新年祭 【4】
「あーにきー、まだ起きてんの?」
「まーなー、つうかそう言うお前もまだ起きてんのか」
夜中の二時、リビングで慣れないパソコンを使い、眠気覚ましにコーヒーを飲みながら、入ってきた妹に返事をする。 この時間ともなると、さすがにコーヒーでも太刀打ちできない眠気が襲ってくる。
俺が取り組んでいるのは、他でもない新年祭の書類作りだ。 仕分けが終わったらそれで終了というわけでもなく、次の仕事として新年祭のしおりやら各部活、各クラスの出店を表にまとめたりの仕事が任されたというわけ。 とは言っても、そんな難しい仕事ではない。 俺に渡されるのはほぼ完成している物で、それの修正と手直しだけである。
まぁそうだとしても量が量だ。 人数が当初の半分ということもあり、明らかに一人で捌ききれる量ではない。 それは実質委員長の柊木や、副委員長の空色さんでも分かっていることで、終わらなかったら後は任せてくれていい。 との大変ありがたいお言葉を頂いている。 そして、大変残念なことながら俺は負けるのが嫌だ。 それはこういう小さなことでもそうで、だからこそ一度任せられた以上、俺は全て終わらせるつもりでやっている。 なんなら、朝までずっと起きているつもりでもある。
「……なんか、ヤな感じだよね」
真昼は言うと、ソファーへと横になる。 風呂に入っていたのか、髪は濡れていて、上はタンクトップで下はスポーツパンツという格好。 これが西園寺さんやクレアや柊木だったら「お前もっと服装なんとかしろ」と言っているところだが、妹なので心底どうでも良い。 集中力が途切れることもない。
「なにが」
カタカタとキーボードを軽快に人差し指のみで打ちながら素っ気なく言うと、真昼は横になったままの姿勢で言う。
「決まってんじゃん。 その矢澤っていうクソ女のことだよ」
「……確かに俺もクソ女だとは思うけど、お前が言うとなんかイラッとするな」
これはあれだ、事実はそうなのだけど部外者に言われるとちょっとイラッとするあれだ。 ヤングドリーム現象と名付けよう。 名付け親はリリア。 流行ったら嫌だから誰にも言わない。
だが、真昼に関しては強ち無関係ってわけでもないんだよな。 というか、俺の所為で巻き込まれたと言っても良いか。 その点は、申し訳ないとは思っている。
「相変わらず歯に衣着せぬ言い方だなぁ、兄貴は」
「……お前、マジか? え、今、お前なんて言ったの?」
「どうしたんだよそんな驚いて。 もしかして頭にくること言った? なら、ごめんよー」
そう言い、真昼は両手を合わせて片目を閉じる。 真昼が持っている唯一の長所、ちょっと可愛い謝り方だ。 適用対象が俺のみという必殺技である。
「いやそういうんじゃなくてさ、お前がそんな頭の良さそうなこと言ったのが驚きだった」
おかげで動いていた手が止まったけどな。 それはもう仕方ない。 一旦止まると、そのまま休憩を取りたくなってくる。 部屋を片付けていたら少年漫画が見つかって、そのまま読み始めるあの現象に似ているな。 これもヤングドリーム現象で良いかもう。
「……あたしだってそりゃ多少は頭良いんだよ! 夢は東大生だからな!」
その発言が既に頭悪い発言だけど、ここは見逃しておいてやろう。 夢は東大生ってお前の夢は大学行ったら終わるのかよ、人生短すぎるだろ。
「つか、兄貴マジであれやる気? ふっつーに、バレたらマズイんじゃないの?」
「どうだろうな。 だけど、俺がやるのは虚実を作ることじゃない」
「まーそうだけどさ」
恐らく今回の件に俺ではなく真昼が直面していたら、こいつは正面から矢澤とぶつかり合っていただろう。 真昼のやり方はいつだって、正々堂々なやり方なのだ。 対する俺は、卑怯で卑劣な策を取る。 それが俺と真昼の決定的な違いだ。
「なんか、納得いかないわやっぱり。 兄貴だけが、泥被ることになりそうで」
「ん? 別にそれなら良いだろ」
「……はー、だから駄目なんだよ兄貴は。 分かってないだろ」
そう言う真昼は、どこか怒っているようにも見えた。 俺のそのやり方が気に入らないのか、俺だけが泥を被ることになるのが嫌なのか。
「結末までは分かっているって。 だから俺はそうするんだ」
「ま、兄貴がそれで良いならあたしは手伝うよ。 手伝うけど、応援はしないからな。 他に何かすることあったら、言ってくれ」
言って、真昼はソファーから起き上がる。 冷蔵庫からスポーツドリンクを一本取り出すと、そのままリビングを後にした。
その姿を見送り、俺は視線をパソコンへと向ける。 画面には新年祭のスローガン「手を取り合い、全員で作り上げる親燃祭」と書かれていた。 親しみを持ち、燃えるような祭りにするとの当て字である。
「……アホくさ」
馬鹿馬鹿しいスローガンに思わず苦笑して、俺は作業へと取りかかった。
「えっと……まず、なんだけど」
次の日、実行委員室へ入るとすぐに座るように指示され、俺は空いていた適当な席へと腰をかける。 教室内には実行委員全員の姿があり、あの矢澤の姿でさえあった。 そして、教室を包んでいるのは険悪な空気だ。
「チッ、あたしの悪口まき散らした奴誰だっつうことよ! こんなかに居るんでしょ!?」
おどおどした様子で言う空色さんが癪に触ったのか、委員長の矢澤は立ち上がって言う。 矢澤の席は一番前にあり、その右隣に柊木、そして左隣に空色さんの席だ。 つか、一応矢澤は一年なのにこええなおい……。 しかしそれで怯える空色さんも空色さんだけど。
「や、矢澤さん落ち着いて。 確かに、酷いことだけど」
「だけど、なんですか? だけどその通りだとか言うつもりですかぁ!?」
言い、矢澤は黒板を叩く。 そこに貼られているのは、一枚の用紙だ。 そのタイトルはこう。
矢澤真美、実行委員の仕事を全て他に押し付ける。
その下には、矢澤が実行委員でしたことが事細かに書かれている。 柊木に押し付けた仕事の内容、自分はクラスの出店を楽しんでいること、委員長である矢澤が抜けたことによって、他の奴らに皺寄せが行っていること。
ちなみに、俺の席は一番後ろ。 この位置から、その紙の内容は当然読み取れない。 どうして知ってるかと言えば、その紙を張り出したのが他でもない俺自身だからだ。
真昼が乗り気でなかったのも、無理はない。 あいつはこういうこと、絶対に納得しないだろうからな。
「つうかさぁ、こんなこと知ってるのって絶対内部の人間っしょ。 言っとくけど、あたしは頼んだだけで押し付けたりなんてしてないっつーの!」
その言葉に、誰も賛同はしない。 押し付けたのは全員が知っているところで、正直スカッとしている人間の方が多いだろう。 残って仕事をしていた人間は当然のことながら、一緒に抜けていった奴らも攻撃の対象が矢澤に行ったことにホッとしているはずだ。
他の奴らに関しては、俺が特に何かしようとは思っていない。 囲まれた人間に、一番最初に石を投げた人間こそが諸悪の根源だ。
「……てか、てめぇか柊木? お前がやったんだろ?」
「知るか。 そんなくだらないことをする暇があったら、私はお前に頼まれた仕事をやっているよ」
柊木はこんな空気の中でも、パソコンに向かい仕事をこなしている。 どこまでも真面目な柊木は、どんな状況でも真面目なのだ。 俺だったら空気痛すぎてバックレるよ絶対に。 でも「頼まれた」の辺りを強調する辺り、柊木も若干苛立っているのは確かかな。
「あ?」
その言い方が気に食わなかったのか、矢澤は柊木の元に向かう。 だが、そんな矢澤を止めたのは空色さん。
「矢澤さん、落ち着いて落ち着いて。 雀ちゃんは私と一緒に来たから、そんなことをする暇はなかったはずだから」
「チッ……」
さてと。
俺は時計に視線を向ける。 そろそろ、委員会担当の教師が来る頃だ。 そうなればこの犯人探しは有耶無耶となり、靄で覆われる。
「矢澤、もう良いだろ。 何もこの中にそれを張り出した奴がいるとは限らない。 それに、そろそろ教師も来る。 こんなことに時間を使うなら、私も含め各自新年祭に向けた準備に取り掛かりたいのだが」
「……ぜってぇ見つけるからな、犯人」
それだけ言い残し、矢澤は教室を後にした。 残された奴らも、それが終了の合図となって動き出す。 仕事をする奴は書類やらを取り出して、去っていく者は去っていく。
これで良い。 これで良いんだ。 新年祭は一週間後、それまでに犯人を探し出す時間は確実にない。 矢澤もそれが事実だから、教師陣に告発することだってできないだろう。 矢澤はこの問題はあくまでも、実行委員の中で済ませるつもりだ。 矢澤がそう思っている限り、全てが終わるまで俺の元に辿りつけやしない。
そして、その俺の予想通り、新年祭までの間に矢澤が犯人を見つけることはできなかった。
「本当に良いのかな? 座ってるだけで」
「良いだろ。 どうせこんな辺境の地に人なんてこないし」
新年祭初日、俺は部室で西園寺さんと店番をしている。 俺たちが出店することになったのは、天文学の資料や写真の展示だ。 ここに来て初めて暦学っぽいことをやっている気がする。 結局、資料集めの方は西園寺さんとクレアにほとんど投げっぱなしになってしまったが、どうやら二人の方が効率が良さそうだったみたいでなんか悲しい……。
「そうかなぁ? 折角集めたのに……」
「いや来る。 多分来る。 来ないと困る」
悲しそうにしていた西園寺さんを放ってはおけまい。 俺は適当な切って張ったかのような言葉で誤魔化すことにした。
「えへへ、だよね。 それにしても、成瀬くんは大丈夫?」
「ん? 何が?」
「最近、疲れているみたいだったから。 雀ちゃんもそうだけど、なんだか大変そうだなーって」
「俺はそうでもないさ。 いっつもだらけてる分、こういうときくらい働かないとなぁ」
とは言っても、正直寝不足も良いところだ。 外が明るくなり始めるまで作業して、学校から帰るのはすっかり暗くなった頃で、ここ最近では西園寺さんやクレアと話すらしてなかった具合だ。
「そっか。 そうなら良いんだけど」
西園寺さんは言うと、俺の隣でにこっと笑う。 こういう小さな仕草の一つ一つが、一々卑怯だ。 ああー、俺の疲れが癒されて行く。
「にしても、賑やかだな」
言いながら、俺は背後にある窓から外を眺めた。 生徒は慌ただしく動いていて、訪れている客は楽しそうだ。 これぞ青春といった風に、皆が皆笑顔で歩いているのがここからでも分かる。
柊木は実行委員の仕事で、クレアはリリアを連れて校内を歩き回っていて、余った俺たちは店番か。 俺は別に良いんだけど、西園寺さんの方はそれで良かったのだろうか? まぁ、新年祭も今日だけではないから、明日にはクレアか柊木が店番をするとは思うけれど。
「そうだ、成瀬くん。 最近お話する機会がなかったから言えなかったんだけどね、成瀬くんに話しておきたいことがあるの」
「俺に?」
まじまじと入り口の扉を見つめていた西園寺さんは、何かを思い出したかのように口を開く。 それを聞き、俺は窓の外を眺めるのを止め、西園寺さんの方に顔を向けた。
「うん。 実はね、雀ちゃんとはお話したんだけど、もうすぐクレアちゃんのお誕生日でしょ? だから、みんなでお祝いをしようと思って」
クレアの誕生日……そっか。 そういや、あいつはまだ十五歳だったっけか。
「それは構わないけど、あいつの誕生日知ってるの?」
こう言うのもあれだけど、クレアは孤児だ。 なので、正確な誕生日とか分かるものなのだろうか? 生い立ちも生い立ちだし。
「それは大丈夫だよ。 この前ね、神田さんが教えてくれたんだ。 クレアちゃんとリリアちゃんを連れて行くときに、書類は貰っているんだって」
へえ。 ってことは、クレアが生まれたときの記録はあったってことか。 つうか考えてみればそうか、あいつは自分の年齢を把握しているんだし、そういうのがあっても不思議ではないよな。
「なるほどな。 それで、誕生日っていつ?」
「二月の一日だよ」
また随分と寒い時期に生まれたもんだ。 その寒さを受ける面積を少なくするため、あいつの体は小さいのか。 この理論ちょっと面白いな。 今度学会に提出しよう。 成瀬陽夢脳内学会に。
「……成瀬くん? どうしたの? いきなり笑って」
「あ、いや。 なんでもない」
あぶね、顔に出てたか。 西園寺さんだったから良かったものの、これがクレアだったら「何の犯罪を考えているんですか」とか言われているところだった。 笑っただけでそこまで言われる俺は可哀想だと思う。 マジで。
「んじゃ、そうだな……新年祭終わったら、適当に時間あるときに少しずつ決めていくか。 何事もなければ」
一応、俺も誕生日を祝われた側だからな。 そのくらいはしておかないと駄目だろう。 クレアの誕生日会なんて、とりあえずドッカンドッカンしとけば良いだろ。 イメージ的に。 花火ってこの時期あるのかな。
「そうですね、それが良いと思いますです」
「……いきなりどうした?」
「……えへへ、クレアちゃんのものまね」
ああ、クレアの真似だったのか今の。 いきなり口調がおかしくなった所為で、ついに天然が行き過ぎたのかと思ってしまった。 危うく、救急車を呼ぶところだった。 というか西園寺さんのボケが分かりづらすぎて困る……。
「まったく似てないです。 西園寺のものまねは、私に一ミリも似てないですよ」
腕を組み、つんと顔を逸らして俺は言う。
「……成瀬くん、怖い」
「ほっとけ……」
酷い言われようである。 似てる、似てない以前に怖いってどういうことだ。 どんだけ怖いんだ俺の顔よ。 鏡で表情を作る練習でもしようかな。
そういや、その昔「どうして成瀬はいつも不機嫌そうな顔をしているんだ」って、中学の教師に怒られたことがあったっけか。 俺のナチュラルな表情はどうやら不機嫌そうに見えるらしい。
「そ、それじゃあ、新年祭が終わった次のお休みに、みんなで集まろっか。 雀ちゃんには、わたしから言っておくね」
「りょーかい。 詳細決まったら連絡くれ」
「うん、分かった」
こうして、新年祭一日目は終わる。 本日の客、ゼロ。 ちなみにこのときの西園寺さんとの約束は、果たされることはなかった。




