これは絶対に何かおかしいと思わざるを得ない 【1】
「……なんで」
「えへへ、どうしたの? 成瀬くん」
どうして、こんなことになっているんだ。今日の予定では、俺と西園寺さんとクレアとリリアでお買い物となっていたはずだ。 というのも、例のクレアの服を買いに行くという約束を果たすためだったのだが、当人であるクレアはリリアが風邪で寝込んだために欠席。 それなら後日にしようと西園寺さんはクレアに言ったのだが、二人に悪いとのことでお買い物は決行という運びである。
……いやいや、クレアの服を買いに来たのにお前がいないんじゃ意味なくね? むしろお前のためなのにどうすんの? 当然俺はそう思い、家で千ピースのジグソーパズルをやっていたところ、西園寺さんの突撃自宅訪問があったというわけである。 待ってたのに成瀬くんが来ないからという言葉とともに。
その千ピースジグソーパズルというのも、一度完成した物を崩し、組み直しているんだけどな。 ただ単純にやるのも楽しくないので、まずは絵を覚える。 そしてピースを適当に一つ手に取って、パズル面の正確な位置に配置するという究極の暇潰しだ。 一度間違えたら最初からやり直しで、今は三分の一ほどまで来ている。 完成できたら新しいパズルでも買おう。
「別にどうも。 てか、何しようか」
「うーん、折角だし……何か欲しいものとかないの? 成瀬くん」
「そうだなぁ、敢えて言うなら、時間が欲しい」
何をするか考える時間だ。 切実に欲しい。 金で買えないものはこの世にいくつもあるが、代表的なものは「時間」と「愛情」と「西園寺さんからの好感度」である。 好感度というと「妹からの好感度」もなのだが、真昼の好感度は金で買えてしまう。 十円ガムひとつで一日機嫌良いからな。 真昼の好感度は十円だ。
「時間が欲しいって、なんか素敵だね」
「素敵……? ああ、驚いた。 俺の考えをそう言われるのは初めてだ」
いきなり違う言語を使われたのかと思ってしまった。 西園寺語かと思った。 危うく俺も成瀬語で返すところだったな……あぶねえ。
「えへへ、成瀬くんって見ていて飽きないよね」
「ああ、そう」
西園寺さん的には褒めているのだろう。 だけど、俺には馬鹿にしているようにしか聞こえない……。 多分、俺が捻くれている所為だろうが。
「それじゃいこっか! わたしね、実は少し買いたい物があるの」
「はいよ。 俺は特に欲しい物はないし、付いてくよ」
こうして、俺と西園寺さんは目の前にある馬鹿でかい建物へと入っていく。 その名もショッピングモール。 未知の建物だ。
「で、何を買うの?」
「えっとね、新しい髪留めと、アロマと、シャンプーに……あ、新しいスリッパと、小物入れも! それとね」
「あーじゃあとりあえず一階からだな。 雑貨屋あるし」
多いなおい。 どれだけ欲しい物が貯まってたんだ。 ストレスは溜まる前に発散しろと習わなかったのか。 ストレスと買い物は違うか。 いやでも、ストレスの発散方法として買い物をするってのがあるよな? 勉強をしてストレスが溜まる奴も居れば、ストレスを発散できるという奴もいるよな? つまり、ストレスと買い物はイコールで繋がると言っても過言ではないから、強ち間違いでもないだろう。 最早、あらゆる事柄でストレスが付きまとうので、生きることとストレスも繋がっている。 人生とはストレスだ。
「あはは、やっぱり面白い。 人生とはストレス……かぁ」
「……声に出てた?」
「うん、しっかり」
思考を覗かれたようでなんか嫌だな……。 思ったことが口に出てしまうのは油断をしているからだ。 いつだって気を引き締めろ、成瀬陽夢。 こと西園寺さんの前に関しては、だ。
「変なこと言って悪い。 気、悪くしたよな」
「ううん、そんなことないよ。 わたしも時々思うから」
へえ。 西園寺さんでも思うことがあるのか。 性格とか人当たりの良さとかで、そういうのとは無縁の人だと勝手に思っていたが……西園寺さんでも、ストレスを感じることってあるんだな。
「ならさ、例えばどんなときに感じるんだ? 西園寺さんは」
「えっとね……」
西園寺さんは唇に指を当て、ショッピングモールの天井を見つめて言う。 お馴染みのポーズだけど、俺は結構好きだ。 なんなら、写真に撮って部屋に飾りたいレベルである。 犯罪か、犯罪だな、やめよう。
「成瀬くんとお話ししているとき……とか?」
「……死のうかな」
「わ、わ! 待って! 冗談だよ、冗談! そんな顔しないで!」
つらい、つらすぎる。 冗談だと分かった今でも、俺の心に深刻なダメージを負わせるそれは、精神攻撃と言っても良い。 クレアが「おはよーです」と言って俺に腹パンするくらいの痛さだ。 死んじゃう。 いじめっ子すぎるなあいつは。
「えっと、ほら。 先生の長いお話とか、早く終わらないかなぁって思ったりするよ?」
「……あー、それは分かるな」
必死に、取り繕うように言う西園寺さんを見ていたら、自然と先ほどまでの心の痛みも忘れていた。 どちらかと言うと、必死にさせているという事実に心が痛むほどだ。 いつまでもそうされては困るので、さっきのことは記憶の彼方へと追いやり、西園寺さんの言葉を受け入れる。
教師の無駄話か。 よくあるよくある。 夏休み明けとかやたら多いんだよな、あれ。 誰かが「先生は夏休みどこか行ったぁ?」とか聞いて、それを受けた教師も「実はな」で返し、長話は始まるのだ。
海に行っただとか、山に行っただとか、川でバーベキューをしただとか、果ては海外に行っただとか、本当にどうでも良い話が始まるんだ。 あんたらの楽しかった話を聞いてもなんら俺は楽しくない。 で、そんな話中でも俺は教科書に挟んだ小説を延々と読み続けるわけだ。 そうすることによって、教師がチラッと俺に視線を向けたときに「真面目に勉強しているんだな」という好印象を与えられる。 だから無駄話が始まったときは、成績が上がるチャンスでもあるのだ。 多くの予備校や学習塾が「夏休み明けが大事!」と声を揃えて言うのは、こういう意味だから覚えておくように。 ちなみに俺は、真昼に「え? 兄貴って将来の夢は詐欺師じゃないの?」と真顔で言われたことがある。
「けど、西園寺さんでもそう思うんだ。 なんかちょっと新鮮かもしれない」
「そうかなぁ? 勉強は好きな方だから、ちょっとね」
えへへ、と照れ臭そうに笑いながらシャンプーをひとつ手に取り、西園寺さんは言う。 写真撮りたいな。
「俺は勉強は嫌いな方だけどな。 それでも、まぁ……ああいう無駄話は好きじゃ……ない……けど」
「成瀬くん? どうしたの?」
話しながら俺が他所を向いたのが気になったのか、西園寺さんは少々心配そうに尋ねてくる。 だが、俺があるものに視線を奪われたのは仕方ないのだ。
「なぁ、西園寺さん。 あれって」
「あれ? んーと……瀬谷先生?」
そう、そうだ。 あそこに居るのは瀬谷泉だ。 綺麗な花にはトゲがあるということわざを俺たちに教えてくれた女教師。 俺と西園寺さんのクラスを受け持っている担任でもある。 瀬谷のその性格とやり方から、俺たちのクラスが瀬谷軍とも呼ばれている原因の人だ。
入学当初こそ、男子からの人気はとてつもなく高かった美人だ。 だが、あの人には最悪な欠点があったんだ。 その欠点というのも、男女差別が物凄く激しいというもの。
男子に対しては素っ気ない対応を取り、女子に対しては友人のように接する。 その所為で、今となっては男子から疎まれる存在にもなっている。 まぁ俺は直接的に関わったこともないから、詳しくは知らないが。
「それで、瀬谷先生がどうかしたの?」
わたしと遊んでいるときに他の女を見ないで、というような目で西園寺さんは俺のことを見る。 多分勘違いだろうけど。 ほぼ確実に勘違いだろうけど。
「いや、瀬谷は良いんだけどさ……あれ、隣に居るのって」
「隣? えっと……男の子、だね」
男にしては髪が少し長めの、男だ。 顔付きは目鼻立ちがくっきりしており、男の俺から見ても中々にイケメン。 遠くで見ている所為でハッキリとは見えないが、どこかで見たような……気がしなくもない。
頭には帽子をかぶっていて、上はスカジャンで下はデニムというヤンキーチックな格好だ。 ちなみにデニムとジーンズは同じ物である。 明確に言うとデニムは生地のことで、ジーンズはデニムを使用したズボンという意味だ。 デニムと言った方がお洒落っぽいのでそう言わせてもらう。
「どういうことだ」
「どういうことだろう」
ほぼ同時に、俺も西園寺さんも呟く。 そうだ、この目の前の光景は絶対的におかしい。 あり得ない光景なのだ。 男に対してとことん差別的な態度を取る瀬谷が、男子と一緒に居る……。 男性恐怖症である西園寺さんだったとしても、明確にその症状が出ていたのはあの夏のことだけ。 それに、そもそもそういう病気を患っていたのなら、教師という役職にも付けなかっただろう。 そして現に、今この瞬間に男子とデートをしているんだ。
男子。 男の、子供。 問題はそこにもある。 言葉通り、相手の男は若い。 俺たちと同い年か、もしかしたら年下か。
「考えることが一緒なら、行くか?」
「……えへへ、そだね」
買い物は後回し。 それよりも調べたいこと、優先したいことが目の前に現れてしまった。 俺も西園寺さんもその雑貨店から出ると、前を歩く瀬谷と謎の男子の後を追うことにしたのだった。
瀬谷泉とは、男女差別が激しい教師である。
例えば「先生って彼氏いるんですか?」という質問を男女がしたとしよう。 というか、これは実際にあったことだ。
とある女子が瀬谷にこう尋ねた。 「しぇんしぇいすいましぇ~ん、しぇんしぇいってぇ? 彼氏とかぁ? いるんですかぁん?」と。 一字一句違わずに廊下でこう言っていた。 現代語に訳すと「先生って彼女とか居るんですか?」という感じだろう。 馬鹿な女子の馬鹿な質問である。 もしも俺が教師だったとして、女子にそんなことを言われた日には、即そいつの人生を破滅させるために画策するだろう。 俺が教師になろうと思ってなくて良かったな、喜べ。
で、それに対する瀬谷の回答は「ははは、居るわけないでしょ? それよりクレアさんの方はどうなの?」とのもの。 個人名はあくまで参考だ。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体、地名とは一切関係ありません。
まぁそんな感じの会話が廊下であったわけだ。 そこに丁度俺と武臣が通りがかって、武臣がこれ見よがしに絡みに行った。 「えーうっそだぁ。 先生って美人ですし、彼氏いるでしょ!」と。 そのときの瀬谷先生の反応。
「チッ」
舌打ちだった。 最早、反応ですらない。 そしてそれ以上何かを言うわけでもなく、瀬谷はその場を去った。 残されたのは頬を押さえて「わ、私ですか? 私はその……彼氏とかそういうのは居ないんですけど……あ、でも、気になるなぁって人は居るというか、好きとかではないんですけど」とぶつぶつうわ言のように呟くクレアと、呆然と立ち尽くす武臣だった。
俺はそんな二人を見て苦笑いをして、立ち去ったのだった。 完。 もしかしたら、続くかも。




