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カツ、と一歩足を踏み入れるとそこは暗闇だった。空調が入っているのか、外の乾いた暑さと比較すると震えそうなほど寒い。床は無駄に硬く、一歩歩いただけでもその反発力は感じ取れる。
「こんにちは」
突然、奥の方から、子供のような無邪気な声が響いてきた。その刹那、操佳は殺気を感じた。相手の姿は見えずとも、確かに感じられる存在感。闇の向こうに誰かがいる。
誰――と声を発そうとしたその時、操佳は周囲の僅かな気温の上昇を感じ取った。チリチリと何かが焦げるような音がかすかに聞き取れた。操佳は瞬時に状況を把握。間髪入れずに真横へ跳んだ。
「ばーん、あはは!」
次の瞬間、扉の周辺は轟音とともに爆風に包まれた。部屋の温度が一気に上昇する。
「避けるよね、それくらいは」
また声が聞こえたかと思うと、その声にかぶさるようにがらがらと金属の音が聞こえた。爆発を紙一重でかわした操佳は、しかしいたって冷静だ。すぐに上を見上げる。
暗闇で、さらに粉塵も舞う視界の悪さの中で、操佳が何とか捉えたのは巨大な刃。それは落下する大きな刎殺道具。
「そんなもので、私を殺せるとでも?」
質量を武器に、襲い来る処刑道具。操佳は、勢い良く降ってくるそれを素手で、それも片手で受け止めた。刃は操佳の手に食い込むことはあれ、切り裂くことはなかった。
灯りがともる。
テニスコートほどの広さの部屋だった。柱はなく平坦な白い壁に囲まれている。天井は薄いパネル型照明が覆っていた。
操佳は手に降ってきた大きな首斬り包丁を持ったまま、正面を向いた。
正面には扉がある。しかし、その前には何かが山のように積み重なっていた。そして、その上に座る人影があった。
それは幼い少年だった。見た目の年齢だけなら、十歳くらいだろう。青みがかった銀髪は、乱雑に切られ、鋭い刃物の印象をあたえる。少年はただ目を閉じたまま、操佳を直視する。
操佳は、そんな少年と手元のギロチン包丁とをそれぞれ一瞥すると、
「これ、返すわ。私には必要ない」
操佳は刃を少年に向かって投げた。
少年は微動だにせず、ただ目を見開いた。赤い瞳が露わになる。ギロチンの動きが宙でとまる。何らかの力が働き、宙に浮いたまま静かだ。落ちることもなく、その場にとどまっている。
「ご返却ありがとう。僕にはこれしかないからね。ただ、投げ返すのはどうかと思うな。これでも僕はひ弱な子供だよ。君みたいに、素手で刃を受け止められるような人じゃないよ」
無邪気な声が部屋中に反響する。丁寧な口調だが、裏表のない無垢な子供の声だ。だが、操佳は少年のことを子供であるとは、微塵も思っていなかった。魔的な赤く小さな瞳、色の薄い肌。彼はおそらく【AH】だ。【AH】には大人も子供もない。生殖能力のない【AH】は生まれいづるその時からほとんど姿を変えない。
単なる見た目上の問題なのだ。しかし、見た目は子供でも中身は純然たる【AH】。侮ることはできない。
操佳は、彼の言葉に鼻で笑う。
「そんな鈍らな刃のなにに執着しているのか、理解に苦しむわ。それに、あなた、【ヒト】を騙るわけなの? 所詮、【AH】は【AH】。それも出来損ないの3rdシリーズが、むやみにヒトを騙らないでほしいわ」
「あはは。そうだね。確かに僕は君たちが【AH】と呼ぶ物体だ」
操佳は、彼を睨み、次に彼の座っている山に視線を移した。
「それはあなたのコレクションかなにかかしら」
鈍い白の城。
それは骨の山だった。積み上げられた亡骸の山。その中にはまだ肉の色がのぞいているものもあったが、ほとんどが白骨化したものだった。
積み上げられた死の上で少年は楽しそうに笑う。
「コレクション? うーん、違うね。あえて言うなら、椅子? いや、すわり心地は最低だからそれも違うか。でも、少なくともコレクションではないね」
彼は骨の山から頭蓋骨を手にすると、ぽんぽんと手の上で跳ねさせた。
「こんなの、コレクションにするほど趣味は悪くないよ」
「へえ、そう」
操佳は興味なさげに歩を進めた。
一歩、一歩と前に進みながら、操佳は彼に尋ねた。
「あなたはこの入り口の番人といったところかしら」
「うん、そうだね。あくまで自称だけれども。僕はこの第十一の――」
「タロオの扉の番人か」
呟く操佳の言葉に、少年は、へえと声を上げた。
「君は少しはものを知っているようだね。そう。タロオの入り口だよここは」
心底嬉しそうに、少年は笑っている。彼は頭蓋をぽいと後ろに放り投げると、腕を前に伸ばし、ぐいっと引いた。空中に静止していたギロチン包丁が少年の手元に移動した。
「そう……。彼らは君がやったの?」
「そうさ。みんなザコばかり。ただの人間ばかりだった。何に夢中になっているかは知らないけれど、爆発すら察知できずに死んだ者がほとんどだ。爆発を避けられたとしても、僕のこれでみんな死んでいった」
そう言って、鈍く光る刃をなでる。
「あなた名前は?」
操佳は彼を睨みつつ問うた。
「名前? 僕の名前はクティノス・バラ……」
「あぁ、いいわ。やっぱりもういい。必要ない」
クティノスの科白を操佳は遮る。
「よく考えたら、今から消す相手の名前なんて覚えていても記憶領域の無駄遣いね」
自分から訊いておきながら、しかし興味の無さそうな操佳の言葉にクティノスは立ち上がる。刃を構え操佳を見下ろす。
「……消す? 消される? ――ちがう、僕は生きる。ここに在る。消されるのは君の方だよ。名前は死後まで覚えていってもらう。君の身体に刻み込んでやる。精神的にも! 物理的にも!」
激昂……というよりは癇癪に近いものを操佳は感じ取った。【AH】は感情が一部欠落していることもあるが、基本的に感情は人間と同じだ。
見た目が子供である彼は、その中身――感情構成も子供であるように操佳は思えた。
「殺す――――」
クティノスは前へと跳躍した。思いっきり死屍の山を蹴り遠くまで跳ぶ。そうして一瞬で操佳の後ろをとった。
「殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」
ギロチン包丁を前方に構え一直線に操佳の首を狙う。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺――――――」
操佳が首だけで振り返った。
「誰を殺すって?」
クティノスは確かに操佳の眼の色が変わったことを感じ取った。
突き刺さるような視線。
しかしクティノスは怯まない。
彼はそのまま刃を振りかぶり――――
欠落した感情にも個体差がある。
クティノスに欠落した感情は【恐怖心】であった。
†
興味のないことには、興味を持たない。
興味のあることには徹底的に。
でも、その興味が殺人というのもどうかな。と私は思って。
でも、すぐに自分の中で矛盾を見つけて私はつい苦笑い。




