転生トラックに乗って
理由は分からない。分からないが、取り立てて云うほどの外見的特徴もないその大型車こそ、かの有名な転生トラックだという事だけは一目で理解できてしまった。理解できたからには轢かれねばなるまい。それが物の道理というものだ。私はトラックの前へと華麗に身を投げ出し、夜をつんざくヘッドライトに呑まれた。
轟音と衝撃に続く暗転。そんなものを予想していた私は、しかし軽やかなブレーキ音と風圧のみを浴びせられ、4車線道路の中央で無様に立ちすくんだ。
「何やってんだ。危ねぇだろうが」
全開にした窓から身を乗り出し、危険など微塵も感じていないような口振りで男が声をかけてくる。50代半ばだろうか。物のよく噛めそうな歯はやけに白く、非喫煙タイプのトラック野郎だと察せられた。
「転生トラック殿とお見受けする」
「何だ。お前さん転生に興味あんのか」
首肯すれば顎先で助手席を示され、同乗を許される。大型トラック初乗りとなる私は、充分な広さがありながらもそうと感じさせないキャブにいそいそと乗り込み、出迎えてくれた熊本出身の女神のポスターに一礼した。どうやら、古き良きトラックのようだ。
「6時までに届けなきゃならねぇんだ。悪いが話は走りながらさせてくれ」
「構いません。お忙しいんですね」
「クリスマスが近いからな」
何と。転生トラックは人の運命だけでなく子供の夢まで運んでいるのか。残念ながら今の私にはとんと縁のない行事ではあるが、幼子の喜ぶ姿を想像すれば心和むのが人情だろう。
「クリスマスプレゼントですか。良いですね」
脳裏に描いた美幼女の笑顔につられ、思わず表情を緩める。その油断をつく絶妙のタイミングで、サンタのおじさんは云った。
「ちなみに、荷は下着だ」
「聞きたくなかった!」
「使ってみると案外良いぞ? メンズブラ」
「そっちか!」
「特に冬場は、ウェアが擦れて血が出たりするからな」
「あぁ、長距離ランナーなんですね」
「そんな仰々しいもんじゃねぇが、普段からよく走ってんだ。いざって時逃げ切れるように」
「そうですかー」
ここで何から逃げるのかを問うほど私も若くはない。神妙にひとつ頷いて見せ、早々に会話を切り上げる。
「知ってるか? 闇金ってなぁ」
「お願いだから黙って!」
人気も車気もない夜道を、転生トラックは悠々と進む。スピードリミッターはつけられていないのか、結構な速度が出ているように感じられる。もっとも、ゴールドペーパードライバーであった私の感覚などそうあてにはならないだろうが。
「さて、転生だったな」
「はい」
「まずはそれを振れ」
街灯のない山道に入るなり投げられたのは、6面ダイスだった。馴染み深いとまではいかないものの、過去幾度かは触れた経験のある立方体がふたつ、シートの上を転がる。
「お前さんの転生値は7だからクリティカルを出すには」
「ちょっと待って下さい。どうしてそんなごく一部の層が喜びそうな方式なんですか」
「お? 何だお前さんイケる口か。何なら24面ダイスとかもあるぞ」
「クリティカル遠のいた!」
「だがその分ボーナスも増える。もし100面でクリティカルになったらなん」
何と賞金100万円、とでも続きそうだった言葉は、軽めの衝撃に遮られた。山道でタヌキを轢いたら丁度こんな感じに車体が揺れるのではなかろうかという衝撃だ。
「……今、轢きましたよね?」
「いやー……あー……まぁ」
「轢いたんですね!? なら早く戻らないと。何普通に走り続けてるんですか!」
「そうは云ってもなぁ。オレの仕事は基本、轢くとこまでだし」
「轢き逃げ上等!? でも私の事はこうして乗せてくれてるじゃないですか」
「……お前さんは轢けねぇからな」
苦痛をこらえるような、酷く苦々しげな眼差しが私の姿を捉える。野生の小動物よりも、更には研究室で繁殖させられたショウジョウバエよりも貧相で存在感の薄い私。しかし向けられた視線に哀れみの色はなく、私は密かに安堵した。
「運転手さん……」
「せめて実体がなきゃなーさすがのオレも幽霊は轢けねぇわー」
「やっぱりー?」
「さっきもガッツリ当たったはずなのにお前さんノーダメージだしよー」
「当たってましたかー薄々そんな気はしてましたー」
乾燥気味の笑いが、恐らく暖房が利いていて温かいのだろう空気をかき回す。その温もりを感じられない事実を嘆くには、少々時間が経ちすぎていた。
何世紀とこの世に留まっておられる先輩方とは比ぶべくもないとは云え、私の浮遊霊としてのキャリアとて20年近く、中堅程度にはなっている。最早ペーペーではないのだ。お陰で成仏の話題を出すと「あんたまだそんな夢見てたの?」と呆れられもするが、放っておいて欲しい。思うだけならタダなのだから。
「あー、さっきの魂、無事廻ったみてぇだ」
「分かるんですか?」
「輪廻転生班は全員輪廻網っつうのに繋がれててな。状況はリアルタイムで確認できるようになってる」
顔をしかめ指先でこめかみを叩く姿は、随分と煩わしそうだ。コードや何かが繋がっている様子はないが、もしや結構な量の情報を直接頭に流し込まれているのだろうか。輪廻網、侮りがたし。
「転生先とかも分かります?」
「地球とほぼ同じ環境の世界だな。違いは……タヌキが草食で美味い事くらい、か」
「タヌキが……?」
「タヌキが。煮て良し焼いて良しのポピュラーな食材だとよ」
「……人間に生まれ変わるんですよね?」
「いや、またタヌキだ。特殊技能もねぇごく普通の、運が悪いタヌキになってる」
「世知辛い!」
そもそも転生トラックとは、命を代償にチートな能力を付与し、来世での波瀾万丈でありつつも人並み以上に幸せな生を約束してくれるという、負け組に優しいシステムではなかったのか。であればただ命の危険が増すだけの所へ送り込むなど、転生トラック道にもとる所業。平たく云うと、こんなの私の知ってる転生トラックじゃない! である。
内心激しく憤り、打ち震える。しかし突然の裏切りに傷付く私の心中など興味もない現場職員は、実にあっさりと憤慨に止めを刺した。
「どうも出目がファンブルだったらしい」
「あぁ。それなら仕方がないですね」
神はダイスを振らないそうだが、ダイスを振らせるのは神。ダイスのお導きに逆らう事は何人たりとも不可能なのだ。
「日本支部はクリティカルもファンブルも出にくくなってるんだがなぁ」
「国によって違うんですか?」
「時代によっても違うが、日本はわりとファンブルだけは嫌って奴が多いから、そこそこの結果になるようにしてんだ」
「時代って、大型トラックができたのなんてここ数十年でしょう」
「昔は転生イノシシとかいたんだよ」
「嫌な予感しかしないですね」
「当たりどころによっちゃあ即死できねぇで寝たきりになったりしてな」
「運が良いのか悪いのか」
「だがまぁ転生クマに比べりゃ可愛いもんよ。生きたままはらわた」
「もうやめて! 私のライフはゼロよ!!」
日課の散歩中、偶然目にしてしまった虐殺動画を思い出して背筋が震える。あのヒキニートめ、ラノベばかり読んでいれば良いものをちょこちょこグロに走りおって。幽霊だって血は怖いんだからな! 自分の姿だってまともに見られないんだからな! お陰で滅多な事では俯かなくなったわヤッター!
無駄にテンションを上げたところで、ただでさえ血の気の失せた顔は今や真っ白だか真っ青だかになっているだろう。にもかかわらず隣のおっさんは「ちなみに海外では転生シリアルキラーや転生爆弾なんてのもあってなぁ」と無駄口を叩き続ける。さすがに日夜人を轢き殺し続けているだけあって、容赦のないおっさんである。
「転生シリアルキラーとか正気ですか。いくら転生させるためとは云え」
「いや、あいつらはただ気に入らない奴を殺してるだけだ」
「ただの犯罪者かよ!」
「普通ならそうだが、輪廻網に繋がってりゃ世界のためになる」
「世界のため?」
「あぁ。この世界は他と比べて力が強いっつうか、生き物が増えやすくてな。ほっとくとどんどん増殖して溢れちまう。そうならないようにちょこちょこ他の世界にばら撒いてるって訳だ。死んだら魂が消滅しちまう世界もあるから需要は尽きねぇしよ」
それにしたって転生シリアルキラーとは。いくら何でも悪趣味が過ぎないだろうか。
「納得いかねぇって顔だな。だけどお前さんだって殺してやりたい奴の一人や二人いるだろ」
「いませんよ。そんなもの」
「そうか? この世界から逃してやりたい奴……いねぇか?」
例えば、面白半分に甚振られ餌をとれなくなった動物。例えば、イジメで自殺にまで追い込まれた子。
あるいは、単なる事故であったにもかかわらず、友人を殺してしまったと今なお悔み続ける男。
この世界で傷を負った魂は、この世界では幸せになれないのだろうか。この世界を離れれば、幸せになれるのだろうか。
「私は……」
全てを分かった上で包み込むような、そんな空気に居心地が悪くなって俯く。着っぱなしのスーツとコートは相変わらず血塗れで、死んだ時から何一つ変わっていない。毎年墓前に供えられる花と酒も、友人が独身なのも変わらない。婚約していた彼女がいたくせに。あんなに好きだった酒をやめ、雪も嫌いになってしまって。自分だけ幸せにはなれないなんて、馬鹿を云う。
「滑って転びそうになった人間を助けて、自分の方が階段から落ちるなんて、単なる笑い話ですよ。なのに……あいつ、今年でもう45だ。結婚だって子供だって、急がないと本当に独りになるのに」
気にせず幸せになれって、お前だったら云うんだろう。けど、僕には無理だ。
真新しい墓石を抱え、号泣していた姿を思い出す。無理でも何でも幸せになれと叫ぶ私の声は、どうしたって友人には届かない。
「何が良いとか悪いとかオレにゃ分からねぇが、転生先で幸せになった奴は大勢いる。それだけは確かだ」
「……貴方は、どうして転生トラックに?」
「オレは、飛び出してきた子供を轢いてテンパってたところをスカウトされた。転生トラック乗りになれば死体は処理してやるし罪にはならねぇって」
「最悪だ!」
あぁ無情。この世には神も仏もありはせぬ。されどげに救い難きは三千大千世界の真。知らねば夢を見続けられたものを。よよ……
出もしない涙を拭う真似をする私に、確信犯は揺るぎない笑みを浮かべてサムズアップする。どうやら、渾身の小芝居は気に入ってもらえたようだ。
「後悔はしませんでしたか」
「……オレが二人目に轢いたのは息子で、三人目は嫁だ。二人とも剣と魔法はねぇが妖精はいる世界で楽しくやってる。……って夢を見た」
「夢ですか」
「夢だな」
「それは、とても幸せなオチですね」
「そうだな……オレもそう思う」
お互いに顔は見ないままそんな事を云い合って、後はずっと黙っていた。夜が明けて荷物の積み下ろしを終えたら、休憩を挟んでとんぼ返りだ。帰りも高速は可能な限り使わず、下道ばかりを走るのだろう。時折、罪のない命を刈り取りながら。
「転生トラック運転手も悪くないかもしれませんね」
「お。やりたくなってきたか? なり手が少ねぇからな。トラック以外でも大歓迎だ。あぁ、登録の時にはちゃんとオレの紹介って伝えろよ。後から云ったんじゃ紹介料貰えねぇからな」
「生臭い!」
「しょうがねぇだろ。生きてんだから」
ただの事実としてさらりと云ってのける横顔には、歳相応の疲労とそれを上回る生気が浮かんでいる。その逞しさを少しばかり羨ましく思いながら、私はおもむろにダイスを転がした。
ファンブルだった。
完