五十九、あからさまなビン
暗闇の中心から仄かに光が漏れている。それは次第に大きくなり。夕焼けに変わった。次の夢が始まったようだ。
ところが、これまでの夢と違い、生々しい雰囲気が漂っている。なぜだろうと少し考え、その原因はすぐに分かった。
僕自身が登場しているからだ。
夢の中の僕は何か後悔をしているようだった。
僕は、あんなことをしなければ良かったと思いながら、踵を引きずり、家までの道程を歩いていた。
進行方向には夕陽があり、その赤い光の中で僕の家は切り絵のように黒い輪郭を現わしている。換気扇が湯気をあげながらクルクルと回っていて、僕は、いつものを作っているのだなと察した。
家に入りたくない。どうにかならないものだろうか。
そんなことを考え、僕は台に乗って換気扇から室内を覗き込んでみた。
回転するプロペラの向こうに案の定しるこを作っている人影が見える。顔は見えないが、母と分かる。左腕の火傷部分に包帯を巻いているからだ。
まだ痛むのだろうか。
僕は母の動きを目で追った。
母は鍋の中身を掻き混ぜ、それから戸棚へと向かった。食器を全て取り除いている。戸棚の奥には隠し扉があった。母はそこから一つのビンを取り出し、そして、中身をしるこの中に入れた。甘い香りが引き立つ。特殊な調味料だろうか。ただ、そのビンには黒地にドクロマークが描かれていた。
僕は見てはいけないものを見たと思った。
いつまでも外にいる訳にも行かず、覚悟を決めて中に入る。
「あら、お帰りなさい」
母がいつもの調子で言う。否、むしろいつもよりも明るい。そして、いつもの通り、テーブルの上にしるこの入ったお椀が置かれた。
母と祖母、三人でしるこを囲む。
僕がしるこに手を付けないでいると、母が笑顔で僕に問い掛けた。
「どうしたの、食べないの? 早く食べなさい」
その時、隣で普通にしるこを食べていた祖母が、突然しるこを吐き出し、テーブルに突っ伏した。
それを見て呆然としていると、母が落ち着いた調子で喋り出した。
「お母さんも食べますね」
母がしるこを口に含む。
「ほら、大丈夫。とても美味しいわよ。あなたも早く食べなさい」
その表情は、笑顔だ。しかし、口からはしるこが垂れている。
「ほら…………早く……あなたも食べるの!」
母は笑っている。笑ってはいるが、その目からは鬼気迫るものが感じられた。
そうだ。僕はこれを食べなければいけない。食べれば救われる。母も、僕も、全てから解放されるんだ。
僕は思い切ってしるこを流し込んだ。
舌が痺れる。目眩がし、しるこを吐く。母は笑っている。笑いながらしるこをダラダラと吐いている。
僕はその笑顔を見つめた。
次第にその笑顔は、目に映る景色は、大きく歪み、僕は自分の吐き出したしるこの上に、倒れた。
ザブンッと水に飛び込む音が聞こえる。
全てが暗闇に包まれている。
粘り気のある、甘い、黒い水、しるこだ。
僕はしるこの海の中にいる。
粘り気に手足を取られ、全身が重い。
どんどん深く沈んでいく。
これは現実か? 夢か? だるい、でも心地良い、まどろみに似た感じ。
僕は、そのまどろみを通り越し、更に深い海の底へ落ちていった。
第三部 完




