最後の一人 【5】
目を開けると、元の世界だった。
家には灯りが点いていて、街灯も道を照らしていて、匂いもまた、いつもの匂い。 雰囲気も、空気も、生活感も懐かしいもの。 それらが体を包むように、実感させてくれる。
「終わったか……」
道端で、ぶっ倒れてしまいそうだ。 だけどさすがにここで倒れて救急車でも呼ばれようものなら、あの過保護な親の所為でとんでもないことになる。 家まで我慢、家まで我慢。 あり得ない戦いが、やっと終わったんだ。 それくらい、我慢しなければ。
そんなことを思い、歩き出したとき。
「こんばんはです、成瀬」
知っている声がした。 振り返らずとも、誰か分かる声だ。 俺が一番、今回のことで気にしている奴でもある。 俺たちのことを体を張って守ってくれた、大切な奴。
「よ、お疲れさん」
「お疲れです。 見てください、腕戻りました!」
嬉しそうだな。 まぁそりゃそうか、クレアだって一応は女子なんだし、見た目だってそりゃ気にするだろう。 本当に、元に戻って良かったよ。
「みたいだな、良かった。 つうかお前……来るのすっげえ早かったな」
「ああ、それなんですけど」
クレアは言うと、その場でジャンプする。 それもただのジャンプではない。 数メートルは飛んだかと思うと、その空中で四回転だ。
「っと。 なんだか、まだ向こうの後遺症が残っているみたいです。 どうやら、すぐに消えてしまうみたいですけどね」
……開いた口が塞がらないとはこういうことか。 今のこいつに喧嘩を売ったら、冗談抜きで殺されるな。 媚びへつらうしかあるまい。
「ふふ、それでですね、成瀬。 もう一つ報告があるんですっ!」
まるで小さい子供のようにはしゃぐクレアが面白くて、少しからかってみようという思考が頭をよぎる。 んだから、別にこれは変な意味はない。
「なんだ、子供でもできたか?」
「……ッ!」
あぶなっ! おい、今顔の横数ミリだったぞ!? ていうか、頬少し切れてるじゃねえか! 俺の顔にこれ以上傷付けたら誰も寄ってくれなくなるからやめてくれないかな!? 風で頬が切れるって、まさかこっちの世界で体験するなんて思ってもいなかったぞ……?
「そのセクハラ発言、そろそろまとめて西園寺に提出しても良いですかね?」
「ごめんなさい」
西園寺さんの名前を出されると弱い俺である。 いやだって、同級生に叱られるって結構辛いんだからな。 主に精神的に。 何も言い返せなくなってしまうし。
「まったく……。 あ、そうでしたそうでした。 それでですね」
頬を膨らませて怒っていたと思ったら、次には笑顔でにこやかに。 ほんと、表情がころころ変わるなこいつ。 見ていて面白いし見ていて飽きない。
「じゃーん!」
そんな盛大な効果音を口で言いながらクレアが出したのは、洋服だった。 それも、あの世界に行って使い物にならなくなってしまった洋服。 クレアがお気に入りだったと愚痴っていた服だ。
「お、それも直ったのか。 良かったじゃん」
「えへへ、本当にその通りです! 良かったです!」
ぴょんぴょんと跳ね、クレアは全身でその喜びを表現している。 対する俺は、口からそんな適当なことを言っていた。
そう、適当なこと。
実を言うと、俺は知っていた。 クレアの服が元に戻るというのをだ。 あのとき、最後に俺が願ったことがこれだったしな。 本当に馬鹿みたいな願いごとだと、自分でもそう思うよ。
「あの狐男も案外気が利きますよね! ふふ、嬉しいですっ!」
手に服を持って、クレアは今まで見た中でも最高級に幸せそうだ。 よっぽど嬉しいのか、それほど喜んでくれるのなら、案外願いごとをこれに使ったのも悪い気はしないかもな。
「だな。 これで俺が一緒に服を買いに行く必要もなくなったわけだ。 めでたしめでたし」
ちなみにその願いごとをした理由の八割ほどは、それが理由である。 いやだって、だってだよ? 女子と一緒に女子の服を買いに行くとか、俺は一体どんな顔をすれば良いんだ。 自慢ではないが、俺は妹に付き合わされたときに「兄貴と行くなら犬と行った方がまだ良い服を選んでくれる」と言われたことがあるんだぞ! 思い出したら死にたくなってきた。
残りの二割は、ただの気まぐれってことで。
「何を言っているんですか。 この服はあくまでもあの狐男が気を利かせたからですよ。 成瀬のお詫びはまた別です」
その服も俺のお詫びなんですけどね。 まぁ、良いか。
「そうかよ。 じゃあ、また今度な」
けど別に、それはクレアが知る必要のないことだ。 恩なんて売りたくないし、借りも作りたくはない。 他人からどう思われようが、別に良い。 クレアにとっては「誰がそうしてくれたか」なんてことはそれほど重要ではなく「服が戻った」ことが重要なのだから。 番傘男がしたことでも、俺がしたことでも、結果的に一緒なら良い。 クレアが「服が戻った」ことを喜ぶように、俺は「クレアが喜ぶこと」を喜んでいるんだから。 きっと、これで困る奴は一人も居ない。 傷付く奴も、悩む奴だって一人も居ない。 だから、これで良いんだ。
「ええ、約束ですよっ! たのし……首を洗って待ってます!」
「……お前ほんと恐ろしいことを笑顔で言うなよ」
それになんだ、その首を洗って待ってますって。 お前と戦うのか? ていうか、負け犬の台詞じゃないかそれって。 正しくは首を洗って待ってろだと思いますけど。
「そ、それでは私は帰りますさようなら」
クレアはくるりと回り俺に背中を向けると、そそくさと歩き出す。 ああ、そうだ。
「おい、クレア」
大事なことを忘れていた。
あの世界は、異世界なんかじゃなかったんだ。 別の位置にある世界ではなく、平行している世界なのだ。 つまり、ある意味では同じ世界とも言えること。
違ったのは恐らく、西園寺夢花が居ないという一つの事実だった。 そして逆に、クレアも俺もあの世界には存在していたのだ。
ディジさんが、クレア。 あれはきっと、クレアが異能のある世界で成長した結果。 そして俺は、そのディジさんを庇って死んだ成瀬陽夢。 これが、俺の気付くことができた真実だ。 それならばディジさんの思考を読み取ることができたのも納得が行く。 クレアと俺のチャンネルが一緒なのだから、同じ人物であるディジさんの思考が読めたのも当然なんだ。
そして、最後にディジさんからもらった言葉。 今、それを思い出す。
『成瀬、私はこう見えて案外繊細なんだ。 だから、私のことを宜しく頼むよ』 なんて、言っていた。
別にそれを果たすというわけじゃない。 一歩だけの間違えを正すわけでもない。 ただ、現時点での俺が思っていることで、あの世界の俺が思わなかったことを伝えよう。
「はい? まだ何かありました?」
俺は俺だ。 別世界の俺じゃあない。 だから、俺は言う。
「その髪の色、似合ってるな」
「へ? あ、ありがとうございます? って、いきなりどうしたんですか……?」
「別に、ただそう思っただけだよ。 それとさ、神田さんに「どっちも間違えだ。 正解は自分の信じた方」って伝えといてくれ」
「はぁ……まぁ、良いですけど。 それでは、おやすみなさい」
「おう、おやすみ」
長く、短い世界旅行。 同じ世界のちょっとだけズレてしまった世界の話。 異能の話。 一人の少年と二人の少女の話。 強敵を倒す話。 悲しい過去の話。 持つ者と持たない者の話。 仲間が死ぬ話。 敵が死ぬ話。 自分を見失う話。 絆を強くする話。 自分を見つける話。 助けられる話。 助ける話。
いろいろ言い方はあるかもしれない。 けれど、俺はこう言おう。
未来に繋がる話。 それはあの世界の二人のこと。 それはこの世界の俺たちのこと。 学び、学ばず、泣いて、笑って……たまに、振り返ったりなんかもしたりして。 そんなことを繰り返し、俺たちは前へと進む。 横にでも、後ろにでもなく、前へ。
それから。
それから、俺は家へと帰った。 まずしたことと言えば、言葉通りに風呂へと入ったこと。 久し振りに入った風呂は気持ちよく、色々なことと共に体に染み込み消えていく。
あの人たちとはもう、会うことはきっとない。 そんな予感のようなものが、俺の中にはあったのだ。 当然、別れは惜しい。 短い間だったけど、関係をちょっと持ちすぎたのかもしれない。 今になって思えば、失敗だったかもな。 あの人たちと関わってしまったことは。
それよりも、あいつはどうして居た? あの、女だ。 俺が知っている……あれ? 名前は、なんだっけ。 変だな、さっきまでは覚えていたはずなのに。 あいつは確か……確か「反転させる者」とか、言っていた気がする。 一体、なんのことだ。 そもそも、あいつは一体何者だ?
……ん? あれ、俺は今、何を考えていたんだろう? なんか、大事なことだったと思うけど。 まぁ、良いか。
そろそろ体も暖まってきたことだし、上がろうか。
そして、俺は風呂から出る。 忘れるべきことを忘れ、置いてくるべき物を置いて。
リビングへ向かう途中に、妹が居た。 遭遇戦発生である。 会った瞬間に負けたようなものだ、こいつはさすがに強すぎる。 そして最悪なことに、この遭遇戦はイベント戦だ。 逃げるのコマンドが用意されていない。
敵は上の妹、成瀬真昼。 玄関で何故かスクワットをしている馬鹿だ。
「なにしてんの、お前」
「見れば、分かる、でしょ! こうやって、体を、鍛えて、いるんだよっ!」
「ふうん。 頑張れよ」
「あいよ!」
元気の良い返事だなぁと思い、リビングへ入ろうとしたとき。 声が聞こえた。
〈いやぁ、兄貴に褒められるとやる気でるなぁ!〉
「褒めてねーけど!? それにお前なんかキモい!」
「うおっと! ありゃ、あたし今口に出てた? はっはっは!」
……多分、口に出してはいないだろう。 こりゃあれだ、さっきクレアが言っていた後遺症ってのはこれのことか。 にしても妹の声が聞こえたってことは相性が良いのか……うわ、一気に死にたくなった。 人を落ち込ませる能力とか怖いな、真昼の奴め。
憂鬱な気分になりながら、俺はリビングへと入る。 真っ先に俺の足へ攻撃をしてきたのは、下の妹。 成瀬寝々。
「おにーちゃん! あそぼー」
おう、蹴ったらすごい良い感じに吹っ飛びそうなポジションだな。 そうだそうだ、お兄ちゃんがサッカーという遊びを教えてやろうか。
「陽夢? あ、丁度良いタイミングね。 彼女さんからお電話来てるわよ」
寝々の命を救ったのは、母親だ。 さすがは母親、子供のピンチに勘が良いな。 てか、西園寺さんから電話? なんだろう。
「ああ、分かった……彼女じゃないけど」
「またまた。 それよりなんか、夢花ちゃん泣きそうな声だったわよ。 変なことしちゃった?」
「良いから寄越せ! 要らない心配すんなっ!」
鬱陶しい母親から受話器を奪い、少々距離を取って耳に当てる。 ちなみに、今この瞬間も寝々は俺の足へとしがみついていたりする。
「もしもし、西園寺さん?」
『な、成瀬くん……うう、どうしよう!』
……なんだ? てっきり母さんが誇張して俺に伝えているんだと思ったが、本当に泣きそうな声色だ。 何か、あったのだろうか?
「落ち着け落ち着け、何がどうどうしようなのかが全く分かんないんだけど」
『あ、うん。 えっとね、わたしお風呂に入ってたの。 いつも通り、鼻歌を歌ってね』
「……そこまで詳しく話さなくて良いって。 重要な部分だけで」
『う、うん。 それで、お風呂から上がったら毎日体重計に乗るの』
「へえ。 何キロ?」
『……』
「……悪い、冗談。 それで?」
『……うん。 それで、いつもは平均よりちょっと少ないかなぁって感じなんだけどね、今日、帰ってからちょっと体が重いなーって思ってて、今測ったら』
さり気なく言った「平均より少ない」というのは自慢だろうか? 女子言葉には詳しくないので良く分からない。 ダイエットに励むということは知っているが、何もそこまで頑張らなくてもな……とも思う。 人間、健康体が一番だ。
で、そこから聞いた話は簡単なもの。 それがどうやら、西園寺さんの後遺症ってやつらしい。 俺の体重の約二倍ってところか……恐ろしい後遺症の出方だなおい。
『どうしよう成瀬くんっ!』
「……寝れば治る。 おやすみ」
解決が無理な難題は、後回し。 それに時間が経てば治るんだから放っておくしかないだろう。 冷たいと思われるかもしれないけど、これが最善の策なのだ!
いつもの役回りはどうやら、今回は西園寺さんへと行ったらしい。 その微妙な気遣いに感謝して、今日のところは休むとしよう。
今回の幕引きは、こんな感じでどうだろうか。 これにて、終わり。 以下、おまけ。
俺が気付いた、一つのこと。
自分自身のこと。 俺自身の、一つの気持ち。
俺は、西園寺さんのことが好きだ。 それはあの七月からずっと思っていたことで、それが変わったことは一度もない。
……今の今に至るまで。
だから、思ってしまうんだ。 それは本当に正しい気持ちなのかって、本当にそうなのかって。
もしもこの気持ちが「好き」という物でなかったとしたら。 もしもこの気持ちが違う物だったとしたら。 ただ俺が勘違いしていただけで、ただ俺がそう思い込んでいただけだとしたら。
俺はひょっとしたら、西園寺さんに憧れているだけなのかもしれない。
以上で第三章、終わりとなります。
ブックマークして頂いた方、評価を付けてくれた方、感想をくれた方、ありがとうございます。
四章の投下を……と言いたいところですが、今回の章と次章の間に短編を挟ませて頂きます。 量としては一章分ほどとなります。
というわけで、次回は日常短編物となります。 既に書き終わっていますので、明日から投稿始めます。
それでは、ここまで読んで頂きありがとうございます。




