七月二日【6】
『祝辞。 おめでとうございます。 知恵を絞り協力し解決。 ああ素晴らしや。 それだけ』
「ふっざけんなバカヤロウッッッッッ!!」
「だ、駄目だよ成瀬くんっ! 折角褒めてくれているんだからっ! 確かにもうちょっと褒めてくれても良いと思うけどっ!」
勢い良くその手紙を叩きつける俺を必死に止めるのは西園寺さん。 もうちょっと褒めてくれてもって……そういうことじゃない! 俺が怒っている理由はそういうことじゃない!! どう見たらそんな穏やかな理由で怒っているように見えたんだよ!?
折角……折角あれだけ考えて、あれだけクッソ暑い中自転車を漕いで……学校をサボって……西園寺さんの掴みどころのないトークにも付いて行って……それでやっと……やっと正解を見つけたというのにッ!! なんだよこれ!? それだけじゃねえよ馬鹿かよ!?
「だーくそ!! まっじでなんだよ!? なんで最後に「それだけ」とか余計なこと書いてんだよ!? 絶対いらないだろこのひと言!!」
「まぁまぁ落ち着いて落ち着いて。 ほら、えへへ」
西園寺さんは俺の両肩を掴むと、にっこりと笑う。 なんというか……あー。 調子狂うな、ほんと。
「……はぁ、分かった分かった分かった。 けど、酷いだろこれって……あんまりだ」
「そんなときは、歌を歌おう!」
元気よく、ハツラツとしている西園寺さんだ。 そのメンタルの強さは見習いたいよ俺。
「あーさ、きらきらたいようー」
「だめ! その歌は駄目っ! 違うのでお願い!」
なんだ、案外リズムが良くて気に入っていたのに。 変に耳に残るんだよな……この西園寺さんの歌。 耳について離れないから、少し困ってもいるのだが。
「そうは言っても俺、他の知らないしな……。 それに、カラオケだって行かないし」
「え!? カラオケに行ったことがないの!?」
西園寺さんは言うと、俺に顔を思いっきり近づける。 両肩に手が依然置かれたままなので、周りからみたら「そういうこと」をしているようにも見えるんじゃないかと心配だ。
「おわっ! そんな驚くこと? あーそっか、西園寺さんってそういえば、ヒトカラが好きなんだっけ」
「……へ?」
あ、やべえ。 ついつい口が滑った。
「……な、成瀬くん。 な、な、なななんでそれを知ってるの!? 成瀬くん!?」
「ちょ、ちょっとストップストップ! そんな、体を揺すられながらだとなんも言えないって!!」
ぶんぶんぶんと、勢い良く俺の体は前へ後ろへ。 そんなことをされながらも俺はどう言い訳をしたものかと思考。
……うーむ。 どんな言い訳をしても、西園寺さんは納得してくれそうにないな……この動揺っぷりだと。 仕方ない、ここは最後の策を使うか。
「……答えてください、成瀬くん」
いつもとは少し違った様子で、睨むように俺を見る西園寺さん。 それだけヒトカラ趣味というのがバレたくなかったのか。 恐らくだが、西園寺さん的にはこれは怒っている状態なのだろう。 いつもにこにこ笑顔の彼女が睨むってことはかなりの怒りっぷりなのか。
ならばやはり、俺は最後の策を使うしかないようだ。
「あーっと……実は、ループする上で色々と調べててさ。 勿論、西園寺さんのことだけじゃないけど……それで、西園寺さんの好きな食べ物とか、趣味とか、そういうのも調べてて」
あれは確か、十回目のループのときのこと。 つまり、今から一ヶ月前の七月。
西園寺さんと直接話すことはしなかったものの、周りの人間からの情報収集に明け暮れていたんだっけ。 西園寺さんのことを多少でも知っている人に事情を聞いて……とかやって気がする。 ある程度調べたところで、なんだかストーカーを見るような目で見られ始めたので、そこで調べるのはやめたが。
ふふふ、俺が考えた最後の策。 なんだかそれっぽいことを言って同情を引く作戦だ。
「……おぉ。 やっぱ成瀬くんって、真面目だね」
そして、何の疑いもなしに引っかかる西園寺さん。 なんかちょろいな。 言われた言葉を全てそのまま鵜呑みにする勢いじゃねえか。
それにそれを真面目と呼ぶのには、議論の余地があると思う。 少なくとも俺よりも西園寺さんの方がよっぽど真面目だよ、なんて思う。
「まぁそれで、西園寺さんの情報も色々集めたってこと。 だから、別に変な意味じゃないから」
「うんうん、良いよ。 いきなり掴みかかったりして、わたしの方こそ変だったかも。 えへへ」
……この優しさは、俺もちょっと見習った方が良いな。 こんな大人しくて丁寧な性格の人なんて、そうそう居ないだろう。 加えて言えば、こんな抜けてる人も他に居ないと思う。
「でも、一つお願いがあります」
なんだ、この得体の知れない威圧感は。 まるで、死の宣告でもされるような気分だが……。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、西園寺さんは言う。
「今度、一緒にカラオケ行こう。 行けば成瀬くんにも、きっと楽しさが分かるからっ!」
「分かった考えとく」
即答する俺。 この「考えておく」という言葉はある意味で魔法の言葉だ。 肯定も否定もせずに、だけど拒絶というわけでもない言葉。 拒否をしたいときにはとても便利な言葉である。
つうかそう来たか。 確かに西園寺さんと二人で遊ぶというのは、心躍るものがあるのは事実だ。 男が美人に弱いのは世間の常識でもある。 しかし、そもそも俺は遊ぶということが苦手だ。 何をすれば良いのか分からないし……ああ、この場合はカラオケに行く、という目的があるから、その点で言えば良いかもしれないけど。 だけど、行って何をすれば良いのか分からないし。 そもそも、男女二人で遊びに行くってことは……さっきも思ったようにそういうことになるだろう? なんか恥ずかしいし!
「だめ。 考えとくじゃなくて、はい」
なるほど。 さっきの正体不明の威圧感はこれか。 西園寺さんは最初から、俺に拒否権なんて与えていなかったのだ。 納得した。 魔法の言葉もどうやら、西園寺さんの前では意味を成さないらしい。
「分かったよ……行けば良いんだろ」
「えへへ。 それじゃあ今度の日曜日ね。 約束!」
「は? 次の日曜日!?」
「そうだよ?」
いやそこはせめて、このループを脱出してから……とかの方が良いと思うんだけど。 まずはこの状況をどうにかしないと、遊ぶ気分にもならないだろうに……。
「楽しみだなぁ」
あ、そうだった。 俺の前に居るのは西園寺さんだった。 なら仕方ない。
「……でも、だからなんだね」
「ん? だから?」
先程よりも雰囲気が少し変わったことに疑問を感じて尋ねた俺に対し、西園寺さんは両手を丁寧に体の前へとやり、続ける。
「成瀬くんは、わたしのことを知っていたから、話しかけてくれたんだね」
……確かに、そうかもしれない。 もしも俺が西園寺さんの情報をまったく持っていなかったら、あそこで踵を返していた可能性だってある。 少なからず、西園寺夢花という人を知っていたから、俺は特に何も思わずに話しかけていたのかもしれないな。
「どうだろう。 けど今までの十回で何も話していないことを考えると、そうなのかもしれない」
そう言ったとき。 頭に電流が走ったような感じがした。 俺は、一つのことに気付いたんだ。
もしかして、もしかしてだが……このルート、俺が西園寺さんと会うという、十一回目にして初めて入ったルート。
その条件が、西園寺さんのことを知っている状態で七月一日を迎える、というものだったとしたら?
だとするならば納得が行く。 昨日の朝、武臣がいつもと違った台詞を言ったのも、それが切っ掛けで西園寺夢花という、俺と同じようにループしている人に出会ったことも。
いや、でも待てよ。 確かにそれがこのルートに入る条件だったとしても……それはループを前提としている条件、だよな。 俺が西園寺夢花の情報を持っていて、尚且つ一度ループして、七月一日を迎えなければならないというのが絶対の条件だ。
そこから考えられること、それは。
「……俺と西園寺さんが出会うのが、ループを抜け出す必須条件……ってことか?」
「え? 成瀬くん、どうしたの?」
そうだ。 あのとき、屋上へ行ったあのときのこと。 そこで見つけた手紙の内容は。
『鍵はもう手の中に』
つまり、つまりだ。 俺にとっての鍵はこの、西園寺夢花という一人の少女で。
西園寺さんにとっての鍵は、成瀬陽夢という一人の人間で。
それを踏まえて考えよう。 問題は、鍵の使い方。
鍵はどうやって使う? 普通に考えれば、手に持って扉の前に立って、錠に鍵を差し込んで……。
「いや、まさかな」
俺は一つの可能性に行き着く。 しかし、自らそれを否定する。 ありえない、これはさすがに……ありえない。 落ち着け、それはあくまでも最善の場合だ。 考え方としては、まずは最悪の場合を考えるべき。 この状況、この状態での最悪の場合は……。
「どちらかが死ねば、ループを脱出できる」
「……成瀬くん?」
馬鹿らしい。 けど、それが最悪の場合だ。 片方がもう片方を殺して、ループを脱出できるという答え。
「西園寺さん、俺か君か、そのどちらかが死んだらループを脱出できるとしたら、どうする?」
自分でも、意地悪な質問だと思う。 その質問には意味なんてのはきっとない。 ただ、俺は西園寺さんがなんて答えるのかが気になってしまった。 人を恨んだことも、憎んだことも、妬んだこともないような性格の西園寺さんが、なんて答えるのかを知りたかった。
「それは……」
西園寺さんは俺の言葉に一度目を見開いて、そして細める。 顔は若干下を向いていて、何かを思考しているようだ。
「……うん。 わたしはね、成瀬くん」
そして、俺の方を向く西園寺さん。 そのとき一瞬だけ、その姿に何かがかぶさって見える。 なんだ……?
その現象自体も不思議だったが、それよりも俺の脳裏を掠めたこと。
西園寺さんが出す答えはきっと。
「そうしないと駄目なら、わたしはずっと七月で良いよ。 永遠に七月のままで良いよ。 けれど……成瀬くんがどうしてもループを抜け出したいのなら、そのときは」
西園寺さんは笑って、言う。
「もう仕方ないことだから、わたしは諦めるしかないかな」
やっぱり、か。 やっぱり西園寺さんはそう答えるのか。 出会ってからまだ一週間も経っていないというのに、俺には何故かその言葉が予想できていた。 それはまるで、武臣と話しているような感じ。 付き合いが短いはずの西園寺さんの言動が予想できたのは不思議だけど、それはきっと西園寺さんの分かりやすい性格のおかげだろう。
「……だよな。 俺も全く同意見だよ。 そんなことまでして、先に進みたくはない」
「えへへ」
安心したような、嬉しいような、そんな顔を西園寺さんはする。 花火大会は既に終わっており、この辺りに残っているのは俺たちくらいのものだ。
そんな二人っきりのここが、ループ世界に閉じ込められてしまった俺と西園寺さんを表しているようにも思える。 延々と七月を繰り返し続ける二人を……皮肉にも。
「……さて、帰るか。 そろそろ大分遅い時間だろうし……って、西園寺さんそういえば今何時!?」
「え? 今は……じゅ、十一時……」
ああ、終わった。 これは間違いなく終わった。 西園寺さんの家はどうか知らないが、俺の家は間違いなく終わった。 あの過保護な親のことだ、今頃一体どんな顔をしているのだろう。 帰りたくねぇ……。
「な、成瀬くん。 顔色悪いけど大丈夫?」
「……全然大丈夫じゃない」
死にそうな俺の声を聞き、西園寺さんは握りこぶしを作り、如何にも「頑張れ」と言った感じのポーズをする。 気持ちはありがたいが、もう手遅れなんだよね。
「大丈夫だよ成瀬くん! わたしの家も、きっと大変なことになってるから! ね?」
「余計大丈夫じゃないなそれ。 うわぁ……どうしよ」
良くて警察に連絡されているか、最悪の場合は親父に連絡が行っているか……だな。 前者の場合はまぁ、まだどうにかできる。 しかし問題は後者だ。
俺の父親は、酷く厳しい。 携帯を持たされていないのもそんな父親の所為だしな。 仕事の都合でたまにしか家に帰ってこないが、その帰ってきたときというのが問題だ。 それまでに母親から報告されていった「悪いこと」が全てまとまって降り注ぐ。 次に父親が帰ってくるのは年末だから……ああ、考えたくねぇ考えたくねぇ。
そう思った後に、自分がループ世界に閉じ込められていることを思い出す。 やってこない年末に恐怖を感じるなんて、結局は俺も諦めきれていないんだろうな。 この七月から脱出することを。
「大丈夫大丈夫! なんとかなるなる!」
果たして、西園寺さんはどちらのことに対して言っているのだろうか。
今から気が重くなるような家路に就き、これから俺の身に起こるであろうことに対してか。
それとも、この終わらない七月に対してか。
或いは、その両方か。
まぁ、そうだな。
「……よっし、そう思おう。 なんとかなる!! 絶対にッ!!」
良くも悪くも、西園寺夢花という一人の少女を見ているとそんな風に思わされるのだ。 一緒に居ると元気が出るというか、やる気が出るというか、そんな雰囲気の、そんな少女。
「えいえいおー!」
右手に作った拳を上にあげ、やっぱり西園寺さんは笑顔でそう言うのだった。
ああ、ちなみにだが……親に怒られるというのは、全然大丈夫でもなかったし、なんともならなかったことだけは言っておく。 どうやらそれは西園寺さんも同じだったようで、次の日の西園寺さんはどこか疲れていた顔をしていたのは少しだけ、面白かった。