七月二日【4】
「大丈夫大丈夫! 次があるよ成瀬くんっ!」
「……その優しさがなんか辛いな」
そんな風に慰めてくれるなら、もう少しだけ静かにしていて欲しかったよ。 何かある度に西園寺さんは口を開いて、俺に話しかけてきていたからな。 わざと集中を欠きに来ているのではと疑うレベルだ。
そしてその結果。 辺りは既に暗く、時刻は……そういえば、今は何時だろう? ふと疑問に思い、俺は西園寺さんに尋ねる。
「西園寺さん、俺携帯持ってないんだけどさ、今何時か分かる?」
「えーっとね、今は」
西園寺さんは言いながら、鞄の中に手を入れる。 携帯を探しているのだろう。 だが。
「あ。 ごめんなさい、成瀬くん。 わたしも携帯持っていないんだった」
「……忘れたってこと?」
「ううん。 元から持ってないの」
なら別に探さなくても分かったじゃねえか!? ああいや……西園寺さんとの会話なんだ。 これはもう仕方ないことなんだ。 諦めよう。 そういうものなんだ。 普通の人ではなくて、西園寺さんと俺は話しているんだ。
「俺もだよ。 けど、それなら何か時間の分かる物は?」
「それなら時計が」
にっこりと、優しそうに微笑みながら西園寺さんは言う。 よし、段々と西園寺さんとの会話のコツが掴めてきたぞ。 なんかあんま嬉しくないけど。
しかしな、しかし待て。 西園寺さんは今、時計ならあると言って鞄から時計を取り出した。 そこまでは良い。 素晴らしい流れとは言えないかもしれないが、まぁ及第点ではある。 だがな。
「目覚まし時計って……」
そう。 西園寺さんが取り出したのは目覚まし時計。 ご丁寧にもベルが二つ付いた、見るからに目覚まし時計といった感じの目覚まし時計。
「あ! ち、違うよ? いつもは腕時計なんだけど、今日は寝坊しそうになっちゃって……。 それで、慌てて時計を持って来たらこれだったの……」
顔を赤らめ、恥ずかしそうにそう言う。 むう……そんな顔で言われると、ついつい頭を撫でたい気持ちに駆られるな。 いきなりそんなことをしたら怪しさ全開だからしないけど。 やっぱり西園寺さんは恐ろしい人だよ本当に。
「なんかもう、物凄い王道の天然って感じだな……。 でも意外かなぁ、西園寺さんが寝坊って」
「……うん。 えへへ、昨日はね、成瀬くんと会えたのが嬉しくて。 中々眠れなかったの」
今までの西園寺さんのとの会話がなければ、勘違いを起こしてしまいそうな台詞。 それにこの笑顔で言うとか卑怯じゃねえか。 最早生物兵器なんじゃないのかこの人。 少なくとも俺みたいな健全で真面目な男子高校生を悪い方向へと誘っているようにしか思えない。 魔性だ……気を付けなければ。
「ま……とりあえず、今日のところは帰ろうか。 ごめんな、貴重な一日使っちゃって」
なんとか、本当にギリギリのところで心を落ち着かせて、俺は言う。 そうだ、元々の目的を何も果たしていない今、そんな風に他のことなんて考えている場合ではない。 もっと、するべきことがあるだろ俺。
「……うん」
そのなんとか頑張って吐き出した言葉に、西園寺さんはどこかぎこちなく頷く。 やはり、いくら繰り返し続けている世界だと言っても、一日の大切さは変わらない。 そう考えて、そう行動しないと恐らくこのループから抜け出すことは出来ないと思う。 心底残念そうにする西園寺さんを見て、俺はそう感じる。 痛感と言っても良いかもしれない。
「……ほんとにごめん。 俺もつい、いつもと違ったループで考えが足りなかった。 短絡的に考えすぎてたよ」
嘘でも冗談でもからかっているわけでもなく、俺は言う。 俺なんてまだ、たかが十一回のループなんだ。 それに比べて西園寺さんは三十八回もこのループを経験しているのだ。 俺よりも断然、期待していたに違いない。 そして落胆とも言える表情をしている西園寺さんを見ていたら、自分がとても情けなくも思えた。 もっとこう……色々とうまくいかないものかね。 それができないから、大変なんだけどさ。
「成瀬くん、わたし……わたしね!」
西園寺さんが横を歩く俺に勢い良く向き直り、何かを言いかけたとき。
大きな、とても大きな破裂音が後ろから聞こえてきた。 そしてそれとほぼ同時に、俺と西園寺さんを照らす光。 その光に照らされた西園寺さんの顔は何故か、申し訳なさそうにも見えて。
「……花火か」
しかし、そんな疑問も振り返って見た花火の前に霧散する。
「ほんとだ……」
夜空に、綺麗な花火。
そこには夜空を彩る綺麗な花火が上がっていた。 色とりどりな、夏の夜を飾るに相応しいもの。 とてもとても美しく、綺麗で。
「今日って、花火大会だったんだね」
横で呟くように言う西園寺さんの言葉に、俺は無言で頷く。 そうか……今日は花火大会だったのか。 それは全然知らなかったな。
……ん? いや待てよ、それは妙じゃないか? この七月二日という日にそれが行われるのは、絶対にありえないことではないか?
「西園寺さん、変だ」
「変? うーん……綺麗な花火だけど」
的外れはいつものこととして、そうではないんだ。 絶対に今日この日、花火大会が起きるのはありえない。 通常ならば起こりえない状況なんだよ。
「そもそも気付くのが遅すぎた。 やっぱり、西園寺さんと会って浮かれてたのかもな」
「……どういうこと?」
俺が言っている言葉の意味が理解できないといった顔付きで、西園寺さんは眉を寄せている。 ごくごく単純なことに、まったく気付いていなかったんだ。 俺も西園寺さんも。
「今日は、七月二日だ」
「うん。 それは知ってるよ。 昨日、成瀬くんと会って……それから一日しか経っていないから、七月二日」
そうなんだよ。 俺は十一回目、西園寺さんは三十八回目。 そんなループを続けて、今回の七月二日だ。
「……天気。 西園寺さん、今までの三十八回のループで、七月二日の天気はどうだった?」
少なくとも、俺が経験してきた十一回では全てがそうだった。 そしてそれは、西園寺さんが経験してきた三十八回でも恐らくは同じだ。
「天気……? えっと……あ!!」
「気付いた? 今日、七月二日の天気は……予報外れの、大雨のはずなんだ」
そう。 七月二日は夕方から明け方にかけて、予報外れの大雨となっている。 それはただの一度も変わったことがなく、それは全てのルートで共通していたこと。 自然的なものは全て、決められたように繰り返されていたのに。
しかし、今回の七月二日。 時刻は西園寺さんに教えてもらったが、八時を少し回ったところ。 なのに、星は綺麗に輝いていて、今日開かれる予定の花火大会も予定通り、開かれている。
「天気が……変わった?」
「それに、もう一つある」
どうやら今日、この山頭駅に来たのは無駄足ではなかったようだ。 この場所からなら、その花火会場は大分近い。 さっきは西園寺さんを落胆させてしまったが、今度はきっと大丈夫。
「西園寺さん、花火を見に行こう」
「花火? うん、良いよ。 わたし、お友達と花火大会って初めてかも。 えへへ」
友達ね。 いつの間にか、西園寺さんの中で俺の評価が知り合いから友達に格上げされている。 少し嬉しい。 いくら抜けているところがある人だと言っても、大人しく、人当たりの良い性格だ。 それにまぁ……可愛いし。 友達と言ってもらえるのなら、結構嬉しかったりもする。
「それじゃ、行こうか。 多分、例の問題も答えが見つかりそうだし」
「そうなの? えへへ、さすが成瀬くんっ!」
「はは、どうも」
……結構良い雰囲気なのか? これって。 それに今から二人で花火大会だろ? もしかして、もしかするか!?
「それじゃ、ほら」
俺は言い、右手を差し出す。 結構な勇気を振り絞り、必死の思いで差し出した右手だ。
「うん?」
そして、西園寺さんはその手をしばらく見つめる。 人差し指を唇に当てたお馴染みのポーズで、だ。 恐らくは俺の意思を汲み取ってくれているのだろう!
「あ! 分かった! うんうん、大事だよね、そういうのって」
そしてそして、西園寺さんは俺の右手を握る。 よっしゃよっしゃよっしゃ!! そうだよね! 雰囲気的にね! めちゃ大事だよね!
「これからも一緒に頑張ろうね、成瀬くん!」
にっこり笑って俺の右手を両手で掴み、上下に数回ぶんぶんと振って、西園寺さんはその手を離す。
……いや、分かっていたことだ。 西園寺さんは悪くない。 悪いのは下心を持って接した俺だ……クソ、クソクソクソッ!! ちくしょう!! どうせ花火大会に女子と一緒に行くんだったら、手とか繋ぎたかったよ馬鹿野郎!!
「あ、ああ……よろしく。 はは」
しかしそんなことを言うわけにも行かず、俺は精々顔では笑いながら、にこにこと笑う西園寺さんに笑顔を向けるのだった。
「うわぁ……綺麗だねぇ……」
すぐ隣で、花火を見上げながら西園寺さんは感嘆とも言える声を漏らす。 その横顔は暗がりでも分かるほどに整っていた。 近くで見ると改めて分かるが、天然部分を除けば充分可愛い。
「と、そうじゃなかった。 西園寺さん、問題の答え、分かった?」
「へ? 問題? えっと……ごめん、全然。 えへへ」
「……西園寺さんって、毎回謝ってるよな。 別に俺、責めてるわけじゃないからな?」
「あ! 癖なの。 実はね、成瀬くん」
そこで西園寺さんは一度息を整え、胸の辺りに片手を置く。 なんだか神妙な面持ちだが……もしかして、何か大きな理由があるのか? てか、それを俺は聞いてしまっていいのか?
そんな俺の葛藤も知らずに、西園寺さんは言葉を紡ぐ。
「驚かせちゃったらごめんなさい。 本当に意外だと思うんだけど、わたしって真面目に見えて、案外抜けているところがあるんだ……」
いや知ってますけど。 え、まさかそれを俺が知らないとでも思っているのか……西園寺さん。 だとしたら、俺は人類の奇跡を目の当たりにしているかもしれないぞ。 生きる奇跡かこの人。
「だからね、みんなに迷惑ばかりかけちゃって……。 その度に謝っていたから、癖なの。 えへへ」
だからと言うのもあるのだろうか? 西園寺さんが友達を一切作らなかった理由の一つに。 だとしたら、静かなのが好きというのは建前か?
ああいや……それは俺が勝手に決めることではないな。
「なら、俺に対しては謝るのはやめてくれ」
隣に立って、俺の顔を見ながら笑う西園寺さんに向け、俺は言う。
「……どうしてって、聞いても良い?」
花火の光は西園寺さんの顔を照らしている。 本来ならば綺麗だなと思っていそうだが、そのときの俺にはその顔が、とても儚いものに見えていた。
「謝られる方が、よっぽど迷惑だからだよ。 別に西園寺さんに謝って欲しくもないし、謝られたからといって、何がどうなるってわけでもないし」
「……」
やはり、西園寺さんは申し訳なさそうな顔をする。 予想できていたことだ。 だから俺は続ける。
「俺もさ、一緒なんだ」
「……一緒?」
そうだ、一緒。 西園寺さんが俺と出会えて喜んでくれたように。 俺と話すのが楽しいと言ってくれたように。 俺と会えて、昨日中々寝付けなかったと言っていたように。
全部全部、俺も一緒なんだよ。
「思ってること。 西園寺さんが俺と会えて良かったって思ってくれたように、俺も西園寺さんに会えて良かったんだよ。 こんな同じことの繰り返ししか起きない状態で、西園寺さんだけは違った。 それがどうしようもなく嬉しくて、俺も西園寺さんと話すのは楽しいよ」
「成瀬くん……」
「だからさ、ごめんとか言うの止めよう。 勿論、それは悪い言葉ではないけど……本当に必要なとき以外、使わないで欲しいな」
俺が言うと、西園寺さんは目を瞑って頷く。 両手は胸の位置にあり、何か想いを込めているようにも見えた。
「うん、分かった。 わたし、成瀬くんには二度と謝らない」
「……なんかその台詞だけ聞くと、宣戦布告された気がする」
「ごめ……じゃなくて! じゃなくて、そんなつもりはないよ? 必要なとき以外は謝らない、だよね」
ごめんと言いかけ、その言葉を飲み込んで、西園寺さんは言った。 それだけでもう、気持ちは俺に伝わっているから大丈夫だ。
「ああ、そうしよう。 西園寺さんも、俺にやめて欲しい言葉とかあったら言って欲しいかな。 そういうのに結構鈍いからさ、俺」
「成瀬くんに? うーん……」
……随分真剣に考えているな。 そこまで真面目に考えなくても良いと思うけど。 それにそんな必死になって探さなくても良いと思うけど。
「あ! それなら」
嫌な予感がする。 何やら、とんでもないことを言われるような気がするぞ。 大丈夫かこれ。
「これから、朝は一緒に学校に行こう。 わたし、成瀬くんと話すのがとても楽しいの。 だから、良いかな?」
なんで「やめて欲しい言葉」の話が「西園寺さんの願望」になっているんだ。 いつどうやってそんな風に話が逸れた? けど。
「さっきの流れでどうやったらそうなったのかが気になるけど……まぁ、良いよ。 それくらいなら」
その言葉に、西園寺さんはにっこりと笑う。 丁度その時、再び花火が俺と西園寺さんを照らした。
俺も西園寺さんもその音と光で、自然とその花火の方を向く。 でかい広場に人が集まっていて、その中心では花火職人たちが忙しなく動いていて。
「あ」
声を漏らしたのは、西園寺さん。
「成瀬くん、わたしにも分かったかも。 問題の答え」
「そっか。 それじゃあ、答え合わせをしに行こう」
鍵は未だに見つからない。 だが、やるしかないのだ。 何がなんでも七月を超えて、冬にしなければ。 俺は暑いのが本当に苦手だからな。 こんな気まぐれのように七月に閉じ込めてきた奴を見つけたら、一発くらい殴っても罰は当たらないだろう。
「……わたしも、考えないと」
その言葉は、俺には聞こえない。 丁度西園寺さんが口を開いた時に、花火が打ち上がった所為で。
俺は結局、何も知らなかったのだ。
ループの理由も、原因も。 そしてそれに気付いたところできっと、それはもうどうしようもないものだということも。