八 、それでもマゾヒストは走る
町議会による箝口令は功を奏しているらしく、変死体の話など一切耳にすることはなかった。連日、いつも通りのしるこ日和だ。
そうして何事もなく年が明けた。
朝食のしるこを食べ終えてから、僕は、母に誘われ、マラソン大会の見学に行くことにした。
毎年恒例の町民マラソンだが、今年は町名がしるこ町に変わってから初めて行われる大会、つまり、第一回しるこ町マラソン大会だ。
そんな記念大会のためか、例年よりも遥かに多い参加者や見物客がいた。
空には気味が悪いほど雲一つなく、強い日差しが降り注いでいる。厚手のコートを着たままでは暑いくらいだ。
参加者達は空を見上げ、「初開催される行事を神様が祝福してくれているんだ」と、喜んでいた。
白玉総一朗による開幕の辞が述べられ、皆、スタート地点に並ぶ。
町民マラソンとはいっても本気で良い記録を出そうとするアスリート風な参加者達も多く、会場は緊張に包まれていた。
しばらくすると、スターターの声が聞こえ、続けて火薬の破裂する音が響いた。
綺麗なスタートだった。なんら混乱もなく、全てが順調に思えた。
ところが、この大会には参加者達にも知らされていない、当然、僕を含む見物客も知らない、あるサプライズが用意されていた。
この大会は今までの町民マラソンとは違う。
この大会は、第一回しるこ町マラソン大会なのだ。
照りつける日差しにより参加者達は非常に汗をかいた。その所為か、十キロ地点を過ぎた辺りに設けられた給水所に、ピッチを上げて駆け込む人が多くいた。
テーブルの上に並べられた紙コップを勢い良く取る参加者達。それを一気に飲み干す参加者達。一気に吐き出す参加者達。
その紙コップの中身は、熱々のしるこだった。
沿道からの差し入れは禁止されていた。数箇所ある給水所には、しるこしか置かれていなかった。否、給水所ではない。給しるこ所だ。
参加者達は少しでも水分を取ったほうが良いと考えてか、給しるこ所を見ては積極的にしるこを飲んだ。しかし、飲んだ量以上の水分が汗となって蒸発した。
飲めば飲むほど乾いていく。だが、誰も文句を言わず走り続けていた。
ゴールまで辿り着いたのは数名だった。大半の参加者は道の途中で倒れ、うち数名は脱水症状により死亡した。
それにもかかわらず、大会を非難する人はいなかった。それどころか、感動をしている人がほとんどだった。優勝者が白玉町長と握手を交わした瞬間、大きな拍手と歓声と、涙をすする音がこだました。
母も大きな音をたてて手を叩いた。
「来年は俺も参加するぞ」、「俺も参加するぞ」、「わたしも参加するわ」
そんな会話が、あちこちから聞こえる。
僕は、参加しないな。