1/
刀熾たちを乗せた小型ジェット機は、すでにアフリカ大陸の上空に達していた。
自家用ジェットとはいえ、中はゆったりとしていて余裕のある作りだった。長時間のフライトではあるが、そのおかげであまりつかれることもなかった。とはいえ、気疲れということはあった。
これは旅行などではないのだ。今から向かうのは得体のしれない【バベルの塔】。そして、そこで何が起こるのか。刀熾はそれ以上考えることはしなかった。したくなかった。
「まもなく、ポイント0近辺です」
機長の声が聞こえてくると、今まで目を閉じ眠っていたらしい操佳は、起上り、窓の外を見た。
外は一面の海だった。
「分かった。じゃあ予定通りに。分かっていると思うけれど、ポイント0の半径百メートル以内には入らないように。ポイント0を中心に旋回をして」
機長の了承の声とともに、機体はゆるやかに旋回を始めた。
刀熾も窓の外を見た。
「なあ。そのバベルの塔ってのはこの近くにあるんだよな。海上なのか?」
「うん、そうだよ」
「……それにしては、なにもないけれど」
刀熾は目を凝らす。ただ一面の海。どこにも塔のようなものは見えない。
「そりゃあ普通に見えるようには創られてないよ。それに塔自身が姿を隠しているしね……ほら、あれを見て」
操佳の指差す先を見ると、海上に大きな影が映っていた。
「なんだ、あれ」
かなり大きいその影は、ただその場に留まり、波に合わせてゆっくりとうねっていた。
「通称、【神の影】。地元では神聖視されてるみたい。まあ、誰もあれの正体が何なのかは知らないだろうけどね」
「正体?」
「あれは、バベルの塔の影なの」
言って、操佳は窓に右手をかざした。どこか遠くを掴むように、宙をまさぐる。
「あった」
呟くように言うと、操佳はぐっと力強く何かを握る動作をした。
すると、同時に窓の外の景色に変化が現れた。一枚布が掴まれたように、空間にしわができ、ばきばきと大きな音を立てて軋んでいた。操佳は腕をぐいと引いた。バキンと耳をつんざくような大きな音とともに、見えない幕が引き破られる。突如として、そこに巨大な建造物が現れる。
引き破られた空間の欠片が舞い、太陽の光を反射して硝子のようにきらきらと輝いた。
刀熾はつい息を呑んだ。
それは天に届かんばかりの巨大な塔だった。何かの壮大な物語にでも出てきそうな、現実離れした規模だ。塔とはいえ、その外周の大きさはというと、一国を担う旧い城のようでもあった。
その外見は一言では言い表せないものであった。形だけでいうならば、下部のほうが周が大きく、上にいくにつれだんだんと細くなるという簡単なものだ。しかし、見た目は、古風な塔を基調に、近代的な装飾をあとから付け足した……そのように見えた。世界中に存在するあらゆる建築様式がもあった混ぜ合わされているようでもあった。それは確かに人の手によって造られたものだというのに、その存在の神聖さと荘厳さは、人工物とは思えない息遣いを感じさせた。
こんな建造物、誰も見たことがなかった。
知識にもない。
こんなものがこの世に存在していたなんて、信じられなかった。
その圧倒的なまでの存在感に、刀熾はしばし言葉を失った。
「どう? すごいでしょう。まあ、私自身も初めてみたのだけど」
操佳の声に、刀熾は急に現実に引き戻された。
「……これがバベル?」
「そう、これこそが空間迷彩で数十年の間隠れ続けてきた、秘密の塔。the tower of babel。バベルの塔。さあ、刀熾、降りるよ」
「降りるって、どうやって」
「うん、ヘリポートなんてものはなさそうだから、直接。私の【力】を使ってね。さ、私の手をしっかり握ってて」
操佳は刀熾に手を差し出した。
刀熾はここにきて少しだけ迷った。ここで拒否すれば嫌な目に遭うことはないかもしれないと。しかし、その考えはすぐに消えた。
操佳の笑顔が、そんな考えを吹き飛ばした。
自分に何ができるかは分からないが、ほんの少しでも、その笑顔を守ることができれば、と。
刀熾はしっかりと操佳の手を握った。
「じゃあ、行くよ。瞬間移動のようなものだから。目を閉じててね。じゃあカウント行くよ」
「あ、ああ」
「三、二、一」
†
「はぁ、すごいもんだなあ。これが例の塔か。いやはや、これは予想していた兆倍くらいだなあ」
「そうね。えっと、なんだっけ。……そう、【創造のバベル】」
バベルの塔の複数ある入口の一つを前に、男女の二人組が英語で会話をしていた。
男は年齢、二十後半というところだろうか。女の方はそれよりもっと若く、まだ顔にどこか幼さののこっており、十代のように見える。
二人のすぐ近く、護岸脇には一艘のモーターボートが波に合わせてぷかぷかと浮き沈みしていた。。彼らが乗ってきたものだろう。
男はかけていたサングラスを少しずらしながら、塔を見上げた。
「どこまでも伸びてるな、この塔は。天を突き破るつもりかな」
女もつられ、上を見る。
「案外そうかもね。だってバベルの塔だもの」
下から上にかけてだんだんと細くなっていく高い高い塔の尖頭は見えなかった。逆光のせいもあるが、それ以前に高すぎて視認することができないのだ。
「こんなに大きな塔だ、さぞ中は面白いんだろうな。ワクワクするな」
男は心底嬉しそうに笑みを浮かべる。
「あんまりはしゃがないでよ」
「はは。何を言ってるんだ。一番胸を躍らせているのはお前のほうだろう?」
彼は女のほうを見た。
彼女もまた濃い色のサングラスを掛けており、表情はいまいちうかがえないがどこか楽しげだった。
「そうかもね。でも、狙ってるのは私たちだけじゃないはず。だからそれなりには気を引き締めていかないと」
女は向き直るとサングラスをずらし男を睨む。
男はやれやれといった感じで歩を進めた。
「狙ってるって何をさ」
女もサングラスをかけ直すと男について歩き始める。
「いまさら何を惚けてるの?」
一息。
「【神】の座を手に入れるんでしょう?」
男はその言葉に、ただ苦笑した。