罰ゲームと言われては仕方あるまい 【2】
さて、問題だ。 誰かに問うべき問題ではなく、障害としての問題だ。
クレアが提示してきたのは、限定商品であるマッドラビットというキャラクターのキーホルダー。 チェーンソーを持ち血まみれの狂気に満ちた目を持つウサギだ。 正直、これの良さが分かる人間は極僅かだと俺は思う。
まぁ、それに関してはさして問題ではない。 障害と呼ぶには程遠い。 人それぞれに趣味はあるし、そんなのは誰に否定できることでもない。 否定はしないが、趣味が悪いとは思うけどな。
だとすると、問題は何か。 これだ。
「……カップル限定」
「はい、そうです。 周りに頼める人間が成瀬くらいしか居なかったので、最初は頼もうと思っていたんですが……断られたときのことを考えて、そのままボコボコにしたらさすがにマズイかなと思いまして」
「今、心底罰ゲームでそれを聞いて良かったって俺は思ってるよ」
危ないところだった。 これが罰ゲームではなく、クレアのごく普通の頼みだったら断っているところだった。 病院送りコースにならなかったのは不幸中の幸いだ。 というかだな、恥ずかしそうに「ボコボコにしたらマズイ」とか言うなよ。 怖いよお前。
「ふふ、ですが……成瀬とカップルに見られるのはやっぱり嫌ですね」
「お前ほんと酷いこと平気で言うよな。 付き合ってやってるんだから感謝くらいしたらどうだ」
そう。 今日はそんなクレアの願いを叶えるために、日曜日にわざわざデパートへとやって来ている。 どうせならと西園寺さんやリリアにも声をかけたが、二人ともどうやら今日は決して言えない用事があるからと断られてしまい、二人っきりでの罰ゲームだ。
そんなわけで、今日のこの光景である。 とは言ってもクレアは男友達という感じだから、特別嫌な気もしなかったりするんだけどな。
「とりあえず、今日は他にも欲しい物があります」
「え? 聞いてないよそれ。 俺、昼までには帰らないといけないんだけど」
ちなみに帰っても特に用事はない。 めちゃくちゃ暇人である。 二言目にはとりあえずの予防線を張る俺を褒めたい。
「……そうなんですか? それなら、少し急がないといけませんね」
しかしどうしてか、クレアは俺の言葉をそのまま鵜呑みにする。 こいつなら俺が嘘を吐いたってことに気づいても良さそうだが……なんだ? 少し、いつもと違う気がする。 ただの気のせいかもしれないけど。
「あーいや、やっぱ良い。 大して大事なことでもないし。 折角だから付き合うよ」
「そうですか。 それなら良いんですけど……本当に都合が悪いのなら、言ってくださいね。 というわけでまずは、そのキーホルダーを買いに行きましょう」
クレアは言い、歩き出す。 その後ろに付いていくように俺も歩き始め、クレアの後ろ姿を眺める。
……なんだろう。 この感じ、カップルというよりはあれだな。 子供の買い物に付き合わされる親の気分だ。
まぁ、俺がクレアとそういう関係になることは絶対にない。 確実に。 確信を持って言えることなんて数少ないけれど、これはその数少ないうちのひとつだ。 俺が俺である以上、この距離感を大切にしたいとそう思うから。
「成瀬、それはそうとなんですけど、最近変わったことってあります?」
「変わったこと?」
クレアは急に振り向いたと思うと、俺に向けてそんな質問をしてきた。 変わったこと……とは一体、何をさしているのだろうか。 いや、それがクレアもハッキリとは分からないから、この曖昧な質問か? 漠然とした質問の意図が汲み取れないな。
「ええ、そうです」
「ちょっと抽象的すぎるだろ。 例えば、どういうことを言っているんだ? なんか例をあげてくれ」
理解が及ばず、俺はクレアに尋ねる。 するとクレアは、コメカミに指を当てて少しの沈黙。 俺は返事を待ちながら隣まで行くと、クレアはそこで口を開いた。
「うまく表現できるのか微妙なところですけど……夢、ですかね」
「夢?」
「はい。 妙な夢を見ることってありませんか? 最近」
夢にも様々な種類があるが、クレアが今言っているのは一番か二番目に身近にあるそれだ。 寝るときに見る夢のことだな。 言い方で、それは分かる。
「夢なんて、元々妙なものじゃないか? それこそ曖昧で、漠然としていて、起きれば大体忘れているだろ」
「だからこそ、妙な夢なんです。 成瀬が今言ったこととはまるで真逆の夢です。 つまり、ハッキリとしすぎている夢……と言えば分かりますか?」
ハッキリと、しすぎている? こいつは一体何を言っているんだ? そもそも、夢なんだろ? それが曖昧だろうが、ハッキリとしていようが。
「西園寺も私も、それがあるんです。 この前たまたま西園寺からその話を聞いて、そう言えばと私も思い出しました。 おかしな話だったので、もしかしたら成瀬にもと思ったのですが」
「夢……夢……そういや、前に一回あったかも」
あれは、確か七月だったか? あのループの七月だ。 俺は西園寺さんと知り合って、少しの間一緒に行動をすることになって、それで。
「……西園寺さんから告られる夢ならみたな」
「それは本当に夢じゃないですか。 叶わぬ夢ですよ」
「いや……あー、だな。 けど、それが本当にハッキリしてたんだよ。 起きてからも、やけにハッキリと覚えててさ。 なんて言えば良いんだろ? 現実味がありすぎたって、感じかな」
もうそれは俺の夢じゃねえよと言おうと思ったが、寸前で言葉を飲み込む。 それをクレアに言ったところで、何も変わらないと判断して。 言う必要のないことまで、わざわざ言うことはないだろう。
「……そうですか。 ならば、全員が見ているということになりますね」
「へえ。 で、クレアと西園寺さんはどんな夢を?」
未だに考え込んでいるクレアに向けて、俺は尋ねる。 俺が夢の内容を話したんだ。 クレアと西園寺さんの内容も聞くくらいの権利はあるはず。 そう思い、俺は聞いた。
「私のは、成瀬や西園寺とは他人になっている夢でしたね。 他人というよりは、友達になれなかった私を見ているようでした。 西園寺のは……」
クレアはそこで一度言葉を止めて、俺の顔をジッと見つめる。 睨むような目付きだが、瞳は蒼く綺麗に澄んでいる。
「調子に乗らないでくださいよ?」
「乗らねえよ……なんだその前置きは」
俺の返事にクレアは「ふふ」と笑い、続きを口にした。 西園寺さんの夢の内容だ。
「西園寺のは、成瀬が西園寺を庇う……という夢だったようです。 本来なら逆に成瀬は西園寺を盾にしそうですけどね」
「その可能性が否定し切れない自分が嫌になってくるな。 てか、庇う夢? 俺って結構良い奴に思われてるのかな?」
「知らないですよ、そんなの」
クレアは素っ気なく言ったと思ったら、少しだけ歩く速度を上げる。 俺はそれに合わせて速度を上げて、少しだけ離れてしまったクレアの横へと再度並んだ。
「そもそもさ、それってなんか意味あんの? 共通性は……一応あるにはあるけど」
俺たちが見た夢の共通しているところ。 それは、それぞれがそれぞれに関する夢を見ている、ということだ。 偶然にしては……確かに妙だな。
つうか、クレアは西園寺さんから聞き、自分が見た夢を思い出して、そっからこの「最近あった変なこと」という質問を俺にしてきたのか。 もしも俺がクレアの立場だったら、特に気にせず忘れているレベルの「変なこと」だぞ。
「成瀬相手だと話が早くて助かります。 私たちに共通すること、夢以外にもあるじゃないですか」
「……夢以外。 ああ、そういうことか」
要するに、あの番傘の男だ。 あいつが何かを仕掛けて、そして俺たちが妙な夢を見ているという可能性。 十二分にありそうなことだし、あいつのしそうなことでもある。 しかし気になるのは、その結果だ。
この妙な夢を見るというのは、恐らくは結果に辿り着くまでの過程。 この夢が、一体どんな結果に辿り着くのか。
「その結果が出るまでは分かりませんけどね。 過程がこれからどうなるのかも、分かりません」
「まぁそうだな。 けど、その過程そのものが結果ってことも、あるんじゃないかな」
言って、クレアの横顔を見る。 そのときにようやく俺は気付いた。 俺と西園寺さんは、その『過程』がある程度許容できるもので、クレアの『過程』は、俺たちのとは少し異なっているということに。
「それは、ちょっと嫌ですね」
少しだけ悲しそうに笑って言うクレアの言葉と横顔を見て、俺はようやく気付けた。
「あ! ありました! あそこです!」
しかしそんなクレアの顔も、目的地へと到着したことによって塗り替わる。 俺は咄嗟に謝ろうとしたが、クレアの顔はもう既にそんなことは忘れているようだった。
てか……なんだここ。 辺りに全然人が居ないぞ。 これは多分、カップル限定という制約もあるだろうが、それ以前にこのマッドラビットという怖すぎるキャラクターの所為だと俺は思う。
「良かったな、並ばずに買えそうで」
「ええ。 へ? なんですか?」
俺が伸ばした右手をクレアは不思議そうに見つめる。 そう素直な感じで疑問を持たれると、すごく切ない。
「カップル限定なんだろ。 手くらい繋いでおいた方が良いだろ。 それで買えないとかなったら、俺の苦労が水の泡になる。 そんなのは嫌だ」
「……ふふ、はい」
おかしそうにクレアは笑うも、俺の手を掴む。 そして俺とクレアは一緒にその呪いのキーホルダー、じゃなかった。 クレア曰く「とてもとても可愛いウサギさん」のキーホルダーを無事、買えたのだった。
「いやぁ、今日は楽しかったです」
「だろうな。 お前、はしゃいでたもんな」
クレアとの買い物が当然それだけで終わるはずもなく、その後はゲームセンターやらクレアの買い物とやらに付き合わされ、こうして帰る頃には既に空は真っ赤に染まっている。
「楽しければはしゃぎますよ。 それより、成瀬もなんだかんだいってデレますよね」
「んだよその表現は……。 俺がいつデレたんだよ」
「ふふ。 成瀬としては、私のキーホルダーを買った時点でもう罰ゲームは終わりじゃないですか。 だから、その時点でもう帰っても良かったんですよ?」
クレアは俺の前へ回り込むと、両手を後ろに回しながら言う。 その顔はどこか、俺を小馬鹿にしているようにも見えた。
「……別に。 お前のペースに巻き込まれただけだよ。 てか、それに気付いてたならさっさと言えよ。 そうしたら、俺だってすぐに帰ってた」
「知ってます。 だから、言いませんでした」
……ん? こいつ今、なんて言った? 聞き取れなかったわけではない。 その言葉の意味が、汲み取れなかった。
「へ? それって」
どういう意味だと聞こうとするも、クレアはまたしても先に歩き始めてしまう。 その速度のまま俺を置いていき、クレアはどんどん先へと行く。 そのまま家へと帰るんじゃないかと思うくらいに唐突で突然だ。
追いかけようとも思ったが……今日は無駄に疲れた。 もう、良いか。
そう思って、少しずつ小さくなっていくクレアの背中を追いかけるのを諦めて、俺はふと振り返る。
夕日に照らされた街並みは綺麗なもので、冬だというのにその景色はとても暖かそうにも見える。 そんな中、俺の影法師は真っ直ぐと、道路の上に浮かび上がっていた。
あと、どれくらいだろう。 俺は一体、どれくらいの間……クレアたちと一緒に居られるのだろうか?
進む時間が惜しくなったのは、今に始まったことではない。 確実に削られていく時間は、誰にでもあるんだ。 なのに、今はそれを正面から堂々と受け入れられる自信がない。
一気に終わってしまえば、俺だって踏ん切りはつくだろう。 それこそ、西園寺さんやクレアとの関係が急に断ち切られてしまえば、最初こそ悲しくはなるものの、数週間もすれば次第にそれもなくなっていく。 問題は、ジワジワとそれが行われているということで。
毎日毎日が、削られている。 止めようと思っても、止められない。 こんなことを感じるのは……俺が、あいつらと仲良くなりすぎた所為だ。 ま、そんなことを考えたって仕方ない。 考えたところで、何がどうなるというわけでもない。
「帰るかな……」
「なにボケっとしているんですか。 早く帰りましょう」
「うわっ! お前、まだ居たのかよ……」
先に帰っているものだとばかり思っていたが、それはどうやら俺の勘違いのようで。 クレアはご丁寧にも、俺のもとへと引き返してきたようだ。 怪訝な顔で、歩いてきた道を眺めていた俺のことをクレアは見ている。
「居ては駄目でしたか。 それより成瀬、これ」
「ん?」
クレアは言うと、俺に拳を突き出す。 まさか殴るというわけではなさそうなので、この場合のこの行動は俺に何かを渡そうとしている、と考えるべき。 なので、俺は手のひらをその拳の下へとやった。
「ペアの物でしたし、二つあるんです。 私はひとつあれば良いので、これは成瀬にあげます」
そう言って渡されたのは、マッドラビットのキーホルダー。 お世辞にも可愛いと言えないウサギは、手の中から俺のことを睨みつけている。
「でも、これってお前の金で買ったやつだろ? 悪いって、それは」
「良いんですよ。 持てば、成瀬にも可愛さが伝わるはずなので」
そりゃどうだか。 多分一生伝わらないぞ、それ。 しかし、そう言ってくれるのなら……断るのもちょっとあれだな。 大人しく、貰っておくか。
「だと良いな。 んじゃ、お言葉に甘えて貰っとく。 ありがとうな」
そのキーホルダーをポケットへと入れ、俺は歩き出す。 すると、クレアは俺の背中に声をかけてきた。
「あの、それでですね。 この前のことなんですけど」
「この前のこと?」
この前……この前……もしや、あの罰ゲームが決まった日のことを言っているのか? でも、なんでこんなタイミングで? もう終わったことじゃないか、それって。
「……罰ゲームの告白のことです。 もしもあれが本気だったと言ったら、どうしますか?」
クレアはそんな馬鹿げたことを真っ直ぐに、俺に向けて言う。 俺はすぐにその言葉の意味が理解できず、黙り込む。
「ふふ、冗談です。 帰りましょうか、成瀬」
「ん、ああ……ってか、質が悪い冗談を言うなよ」
思えばこのときには既に、ゆっくりと何かは動いていたのかもしれない。 それを知るのも、気づくのも。
まだ、当分先の話である。
それから。
それから、俺は家へと帰った。 自分の部屋へと入り、着替えずに俺はベッドの上に体を投げ出す。 酷く疲れた一日だったな……。 キーホルダーだけとっとと買って帰るつもりが、クレアのペースにすっかりと巻き込まれてしまっていた。
「……夢のことは、頭に入れておいた方が良いよな」
クレアが言っていた、俺たちが見た妙な夢のこと。 あれはやはり、引っかかる。 頭の片隅に置いておくくらいはしておいた方が良いだろう。 その内容もまた、俺の場合は良いもの……と分類できそうだけど、西園寺さんのもクレアのも、良いものとは言えないから。
それよりも、今日はクレアの様子がなんだか変だった気がする。 妙に感情の起伏がいつもより強かったというか、急に素っ気なくなったり、かと思えば急に笑ったり。 元々妙な奴ではあるが、今日は一段とそれに磨きがかかっていた気がする。 最後の最後には、意味の分からないことを言い出すしな。
ま、時間が経っていけば殆どは不要な記憶として消されていく。 人間の頭は、実に都合が良く出来ているもんだ。
「あー、これは忘れられないか」
言いながら、俺は顔の前にマッドラビットのキーホルダーをぶら下げる。 こいつ、本当に怖いな……。 夜中にトイレで起きてチラリとでも見たら、寝れなくなりそうだ。
「封印だ、封印」
そのキーホルダーを机の引き出しに入れ、閉じる。 封印と言ったら聞こえは悪いけど、大切に保管していると言えば聞こえは良い。 物は言いようとはこのことである。
そう言えば。
西園寺さんとリリアが口を揃えて言っていた「決して言えない用事」とは、一体なんだったのだろうか?
……ま、良いか。




