六十 、しるこの海の底
目を開けると、まず白い天井が見えた。
僕はベッドに横になっていた。鼻に管を通され、点滴を打たれ、電極が体中に貼り付いている。
重い体をどうにか起こして辺りを見てみると、そこは、どうやら病院のようだった。非常に不快なので喉の奥まで達している鼻の管を引き抜く。ついでに点滴も電極も全て取り外した。すると、枕元の機械から甲高い電子音が響き、廊下から複数の足音が聞こえてきた。
「やっと目を覚ましたんだね。気分はどうだい?」
駆けつけた男性医師が言う。
「僕は、崖からしるこの海に落ちて、それからどうやってここに……」
「しるこの海? まだ混乱しているみたいだね。なんせ、一年以上も眠っていたのだから」
一年以上? 海沿い公園の戦いからそんなに時間が経ったのか。
「ここは、しるこ町立病院ですか? しるこの神はどうなりました? しるこ町議会と白玉は? 禅在は? しるこババアは? 今はどういう状況なんですか」
「まあ、落ち着いて。しるこしるこ言ってどうしたんだい? 悪い夢でも見てたのかな?」
「夢?」
そう呟き、再び辺りを見渡した時、自分の右隣のベッドが目に留まった。
誰かが寝ている。カーテンで顔は確認出来ないが、隙間からしるこのような火傷痕のある左腕が見えた。
「君のお母さんも…………まあ、詳しい話は落ち着いてからにしようか」
半日以上が経過し、医師から話を聞かされた。
一年と二ヶ月前、僕と母と祖母の三人が、毒入りしるこを食べて病院に搬送された。毒の混入経緯は不明。老齢の祖母は体力がなかったため、数日後に死亡した。僕と母は、一命を取り留めたものの一向に目を覚まさなかった。診断の上ではただ眠っているだけ。体に異常は見受けられない。ただ一点、僕と母の脳波が完全に一致している点を除いては。
「……前例がない。非科学的だけど二人で同じ夢でも見ているのかと思ったね。ハハハハハ…………」
その医師なりに冗談を言ったつもりらしい。
しるこ町での出来事は、夢だったんだ。
そして夢の世界に入り込んだ原因は、誰にも知られていないようだが、母がしるこに毒を入れて無理心中を図ったから。ドクロマークのビンを見たのは夢の話ではなくて、過去の記憶に違いない。
どこからが夢だ? 少なくとも隣で眠る母の腕には火傷の痕がある。煮えるしるこを僕が掛けたのは現実だろう。
頭が混乱した。僕は髪の毛をクシャクシャと掻き混ぜた。
その様子を見た医師が慌てて声を掛けてくる。
「ま、まあ、なかなか気持ちの整理がつかないのは分かる。ただ、君が目を覚ましたということは、お母さんもきっとそろそろ目覚めるだろう。焦るのはやめよう……あ、何かお菓子でも食べようか。君の友達がたまに差し入れを持ってきてくれるんだ。それを食べよう」
友達? ジョニーしか思いつかない。ジョニーは現実世界の人間なのか?
益々混乱する。患者を困惑させてばかりのこの医師は医師に向いていない。そんなことを考えていると、皿に載った四角い黒い塊を差し出された。
「これは、無線機!」
「え? これは羊羹だよ」
ですよね。




