学生が励むべきもの
放課後。 チャイム。 生徒の喧騒。 部活動。 ピアノの音。 放送。 雑談。 笑い声。 足音。 気持ち良い風。 それらは俺の体を心地良く包み込む。 まだ暑さも残る九月、コスモスの香りが鼻をくすぐる。
「よし、帰るか」
こんなに気分が良い日も珍しい。 なんならスキップしながら帰るかな。 るんるんるんって、通報されそうだからやめとくか。 逮捕を免れる自信があまりないし。
「駄目だよ! 成瀬くん、自然に帰ろうとしないでっ!」
窓の外を見て黄昏れて、帰ろうと席を立った俺の腕を掴むのは西園寺さん。 必死の形相だ。 一体なんだ、大体予想が付くけど。
「約束したよ! 今日は、用事があるから一緒に残るって!」
「いやしてないよ。 残念ながら、俺にはそんな記憶がないんだ」
「そんなぁ……」
がっくりと項垂れる西園寺さん。 その仕草自体は正直グッと来るから良いんだけど、周囲の視線が痛い。 最後のホームルームが終わって、直後に西園寺さんは俺の席までやって来たから、未だに教室内にはかなりの人数が残っているのだ。
どうして視線が痛いかというと、簡単なことである。 まず、西園寺さんの場合から説明しよう。
西園寺さんは、教室内では寡黙の人として知られている。 俺は一緒に二ヶ月ほどは過ごしているからあれだけど、他の奴らにとっては深窓の令嬢といったイメージなのだ。 で、そんな彼女が俺と話していたら当然視線は自然と集まる。 それに、西園寺さんが人と話していること自体がまずレアだ。 入学してから、必要最低限しか話していない西園寺さんのイメージは、最早それで固まりきっていると言って良い。
そして俺。 俺のイメージは、ずばりひと言で表すなら怖い人ってのが誰しも言うだろう。 俺はそんなのは望んでいないのに、第一印象というのは恐ろしいもので、一番最初にそう思えば、その後の言動や行動にも尾ひれが付いてくる。 いつも無愛想でいつも悪そうな顔をしている……とのこと。 武臣情報だけどな。 そしてその一番の原因がこの顔の傷である。 この傷の所為で、俺は要らぬ誤解を受け、要らぬイメージを抱くことになっている。
武臣に関しては、俺の性格を一番理解しているであろうからまだ良い。 だが、俺の性格を知らない他の連中は全員が俺のことを避けるのだ。 話す奴の殆どは、まず最初に「うわ、絡まれた」といった顔をするからな。 対して俺は「うわ、死にたい」と思っているんだけども。
「冗談冗談、覚えてるって。 それで……ああ、とりあえず教室出るか」
「えへへ、そうだね」
にっこり笑う西園寺さんの顔は、素直に綺麗だと思う。 俺もそのくらい綺麗に笑えれば良いのにな。
「それで、本題だけど用事って?」
教室を出た俺たちは、屋上へとやって来ている。 あの七月が終わってから何度か来ているこの屋上だが、施錠していた鍵は跡形もなく消えていた。 あの男が付け足した物は消えている……と考えるのが無難だろう。
「うん、実はね……良いこと思いついて」
「……良いこと」
良いこと。 良いこと……いや、それは違う。 西園寺さんがこう言うときは大抵「良いこと」なんかではない。 西園寺さんにとっての良いことというだけで、俺にとっては悪いことの可能性の方がよほど高い。 よって、これは相殺されて普通のことってことだ。 そうでもないか。 悪いことだ絶対に。
「そう! あのね、成瀬くん。 わたしと成瀬くんでぶか――――」
「待った! 一旦ストップ、西園寺さん」
ぶか、なんだ。 俺の予想が正しければ、それは俺が高校生活でやりたくないことナンバーワンのそれだ。 小学校のクラブ活動では迷わず読書クラブに入り、時間中ずっと寝ていた俺だ。 そして中学の部活動ではパソコン部に入り、真っ先に帰っていた俺だ。 おかげでパソコンは未だに不慣れである。 いいやそれはどうでも良い。 問題は、今……西園寺さんが最悪の言葉を口にしようとしたことだ。 けど待てよ、それはもしかしたら俺が予想しているのとは違う可能性だってある。 ここはひとまず、話に耳を傾けるべきか? いやでもな。
「部活を作ろうと思って」
「なんで言ったの!? ストップって言ったじゃん俺!」
「だって、成瀬くん難しい顔して何も言わないんだもん」
「……まぁ少し考えごとはしてたけど」
それよりあれだ。 嫌な予感が的中してしまった。 さて、どうする? ちょっと考えてみようか。 起こり得る可能性だ。
まず、このあとにあり得そうなパターン。 西園寺さんが俺を部活に勧誘してくる。 一番あり得そうだな、ていうかほぼこの流れだと間違いないと思う。 問題はその場合、なんて断るかだ。 容認するでもなく、断る方法だ。 ひどい断り方をしてしまったら、今後の関係にだって影響するし。 折角得た友達を失いたくないのは事実だ。 ここで最善の断り方は「ああ、実は俺部活にはもう入っているんだ」という嘘を吐くこと。 しかし……残念ながら、俺は嘘が吐けない性格なのだ。 いやそうでもないな、問題ないか。
「実は俺、部活には入ってるんだ」
「え! そうなの? 何部だろう?」
そう来ると思ったよ。 だから俺の頭の中では次に言うべき言葉も考えてある。
「歴学部だよ、歴学部。 とは言っても、部室で本を読んだりして適当に帰るだけの部活だけどな」
「そうなんだぁ……」
よし、これでオーケー。 問題なし。 こうなれば西園寺さんも、無理に部活動に勧誘できないだろう。
「あ、それならわたしも入ろうかな、歴学部」
「あー残念だ。 俺も西園寺さんには是非とも入って欲しいんだけどさ、部員数が上限なんだよ。 いやぁ、心惜しい」
俺に死角はない。 この問答で負ける可能性はゼロである。 というか俺って平然と嘘を吐ける奴だったんだな、初めて知ったよ。 もうその考え自体が嘘だけどな。
「ええ! うーん……困ったなぁ。 成瀬くんと部活やろうって思ってたのに。 あ! それなら、顧問の先生にお願いしてみるね。 ちょっと職員室に行ってくるよ」
「待て、どんだけ行動力あるんだよ西園寺さん」
それはマズイ。 ここでの言い合いでなら負ける気はなかったけど、そこまでの行動力は計算外だ。 この人の行動力を舐めすぎか……。
「でも、でもそうしないと成瀬くんと一緒に部活できないから。 わたしね、成瀬くんとなら仲良くお話もできるから……」
なんだか、悪いことをしている気分になってきた。 最初から悪いことしかしていなかった気もするが、気にしない。 とりあえずこの罪悪感の蓄積をどうにかしたいな。
「……はぁあ、分かった分かった。 なら部活作るか」
「え、良いの? 成瀬くん、部活に入っているんじゃないの?」
「大丈夫だよ、あれ嘘だし」
「……」
人間、潔いのが一番だ。 だって、そのおかげでこうして頬を膨らませる西園寺さんが見れたしな。 この仕草は、俺の中でグッと来る仕草ナンバースリーくらいだ。 いやでも首を傾げる仕草も中々にグッと来るんだよな……それならば「えへへ」と笑う仕草も一緒に同着一位にしておくか。 おめでとう西園寺さん。 今日から金メダリストだよ。
「ここか」
それから、俺と西園寺さんは職員室へと赴き、顧問の教師に挨拶をした。 すると部室は校舎四階の隅にある数学準備室とのこと。 なんと、非常に手際の良い西園寺さんは既に創部届けを書いていたというのだ。 しっかりと俺の名前も書いて、それに顧問の教師とも話を付けて。 事後承諾すぎてなんだか怖い。
「わ、こんなところに教室あったんだね。 なんだか隠れ家みたいで良いかも」
西園寺さんが言う通り、その教室は隠れ家みたいだ。 校舎の四階の隅に位置するここは、基本的に生徒が訪れることはまずない。 と言うのも、この四階自体が物置階と言われるほどに何もない階になっているからだ。 少し前まではサボりの生徒たちの溜まり場にもなっていたが、今では生徒会と風紀委員が見回りを行うことによって、それすらもない寂しい場所である。 言わば辺境の地で、言わば未開の地である。
「ん……建て付け悪いな。 っと」
ガタガタと鳴らし、ようやく開いた部室。 中には授業で使用していたのか、教材などが無造作に積まれている。
「……まずは片付けからみたいだね」
こうして、かれこれ一時間ほどに及ぶ片付けをする羽目になる俺たちであった。
「おーそうじっ。 おーそうじっ。 そーうじのおわりはおやつのじーかん」
「……お菓子持ってきたんだね、西園寺さん」
掃除は終わり、窓からは気持ちの良い風が吹き込んできている。 位置が高いおかげなのか、窓を開けさえすれば夏であっても扇風機は必要なさそうだ。
「えへへ、この前親戚の人が送ってくれて、それが余ったから持ってきたの」
西園寺さんが言いながら取り出したのは、和菓子だ。 それを長机の上に開けて、俺はそのうちの一つを手に取る。 わらび餅とは、また和風なお菓子だな。 ちなみに豆知識だが、俺はきな粉が好きだったりする。 あんこはこしあん、粒あんは嫌い。
「働いたあとの菓子はうまいなぁ」
長机には菓子とお茶、そして気持ちの良い風が頬を撫でる。 実に良い、最高だ。 働いた甲斐があったというものだ。 部室が既に部室の役割を果たしそうにないのは、この際もうどうでもいいや。
「そうだね。 それじゃあ成瀬くん、部活の目標を決めよっか」
「目標? そうだなぁ……みんな仲良くとかで良いんじゃないか」
「小学生じゃないんだから……」
グサッと来るひと言だな……。 思い付き発言は謹んだ方が良さげか。 少し考えよう。 もっと、高校生らしい目標を。
「なら、県大会に出場するとかどうだ」
「え、大会なんてあるの?」
「知らない」
「適当なことを言わないでっ!」
大体、大会があっても俺は絶対に出ない。 そもそも興味がないし、やる気もない。 なら何故暦学の名前を出したかと言うと、名前の響きが格好良かったからだ。 それ以外の理由は特にない。 皆無と言って良い。
「悪い悪い。 なら、そうだな……歴を大切にするってのはどうだ」
「歴を?」
西園寺さんは言うと、首を傾げて人差し指を唇に当てる。 俺のグッと来る仕草ナンバーワンのそれだ。 ちなみに発音が微妙な所為で「レキオ?」と横文字風に聞こえたのは内緒だ。 海外のバンドグループでありそうだな、レキオなんとかズとかめっちゃありそうだ。
「そ。 歴ってのは要するに、時間だろ? かなり大雑把な解釈だけどさ。 で、高校生活での三分の一くらいは部活で過ごすんだし、そういう意味を加えた上での「歴を大切にする」ってことだ。 要約すると「時間を大切に」って意味になるから、高校生の部活動としては良い目的だと思う」
「なるほど、そうだね!」
相変わらず、言い包めるのが楽である。 けれど、そう思うのは事実だ。 だから騙しているわけではない。
「そういうわけで、この部活は各々がしたいことをしよう。 それが時間を大切にするってことだからな」
「うん? うん……うん、そうだね」
よし、通った。 これで俺の勝ちだ。 読書スペースにしよう、この部室は。
こうして、歴学部は発足された。 それと同時に、学校内では「謎の部活が存在するらしい」との噂が同時に広まることになったのだ。 当時の俺はそれをすぐに消える噂だろうと思っていたのだが、まさかもっとも恐ろしい奴を呼ぶこむことになってしまうとは、このときは露ほどにも思っていなかった。
それから。
それから、俺は家へと帰った。 帰って、時計を見たら夕方だった。 平日の帰りがこんなに遅くなるなんて、少し前ならありえなかったことだったのに。
まぁでも、散々暇を楽しむというのはあの七月にやり終えたことだ。 時間の流れを楽しむのも惜しむのも、悪くはないさ。
部室にあったのは、長机と五つの椅子だ。 そして小さな椅子がもうひとつ。 あれらが埋まることは、きっとない。
俺や西園寺さんのように、少しズレてしまった人のもとには同じような奴しか集まらない。 だから、必要ない。 椅子には悪いが……明日にでも、隅に避けておくとするか。
柄にもなく働いて、今日は体が悲鳴を上げている。 少々早いが、寝るとしよう。
歴学部発足。 部員二名。 増える予定ナシ。 ついでに目的も特にナシ。
そう、ノートに書いて机にしまう。 いつか見返して、笑えるときが来るかもしれないなんて思いながら。




