。その護衛士の中でも、ガウエンは『鈴鳴りのガウエン』と呼ばれ、腕利きとして知られていた。


 ガウエンは、寝起きする屋敷の周りで生じた静寂に、逆に不審を覚えたのだ。というのも、最前まで聞こえていた虫の音が、ぱたりと止んでしまったからである。庭先の異変に気付いたガウエンは、気配を消し去り物陰に隠れ、男たちが近付くのを待ち構えていたのだ。そして、頃合いを見計らって、剣を引き抜くと同時に、一気に殺気を迸らせたのである。

 男たちからすれば、突如、闇の中からガウエンが現れたかに思えた事だろう。これが、ただの盗賊のたぐいであれば、とてもかなわぬとみて或いは算を乱して逃げ散ったかも知れない。が、男たちも、ただの賊ではなかった。一瞬その身を強張らせて竦ませたものの、相手が一人と見て取り、すぐさまガウエンを半円に囲み襲いかかった。

 

 ひゅん――


 と、風切り音を鳴らして、闇の中から数本の矢柄が飛来する。囲みの外側にいた男が、半弓から矢を放ったのだ。近間から放たれる矢を切り払うのは、陽の光が明るい昼間でも難しい。だのに、今は月の光が僅かに届く夜の薄闇。誰もが、仕留めたと思った事だろう。ガウエンを囲む男たちも、息の根を止めるのは無理としても、何がしかの手傷を負わせる事は出来ると踏んで、同時に動き出す。

 だが、ガウエンは全ての矢柄が見えているかのようにあっさりと切り落とし、その余勢のまま、鋭く踏み込み突っ込んでくる賊の男たちに刃の切っ先を向けた。


「むんっ!」


 ガウエンも、賊の男たちもある意味一流の武人。闇の中、お互いから無言の気勢のみが飛び交う。が、ガウエンが振るう太刀からは、涼やかな鈴のが鳴り響く。太刀の柄頭つかがしらに、赤い組紐で結ばれた二つの鈴が、神韻しんいんとした調べをかなでているのだ。

 月の輝きを反射させてきらめく刀身が、夜の闇を切り裂き拍子を刻む。それは、月光の下、神秘的ですらあった。

          

 ――ちりん


 鈴の音が鳴り響く度に、男たちがガウエンの前に体を投げ出し、あっさりと斬られ果てていく。鈴の音で拍子を刻み相手を誘い、その動きすらさえも支配する。それが、ガウエンの秘剣『鈴鳴りの剣』であった。

 瞬く間に、賊の男たちを制圧していくガウエン。噂にたがわぬ、恐るべき剣士である。


                       ◇      


 街の上空を覆う曇天どんてんの空。数日前から降り続く、叩き付けるような激しい豪雨。大粒の泥混じりの雨は、港湾都市アレッサルの街並みを泥濘でいねいまみれた街へと変えていく。街の外れに位置する雑多な物や人で溢れる貧民街などは、満足な排水等がなされるはずも無く、まるで汚泥おでいの中に埋もれていくようであった。

 その貧民街の路地裏を、雨合羽に身を包む痩身そうしんの男が足早に走り抜けていた。くるぶしまでどろに埋まり、何度も足を取られよろける。その度に舌打ちし、恨めしげに憎しみ混じりの眼差まなざしを頭上の空へと向ける。少しなで肩の優男やさおとこ。一見すると、どこにでもいそうな男。やもすると、人ごみに埋没まいぼつしそうにさえ見える。

 だが――

 びちゃびちゃと、音を鳴らして優男の足元からどろが飛び散った。跳ねた泥が、路傍ろぼうの軒下で雨を避け座っていた男に飛んだ。すると、軒下にいた男が、ムッとした様子で優男に非難の目を向けた。それに気付いた優男が足を止め、軒下の男に冷眼を向けた。途端に、軒下にいた男は身を縮めて、目を伏せる。男のまとう雰囲気が、ただならぬ粗暴さを漂わせていたからだ。それは、人の道を踏み外した者特有の雰囲気であり、近寄りがたい様子を漂わせていた。軒下の男は、その気に当てられ体をぶるぶると震わせた。優男は一頻ひとしきり睨みつけた後、「ふん」と鼻を鳴らし、また走り出した。軒下にいた男は首をすくめ、ホッと安堵の吐息を漏らしていた。


 貧民街の入り組んだ路地は、初めて訪れた者を迷わせ寄せ付けない。しかし、優男は迷いなく確かな足取りで走り抜けて行く。そして、一軒の廃屋はいおくの前で足を止めた。いや、そこは廃屋ではなかった。軒先にぶら下がる菅笠すげがさが、なかば朽ち果てかけるその家屋に、何者かが住み着いていることを示していた。

 足を止めた男が、ため息混じりの息を吐き出す。と、上空より降りしきる雨足が、それに反応したかのように、ようやく衰えてきた。その様子に男は、もう一度、頭上の空を見上げ、舌打ちと共に腹立ちまぎれの呪詛を呟く。そして、玄関の立てつけの悪い引き戸を、がたぴし音を鳴らして乱暴に引き開けた。


「旦那ぁ!」


 雨合羽についた滴を払いながら、家屋の奥に向かって大声で怒鳴るも、返事はない。

 男は振り返ると、軒先にぶら下がる菅笠を確かめ、もう一度大声で怒鳴る。


「旦那ぁ、いるんでしょう! 勝手に上がらしてもらいますよ!」


 そう言うと、男は泥にまみれた靴のまま、無造作に家の奥へと突き進む。といっても、家屋かおくの中はそれほど広い訳ではない。床は外から続く剥き出しの土間、入ってすぐに居間と奥にもう一部屋あるだけだ。愚図つく天気のためか、明りとりの窓は板戸で塞がれ室内は薄暗い。

 男は、室内の暗さに「ちっ」と舌打ちをする。居間の中に誰もいないのを確かめると、口中でぶつぶつと愚痴ぐちをこぼしつつ、半ば手探りで奥の部屋に向かった。だが、そこももぬけの空。奥の部屋には簡素なベッドがあるのみで、使い古された毛布が無造作にたたまれていた。


「あれ、おかしいな……いると思ったけど。この雨の中、旦那はどこをほっつき歩いてるのやら」


 男がぶつぶつと文句を呟いているちょうどその時、「きえぇい!」と、裏庭から気合いのこもった声が聞こえてきた。


「ん、もしかして旦那の声か?」


 居間には、玄関以外にも庭へと抜ける裏口の扉があった。

 男はその事を思い出し、まさかと首を傾げつつ裏口へと向かう。そして扉を開けると、驚きよりも先に呆れた声をあげる。


「旦那ぁ、こんなとこにいたんですかい」


 扉の向こう、裏庭の中で、上半身は裸の壮年の男が槍を振るっているのだ。顔の下半分は髭に覆われ、その表情まではあまりはっきりとは分からない。そして、がっちりと大柄な体格なのだが、何よりも目を引くのは、その横幅である。首周りや肩、腕、胸板と、筋肉の束がみっちりといわおのようにまとわり付き、太いすじとなって浮き出ていた。まるで、丸々とした筋肉だるまである。

 その筋肉だるまが、雨に濡れるのも構わず槍を振るっているのだ。訪ねてきた男が呆れるのも無理はなかった。


「旦那ぁ、いるんなら返事ぐらいして下さいよ、まったく――」


 男が不平を口にしながら、不用意に筋肉だるまに近づく。

 途端に、


 ヒュン――


 鋭い音を響かせた槍の穂先が、男の眉間に突き付けられた。その隙間は、薄紙一枚ほどの僅かなもの。目にも止まらぬ速さでぴたりと寸止めした、筋肉だるまの技量は相当なものだといえるだろう。だが、それよりも驚くべきは、訪ねてきた優男やさおとこの方である。突き付けられた穂先に眉ひとつ動かさず、へらりと笑うと、手の平でそっと槍を押しやり額から穂先を外しのだ。


「雨の中、御苦労なことで」


 何事もなかったかのように、平然と言葉を続ける優男。どのようにして身につけたのか、恐るべき胆力である。


「修練に天候は関係ない。それより、なんの用だ、ヨアキム」


 僅かに眉をしかめ、筋肉だるまは槍を引き穂先を上に石突を地面に、トンと音を鳴らして突き立てた。その様子に、ヨアキムと呼ばれた男が、にやりと口元を緩めて返す。


「俺がここに来る用事といえば決まってますぜ」


「ふん、仕事か? 先の仕事からそれほどの日数も経っておらん。たて続けの仕事は断ると申しておったであろう」


 筋肉だるまが尖った声音こわねにじませ、更に増した不機嫌さを隠さず露わにした。それを宥めるように、ヨアキムが猫なで声で言葉を続けた。


「まあまあ、旦那。こいつは元締めがどうしても旦那にと」


「ほう、元締めが……それほどの相手か?」


 元締めとの言葉に、筋肉だるまがぴくりと眉を動かした。


「へい、今回は神槍と呼ばれる旦那の腕を、どうしても借り受けたいとの仰せで」


「ふむ……で、相手は?」


 そこで、ヨアキムと呼ばれた優男が少し言いよどむ。が、すぐに苦笑いを浮かべた。


「あまり、ぺらぺら喋ると、元締めからどやされるんですけどねぇ……まぁ、いいでしょう。詳しい話は元締めから聞くとして、少しさわりだけでもお伝えしときましょう。狙う相手は、まだ十歳かそこらのガキ――」


「何、子供だと! いつも言っておるであろう。腕利きの武人しか相手にせぬと」


 ヨアキムが最後まで話し終わる前に、相手が子供と聞いて声を荒げる筋肉だるま。それを、なだめるように両手を前に突き出し、ひらひらと左右に打ち振るヨアキム。


「まぁまぁ、落ち着いて下さい旦那。それに、人の話は最後まで聞くもんですぜ」


「……ふん、それなら早く話せ」


 むっと、顔を曇らせる筋肉だるまに、ヨアキムは肩を竦めて続きを話し出した。


「相手はガキだが、問題はそのガキを護ってる護衛士の男の方で」


「ほう、傍には護衛士がついているのか」


「へい、名前はガウエン。護衛士の間では結構有名な野郎なんですが。旦那も聞いたことないですかい?」


「ガウエン……」


 筋肉だるまが目を閉じ、あごひげを擦りつつ黙考するが、すぐにぽんと手を打ち破顔する。


「おお……鈴鳴りのガウエンか。確か、剣獣殿の唯一の弟子だとか、噂に聞いた事が……」


「そうそう、その鈴鳴りとか、気障ったらしい通り名で呼ばれてる野郎で間違え有りませんぜ」


 そこまで話を聞くと、筋肉だるまは急ににやにやと笑い出した。


「なんですかい旦那、気色の悪い」


「いや、俺の所に話を持ってきたということは、既にお前たちだけで手を出したのだろう」


 筋肉だるまの言葉に、ヨアキムが憮然とした表情を浮かべる。


「へい、恥ずかしい話ですが、二度ばかし……」


「で、返り討ちにあったという訳か」


「それが、化け物みてぇに滅法強ぇ野郎でして。一度目は、うちの中でもそれなりに腕のたつ者を三人ばかし。しかし、その三人はあっさり討たれ、それならと、今度は腕利きの殺しのプロを十人ほど向かわせたんですが……」


「ふむ、そやつらも帰ってこぬか……」


 殺しを生業とする者たちは、武人とは違って正面から相手を狙う訳ではない。常に狙う相手の虚を突き、時には卑怯な振舞いさえして相手を仕留める。いや、それこそが、命のやりとりを金に換える者たちの殺し技とも言えるであろう。そのような裏稼業の男たちの対極に位置するのが、護衛士たちでもあるのだ。しかし、話を聞くと、殺しの技にける裏稼業の男たちの二度に渡る襲撃を、ガウエンはただひとりで退けたという。鈴鳴りのガウエン、容易ならざる強敵。と、筋肉だるまは思い至るのである。


もあろう。噂では、半年前に起きた王国内の乱に際して、侯爵を護って王家直轄の暗殺部隊をも退けたと聞く。どうやら、噂にたがわぬ使い手のようであるな。お前たちがいくら束になって掛っても敵わぬであろうよ」


「へい、ですから元締めも頭を抱える始末でして。しかし、こっちも面子めんつがありますからねぇ。引き受けた仕事を放り出すわけにもいかねぇ。だから今は、近隣から腕利きをかき集めてるところって、訳で」


 そう言うと、ヨアキムが顔をしかめて渋面を作る。それを見た筋肉だるまが、にやりと、ふてぶてしい獰猛な笑みを浮かべた。


「鈴鳴りのガウエン、相手として不足なし!」


「では、引き受けて下さるので?」


「良かろう、その仕事を引き受けた。後で、元締めの所に顔を出すと伝えておいてくれ」


 その言葉に、ヨアキムがほっと安堵した様子を見せる。


「神槍の旦那が引き受けたなら、元締めもこれで一安心でさぁ」


「ただし、条件がひとつある」


「えっ、今さら何を?」


 引き受けたと言ったそばから、舌の根も乾かぬうちに約束を反故ほごにするつもりかと、ヨアキムがむッと顔をしかめ表情を曇らせる。その様子に気付いた筋肉だるまが、苦笑いを浮かべ指先でぽりぽりと顎鬚あごひげを掻く。その姿が、裏の世界に身をおくにしては、妙に愛嬌があった。ヨアキムが、釣られて笑ってしまうほどに。


「そう心配するな。今さら、こんな面白い仕事を断る訳もない」


「では?」


「なぁに、いつもと同じだ。元締めは、腕のたつ者を集めているようだが、俺はいつも通りひとりでる。相手をするのもガウエンひとりだけだ。子供はお前たちが勝手にれ」


「それは……」


 ヨアキムが困惑する。何故なら、神槍の旦那に集めた者たちを率いさせようとしているとの、元締めの意向を知っていたからだ。腕利きの殺しを生業とする者は、一匹狼が多く、性格に難の有る者がほとんどだ。それらをまとめるには、神槍として名高い旦那の他にはいない。そこまで考え、ヨアキムはちらりと筋肉だるまに目を向けた。そして、それにと、ひとつ考えを追加する。


 ――神槍の旦那も確かに凄いが、あれは別物だ。あれこそ、本当の化け物だ。


 ヨアキムは、二度の襲撃を行った際、その場にいたのである。襲撃にこそ参加しなかったものの、首尾しゅびを見届けるため近くからそれを眺めていたのだ。

 一度目は、始末する相手が十歳のガキと聞き、簡単な仕事だと思っていた。そのガキの傍らにいるのも、年老いた男と侍女のふたり。最近になってから護衛士を雇い入れていたようだが、それもたかがひとりだけ。確かに護衛士は、ヨアキムのような裏稼業の連中にとって厄介な相手である。だがこれまでも、ヨアキムたちが所属する組織は、護衛士を相手に幾度となく仕事をこなしてきた。だから、護衛士が一人だけと聞き及び、最初は簡単な仕事だと笑っていたのである。始末する相手をろくに調べもせず、ついでにその護衛士も始末してしまえと完全に侮っていたのだ。

 それが、ふたを開けてみれば、ヨアキムの予想を裏切る結果となってしまったのである。

 最初に向かわせたのは、組織に直接所属する三人。特別な殺しの技を持っているわけではないが、それなりに腕は確か。そこらにいる護衛士なら、一対一でもそれなりに相手が出来るだろう。それが、三人もいるのだ。護衛士がいてもひとりだけ。三人で、十分に対処できると踏んでいた。

 ヨアキム自身も、護衛士がなぶり殺しにされるのを、高みの見物ができると楽しみにしていたほどだ。ヨアキムは、人が苦痛に顔を歪め泣き叫ぶのを見るのが好きなのだ。それは、性癖といっても良いほどのものであった。最も好むのは、助けてくれと泣き叫び哀願する者を、切り刻みいたぶることだったりする。

 そんなこともあり、ヨアキムは少し離れた場所の物陰から襲撃を楽しみに眺めていた。

 最初の襲撃、それは相手を確実に仕留めるため、まだ明るい夕刻に行われた。だが、簡単だと思っていた仕事は、予想に反するものとなった。確かに、襲撃自体は簡単に終わった。ヨアキムの予想とは、真逆の結果で。

 三人の襲撃者は、護衛士の男に斬り倒されたのだ。まことにあっさりと、まるで人形でも斬るかのように。或いは野菜でも斬るが如く、人の首が、腕が、足が、一刀のもと無造作に斬り飛ばされたのだ。その様子を、ヨアキムは呆気にとられ眺めていた。

 確かに、剣の腕が達者といわれる剣士の中には、試斬の際に、人の腕や脚を断つほどの力量を示す者もいる。だがそれは、あくまで据え物として、動かぬ物体を、ちょうどほど良い高さに置かれ試し斬りしているにすぎない。だのに、この護衛士は、動き回る相手、ましてや闘争する相手に対して難なくおこなっているのだ。ヨアキムも、長く裏の世界に身を置く者、それがどれだけ難しいか良く分かっている。並みの護衛士では、ほぼ不可能。達人、名人と呼ばれる武人の技量だと。その事に思い至り、背筋にぞっと冷や汗が流れた。しかも、離れた場所から眺めるヨアキムに気付いた様子さえ見せる。ヨアキムも、気配を殺すすべを心得ているつもりであったのだが、あっさりと見破られた。慌てて逃げ出すヨアキムを、護衛士の男は追っては来なかった。少年ガキの傍から離れることが出来なかったのだろう。ヨアキムはほっと安堵し、少年がきを護るのが、あの護衛士の男ひとりであったことで助かったのだと本気で思ったほどである。


 ――あんな化け物みたいな男、まともに正面からやり合うなど馬鹿げてる。


 それが、ガウエンを見掛けたヨアキムの、最初の感想であったのだ。それを、元締めに仕事の不首尾の報告と共に伝えるが、鼻で笑われ臆病風に吹かれたかと、逆に叱責された。ヨアキムは憮然とするが、元締めの反応はもっともなことで、ヨアキムも別の者から話を聞いていたなら、元締めと同じように鼻で笑い飛ばしていただろう。ヨアキムは後で知ったのだが、依頼主から先に提示された今回の仕事の報酬は金貨二百枚。破格の報酬であったのだ。通常は金貨十枚から三十枚。それが、命の値段として安いのか高いのかは、ヨアキムには分からないが、それでも金貨二百枚はべらぼうの値段と思えるのだ。本来は、相手の下調べをしてこちらが値段を設定する。だが、提示された金額に驚き、元締めがすぐさま飛び付いたのだろうと、容易に想像ができた。後から考えると、金貨二百枚でも安いと思わずにはいられないヨアキムであったのだ。何故なら、今回の依頼を受けたことで、組織自体が大きく傾く事になるのではないかと、密かに危惧していたからだ。


 ――今回の依頼は断るべきではなかったのか?


 そんな思いが、日増しに強くなるヨアキムであった。そうは思っても既に依頼は引き受けているのだ。今さら断る訳にもいかなし、後にも引けない。組織の信用にも関わるからだ。それに、元締めが引き受けたからには、ヨアキムがあぁだこうだと口を出すこともできない。

 しかし、ヨアキムにとって組織は絶対のものであり、失うわけにはいかないものだ。両親の顔も知らない孤児だったヨアキムは、まだ幼い頃に、今の元締めに拾われた。物心がつく少年の頃には、一端いっぱしわるを気取り、組織の使いっぱしりをしていた。それ以来二十数年、組織のために働き、どっぷりと首まで裏の世界に浸かり組織以外の居場所を知らない。組織がヨアキムの全てでもあったのだ。そして、殺伐とした裏の世界で生きる間に、人として当然あるべきはずの恐怖を感じる感情さえも、いつしか抜け落ちていたのである。そのアンバランスな感情の欠落が、ヨアキムの性癖にもあらわれていたのかも知れない。

 だが――鈴鳴りと呼ばれる男ガウエン。その男を目にし、久々に甦る恐怖感を覚えるヨアキムであった。


 ――あの男は危険だ。


 特に、二度目の襲撃を目にしてからは、更に強くそう思うようになっていた。


 二度目の襲撃のため元締めが人員を手配している間、ヨアキムは少年ガキを護る護衛士について徹底的に調べ上げた。それは、恐るべきものであったのだ。そこで知ったガウエンの名前。ヨアキムも裏稼業の世界に身を置く者。当然の如く、ガウエンの名をそれとなく耳にしていた。しかしそれは、護衛士の中でも少し腕がたつと噂される連中のひとりぐらいの認識しかなかった。だが、それは間違いだとすぐに気付く。

 護衛士や商人などガウエンと関わりのありそうな者相手に、丹念に噂を拾い集めると、大概の者は、ヨアキムと大差のない感想を持っていた。それは、当然だ。護衛士たちは、己こそが特別、一番優れていると自負の思いが強い者がほとんどあるからだ。商人たちにしても、身元や人となりの怪しい護衛士を、どこまで信用して良いのか、常に頭を悩ませているのである。

 しかし、ガウエンと直接関わりを持った全ての者は口を揃えてこう言う、「あの男は剣鬼」だと。

 自負心の強いはずの護衛士たちにしても、正面から立ち合うのは避けたいと。商人たちに至っては、恐ろしいが、護衛士の中ではもっとも信が置けると答えた。

 実際のところ、狙う相手は少年がきなのだから。ガウエンをどうにかして少年から引き離せないかとも、ヨアキムは考えていた。これまでの仕事でも、護衛する者を金や女で籠絡ろうらくした事もあったからだ。だが、それも断念するしかなかった。

 ガウエンが、決して依頼主を裏切らないと、聞いたからである。それに、護衛士には珍しく酒や賭け事を嗜まず、女さえ近づけないとの話。唯一興味を示すのは、剣についてのみだとか。今までにない、かなりの難物だと、ヨアキムには思えた。

 そして、最近の噂に接して、更に驚く事となった。

 それは、半年前に起きた乱のこと。王家には昔から、直轄の暗殺部隊がいると噂されていた。ヨアキムが所属する組織も殺しを請け負うことから、興味をもって聞いていたし、国を動かす王家ならそんな裏の仕事をこなす部隊がいて当たり前だとも思っていた。その暗殺部隊が、最近になって解体されたとの話だ。貴族たちが乱を起こした半年前、現王になる前の侯爵家に対峙したからとも噂されていた。しかし、噂には続きがあったのだ。半年前の暗闘の際、既に主立った者が討ち取られ、暗殺部隊は壊滅していたと。それを為したのが、ただの一人の護衛士。それが、ガウエンだとの噂なのだ。

 ヨアキムも、まさかと思った。大袈裟な話だと思いつつも、調べ上げた事をまとめて、元締めに危険な相手だと報告した。噂の暗殺部隊と自分が所属する組織を重ね合わせ、このままでは危ういのではないかと考えたからだ。

 だが、またしても元締めに一笑に付され叱声を浴びせられる。あやふやな話に振り回されて、たかが護衛士ひとりを恐れるなどもってのほかだと。

 ヨアキムが、別の手段で護衛士を取り除いてから仕事に取り掛かってはどうかと提案しても、組織の者が既に三人もられているのだと、聞く耳をもたない。挙句に、ヨアキムが弱気になってると思われ、下っ端からもう一度やりなおすかとも罵られたのだ。元締めは、対象者の少年がきだけでなく、その護衛士もれと厳命する。それほど有名なら、討ち取ればそれだけで俺たちの名が上がるだろうと笑うのだ。

 その笑う様を、醜いとヨアキムは思った。その醜い顔が、苦痛に歪むところを見れば、さぞや楽しかろうと思うほど。しかし、今のヨアキムに出来るはずもない。

 かつての元締めには華があった。ヨアキムが拾われた頃、元締めもまだ二十代と若かった。その当時は、組織といってもゴロツキが数人集まっただけの小さな集団だった。それを、一代でここまで大きく成長させたのは、ひとえに元締めの手腕のお陰である。今では、このアレッサルの街の裏社会を牛耳り、他の街にまで影響を及ぼすほど。だが、この組織に名前は無い。ただ単に組織と呼ばれるのみ。昔、そのことに不便を感じ、ヨアキムは元締めに問いかけた事がある。すると、元締めはこう言ったものだ。


「俺たちは人の命を売り買いする、言わば裏社会の更に闇の底で蠢く存在。決して、表に出てはならないのさ。だから名を捨て、これからは俺のことも元締めとだけ呼べ」


 元締めは肉食獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべ、その瞳は冷徹な輝きを放っていたものだ。そこには、体貌から滲み出て咲き誇る、悪の華というべき美しさがあった。だからこそ、ヨアキムは不平も覚えず、憧れをもって付き従っていたのだ。その元締めが、今は組織の名があがると、醜い笑みを浮かべているのである。金と権力に塗れて堕落したと思わずにはいられないヨアキムであった。

 武に道があるように、商に道があるように、悪にも道があるとヨアキムは信じる。稼業のため、一流と呼ばれる殺し人と顔を合わせる機会の多いヨアキムである。彼らには一様に、体を突き抜ける確かな一本の律があり美しい悪の華を咲かせていたのだ。悪の道、その路傍に咲き誇る大輪の悪の華になりたいと、ヨアキムも心から憧れ思う程のものだった。


 結局、ヨアキムが提示した、別の手段を講じてガウエンを排除してからとの案は無視され、二度目の襲撃は強引に行われた。

 さすがに二度目は、元締めも組織内で一線級の殺し人を直接十人選び、前回の失敗を受け夜半にガウエンの元に向かわせた。それと、ヨアキム以外にもうひとり、ガルムと呼ばれる男を見届け人に加え向かうこととなったのである。ガルムは古くから組織に属していたが、元締めに甘言を弄し幹部にのし上がった男で、ヨアキムはあまり好まぬ男であったが、一緒に向かうこととなったのだ。

 十人の殺し人は、組織内でも指折りと言われるだけあって、剣の技に優れた者は勿論、弓の技に長けた者から小剣の投擲術に優れた者など多士済々。中には、鎖の先端に重り取り付けた、鎖分銅の使い手まで揃っていた。

 それでも不安を覚えたヨアキムは、配下の小者に命じて、隙を見て夕刻に井戸へ痺れ薬を投げこま

せた。策を弄するヨアキムを、ガルムは臆病者と馬鹿にして笑っていたが、気にせずやらせたのである。毒性の強い薬物は、匂いや刺激も強い。だから、気付かれないように無味無臭に近い痺れ薬を使ったのだが、それもガウエンには通用しなかった。気付いたのか、それとも薬に耐性があるのか、見張りをしていた配下に在宅を確認し、殺し人たちが塀を乗り越え庭に侵入すると、ガウエンは元気な姿で待ち構えていたのだ。

 ガウエンの虚を突いたつもりが、逆に殺し人たちが虚を突かれた容となったのである。しかし、そこは一流の殺し人たちである。すぐに散開し、弓を扱う者は後方に下がり矢をつがえ、剣を持つ者は前に踏み出し必殺の陣形で挑む。

 だが、それでも――


 闇夜に放たれた矢は打ち払われ、繰り出されるやいばは全てかわされる。避けようのない、近間から投擲された小剣すらさえも、掠りもしない。それどころか、振り回される鎖分銅の鎖は半ばで断ち切られ、殺し人たちが次々と一刀のもとに倒されていく。一流の殺し人がである。

 それは月下の元、幻想的ですらあった。静寂に包まれた闇夜の中、鈴の音が鳴り響く。その音に合わせ、ガウエンが流麗な動きで舞っていた。前後左右ゆらりと動くたびに、ひとりまたひとりと、殺し人たちが葬られていく。ガウエンの姿は月の光を浴びて、暗闇の中、青白く冴え冴えと浮かび上がる。


 ――美しい……。


 その一語に尽きた。ガウエンの清浄で美麗な舞いに、いつしかヨアキムは我を忘れ見惚れていたのである。

 最後の殺し人が倒れ、ガウエンが太刀に血振りをくれると、


 チリン!――


 夜の闇の中、澄み切った鈴の音が鳴り響く。

 その音に、ようやくヨアキムは、はっと我に返る。いつしか、傍らにいた筈のガルムも姿を消していた。それに気付く事も無く、ヨアキムは魅入っていたのだ。

 全ての殺し人を倒したガウエンの、刺すような視線が、近くの物陰に隠れるヨアキムを射抜く。途端に全身が総毛立ち肌が粟立つ。ごくりと喉を鳴らして唾を呑みこむ音が、ヨアキムにはやけに大きく感じられた。


「帰って伝えるがよい。この俺がいる限り、あの子には指一本触れさせんとな」


 その声もまた、月光の下、神秘的な響きを持って届いてくるように感じるヨアキムであった。その後は、転がるように逃げ出す事しか出来なかった。


 神槍の旦那と呼んでいた男の元からの帰り道。ヨアキムは、二度に渡る襲撃の際のことを思い返していた。脳裏に思い描くのは、ガウエンの神がかった幻想的な姿。

 その時、視界の端に薄汚れた男の姿が映った。その男は、行くときに見かけた男。まだ軒下で蹲り、ヨアキムと視線が合うと卑屈な笑みを浮かべた。と、その瞬間、蹴りが飛ぶ。男の顔面に、ヨアキムの足が、めきりと音を鳴らしてめり込んだ。


「あぎぃぃぃ……」


 男の言葉にならない、苦痛に満ちた悲鳴が辺りに響く。それに構わず、ヨアキムは何度も蹴り続ける。肉が裂け真っ赤な血を流そうとも、男が物言わぬ塊と化しても、何度も何度も蹴りを入れる。その度に、びちりびちりと肉を打つ音が響く。

 ヨアキムは興奮していた。脳裏に浮かぶ、ガウエンの美しい剣舞の姿に、久方ぶりに味あう恐怖と共に憧憬さえ感じていた。だが同時に、苦痛に顔を歪め泣き叫ぶガウエンの姿を眺めたいと、強烈に思うのであった。それを想像するだけで、股間が熱く滾り興奮してしまうのだ。それは恋する乙女の如く、ヨアキムの脳裏から離れない。

 いつしか、ヨアキムの口中から漏れ出た乾いた笑いが、鉛色した空へと吸い込まれていくのであった。

 

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