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扉の内側からの爆発のような音。入れない扉。
刀熾は扉を前に焦りの色を隠せなかった。中に入っていってしまった操佳は大丈夫なのだろうかと。
しかし、いくら頑張っても扉を抜けられそうになかった。
扉の前で悪戦苦闘すること数分。突然、操佳が中に入っていった時のように扉の表面が波打った。
刀熾がおそるおそる手を当ててみると、手は扉の中に沈み込んだ。肌理の細かい泡に手を入れているような不思議な感覚だった。刀熾はそのまま操佳と同じように前へ進んだ。
「ごめんね。刀熾、内側から開けるのに少し手間取っちゃった」
扉を抜けた先には操佳が立っていた。
「あ……。いまさっき爆発みたいな音がしたけど、その……大丈夫だったか?」
「うん、大丈夫。なんてことのない、単純な罠だった。侵入者撃退ってところかな? 心配してくれてありがとうね」
「そうか……」
刀熾は操佳の無事を確認すると、部屋のほうへ目を向けた。広さはテニスコートほどだろうか。広々とした部屋はがらんとして何もない。壁や床の白さが異様なまでの清潔感を醸し出していた。
「さあ、早速行こう刀熾。時間はすぐに経っていく。あまり時間を無駄にしたくないの」
そう言って、操佳は奥の扉に向かって歩き始めた。
「それはいいんだけど、上を目指すんだよな……でも、こんだけ大きな塔、大変そうだな」
「そうだねえ」
操佳は扉を開き、くるりと刀熾の方へ振り返った。
「まずは、バベルの地下、通称【ロト】に向かう」
「地下? なんでだ? 上に向かうんじゃ」
「うん、確かに、私の目的地はこの塔の天辺。だけれども、おそらく、一日二日じゃ辿り着かないはずなの。私の調べによると、【ロト】には倉庫のような施設があって、貯蔵用の食料が保管されているらしいの。塔を上っている間にもそういうものはあるでしょうけど、念のため最低限は確保しとかないと」
「なるほど」
確かに、腹が減っては何もできない。塔の中は空調が効いていて、暑くはないが、乾燥している。このままではすぐに喉も涸れてしまうことだろう。
「その【ロト】にはどうやって?」
「さすがに、内部構造までは把握してなかったけど、それに関しては問題ないみたい。ほら、あれを見て」
操佳が指差す先は壁になっていた。ちょうどT字路のようになっている。その突き当りの壁からはガラスケースのようなものがつきだしていた。刀熾はそのケースに近寄り、中をのぞいてみた。すると、そこには腕時計のようなものが丁寧に三つ並べられていた。ケースの右隅には小さくアルファベットで、Telenaと書かれていた。
「それは、この塔のマップを表示してくれる機械みたい。テレナとでも読むのかな。もともとはこの塔の所員のためのものだったようね」
操佳がケースの角をとんとん、と二回叩くとケースの上部が開いた。
「はい、これ腕につけておいて。どこかに起動ボタンがあると思うから……あ、横についてるね」
操佳はテレナを一つ刀熾に渡し、自分自身も腕に着けた。
刀熾も渡されるままに受け取り、側面についていたボタンを押してから手首に巻きつけた。
「ほら、画面のところをタップして」
言われた通りテレナの画面に触れてみると、画面が点灯し、「(壁に向けてください)」と表示された。表示通り壁に向けると、ちょうどプロジェクターのように壁に画像が投影された。
操佳の言うとおり、地図なのらしい。中央辺りに二つの小さな赤い丸が点滅していた。
「これも、入り口と同じ思考操作ね」
操佳が言うと、何も操作をしていないのに画面が切り替わった。今いる場所らしいところから、赤い線が画面の右上方向に伸びていく。
その最後、線が切れている場所がどうやら、地下への入り口なのらしい。
「さあ、早く行こう」
言って、操佳は刀熾を待つこともせずすぐに歩き始めた。
「あ、ちょっと……」
刀熾も急いで後についていこうとし、ふと、立ち止まった。地図が消えるほんの一瞬前に、地図上にもう一つ赤い点があったように思えたからだ。しかし、ほんの一瞬であったため、刀熾は見間違いだろうと納得し、気にかけることはなかった。
†
階段を降りると奥に伸びる長い廊下があった。幅は非常に狭く人が二人横にすれ違える程度だ。廊下の左右には均等に扉が並んでいて、それぞれに数字が書かれたプレートが下がっていた。
「ここが倉庫……?」
そんな廊下を進みながら、前をゆく操佳に刀熾は尋ねた。
操佳は振り返りもせずに首を横に振った。
「ここは違うはず。何のための部屋かはわからないけれど。食料貯蔵庫は、この突き当りの部屋を抜けた更にその奥にあるみたい。逆サイドから入ることができてればすぐなんだけどね」
「そっか」
それ以上二人に会話はなかった。
カツカツと二人の歩く音が反響する。刀熾はただ操佳の後ろをついていく。
しばらく歩き続け、廊下の突き当りらしい場所まで来ると、操佳は歩みを止めた。
そのさきはひとつのフロアになっている。扉はあるのだが、開きっぱなしになっていた。
「入らないのか……? このさきなんだろう?」
横に並んで尋ねてみるが操佳の反応はない。
「操佳……?」
†
蒸気の音だ。
薬品の匂いだ。
光の明滅の色だ。
見慣れた場所だ。
でも知らない場所?
初めて来た?
電子機械の稼働音だ。
水の匂いだ。
灰色だ。
そうだあの雰囲気と同じだ。
そうだあの場所と似ている。
そうだここは、
そうだここを、
そうだここが……
†
「操佳……? 操佳、どうかしたのか」
刀熾は操佳の肩に手をかけ、軽く揺さぶる。 操佳は小さく「大丈夫」と呟き、虚ろな瞳のままあたりを見回した。
刀熾はそんな操佳を訝しむ。
その部屋は研究室のような場所だった。
手前には長机が並び、奥にはコンピュータの画面が見える。左の棚には薬品らしいモノが入ったビンがずらりと収納されており、右側には人の背丈程もある薄赤色の水が入ったビーカーのようなモノが二つ設置してある。
この部屋に辿り着いた時、操佳は入口で立ち止まり中を少し見たっきり、動かなくなってしまった。ぶつぶつと口の中で何かをつぶやいているのは刀熾からも見て取れたが、何をつぶやいているかまでは分からなかった。
「ここって何の研究施設なんだろう?」
刀熾は先にゆっくりと中に進んだ。ただここはあくまで通過点のはずだ。長居する必要もなかった。まっすぐ奥にはまた廊下が見える。
更に奥に進もうとしたとき、ガタリと物音がした。
刀熾はビクリとして立ち止まった。音はすぐそばからだ。ちょうどそこにある戸棚の陰あたり。刀熾はおそるおそるそこを覗きこんだ。
ふいに、目があった。
「こ、子供……?」
そこにいたのは幼い少女だった。実際にも見たないであろう少女がそこにうずくまるようにしていた。目が隠れるほどに伸びた白い前髪が不思議な印象を与える。その隙間から覗く彼女の瞳は、どこかで見たような赤色だった。
「どうかしたの……?」
いつの間にか後ろに操佳もいた。
「いや、女の子が……」
少女は怯えている様子だった。小刻みに身体を震わせている。
操佳はゆっくりとしゃがみこむと少女に笑顔を向けた。それから彼女の頭を優しくなでた。
「大丈夫。私たちはなにもしないわ」
とても優しい声だった。
その言葉に少女の震えは止まったようだった。操佳の言葉は刀熾には紛れもない日本語に聞こえたので、外国人のようなその少女に伝わったのか刀熾は少し心配だった。しかし、統一言語というものの力を思い出し、おそらくそれを使ったのだろうと納得した。
続けて操佳は少女に尋ねた。
「君は誰? どこから来たの?」
少女は戸惑いつつも、すこし間をおいてゆっくりと口を開いた。
「あの……、私はアストライア……。アストライア・スピカ。私、おうちにいたはずなんだけど……ここはどこ……?」