死眼の剣 【1】
「みんなは!?」
「弥々見も含めて、他の皆さんには連絡は付きました。 どうやらエリアDにて待っているとの言付けが毒雨からあったようで、全員今はエリアDに向かっているです!」
横で並んで走るクレアに聞くと、そう返事があった。
このエリアCからエリアDまでは、そこまで離れた距離ではない。 クレアだけならほんの数分で辿り着ける距離だ。 だが今は、まとまって動くべき。 敵の狙いが俺たちを分散させ、各個撃破を狙っている可能性も捨て切れないからだ。
クレアは焦っている。 俺が今まで見たことないほどに。 額には汗を滲ませて、唇を噛み締めている。
……無理もない話だ。 クレアにとって、子供ほど大切な存在はないのだ。 かつて、助けることができなかった子たちのことをこいつは今でも忘れられずにいる。 それを守るべきものだと言って、大切にしていたのだ。 そんな子たちが、敵によって攫われた。 クレアの感情は、俺には想像できないほどに荒波を立てているんじゃないだろうか。
「成瀬、落ち着いて聞いてください。 白羽と守矢が殺されました。 弥々見が気付いたようでアジトに居ましたが……」
「なっ……」
二人が、殺された? そんな馬鹿な。 あれでも一応、二人とも戦闘には慣れているはずだ。 そんなにあっさりと?
いや、そうか。 相手は能力者なんだ。 毒雨の能力は『廻り毒』だ。 本当に迂闊だった……知れる情報を芳ケ崎から引き出すべきだった。
「……間に合わなかったのか」
「ええ。 弥々見は今、アジトからエリアDへと向かっています」
くそ、もっと早く気付いていれば。 もっと早く知っていれば、死なせてしまうことはなかったってのに……!
いいや、駄目だ。 落ち着け、クレアの言う通りだ。 それに、今は俺よりも。
「俺は大丈夫だ。 お前の方こそ落ち着けよ、クレア」
走りながら、横に居るクレアに向けて言う。 クレアは俺に顔を向けることも、表情を変えることもなく、こう呟いた。
「落ち着ける状況じゃ、ないです」
青く綺麗な瞳には、怒り。 それは無粋なことを言った俺に対してか、子供を攫った敵に対してか、それとも自分自身に対してか。
もしも、自分自身に対してだったとしたら。
……子供を助けることができなかったとき、こいつは壊れてしまうんじゃないだろうか。 自分を失ってしまうんじゃないだろうか。
クレアと西園寺さんと一緒に走りながら、俺はそんなことをふと思ったのだった。
「……失敗です、私の失敗です。 守人はエリアから何があっても出られないと、勝手に勘違いしていました!」
「それは俺も、西園寺さんも一緒だ。 お前の責任じゃない」
「私の責任ですッ!! 予想はできた、成瀬が修善と向かい合っているときに、アジトで警護をすることだってできた! 考えが至らなかった、私の責任です」
「クレアちゃん、落ち着いて。 それはわたしも一緒だよ、だから冷静になって考えよ? まずは、エリアDにいってみんなと合流しないと。 自分を責めるのはそのあとでも大丈夫なんだから」
「しかし……! いえ……はい。 ありがとうございます、西園寺」
こんなとき、西園寺さんの存在は本当にありがたいな。 人との会話を心得ているというか、相手を良く見ているというか。 もしも彼女が居なかったら、仲間割れも起こしていそうだ。
「んじゃ、急ごう。 時間は残されていないかもしれない」
とは言ったものの、恐らく時間的余裕はある。 子供を攫ったということは、何かしら俺たちに対する要求があるはずだ。 ここから先は交渉にもなるだろうが、現時点では子供が無事の可能性は高い。
「着くまでに説明するぞ、修善さんから聞いた、敵の情報だ」
通称、毒雨。 ランク四位の能力者だ。 本名は不明、誰も素顔を見たことがないという能力者。 能力は『廻り毒』。 触れられた者は毒に蝕まれ、苦しむ。 それ自体に殺傷力はなく、症状は痺れや痛み、主に体調不良などの類だという。 戦争時は主に、拷問をして情報を相手から引き出していたらしく、その能力を利用して二人を苦しめ、殺したということだろう。 それともう一つ。
「そいつの体は、自らの毒で傷が癒える。 自然とな」
つまり、再生能力も有しているのだ。 倒すのなら一撃で、半端な攻撃では治癒に負けて意味がない。 返り討ちにされる可能性も十二分にある相手だ。
「触れずに倒せ、ということですね。 それも、一撃で」
「そうだ。それ自体は、クレアなら問題ないと思う。 ただ……」
ただ、果たしてクレアは大丈夫なのか。 問題はやはり、攫われた子供たちだ。 修善さん曰く、残虐な性格という毒雨。 そいつがどういう風に、子供を利用するかが問題だ。
今回の戦いにクレアを連れて行っても良いのか? それだけが、どうにも引っかかる。
「とにかく行きましょう。 向かい合ってみないと、何も分かりません」
……だけど、クレアはきっといくら引き止めても聞かないだろう。
話したおかげか、クレアも幾分か落ち着いたように見える。 その切っ掛けを作ってくれた西園寺さんには感謝だな。
「やーやー、君らで最後かなっ? いっちにーさん……うん、揃ってる揃ってる」
エリアDへと着き、そこにあるでかい広場……元は、馬鹿でかい空き地だったそこは、今では荒野のようになっている。 そしてその中央に、そいつは居た。
「子供たちはどこですか!?」
おどけるように言う毒雨に対し、クレアは怒鳴りつけるように言う。
「焦らない焦らない。 ちゃんと生きているから大丈夫でーすよっと。 少なくとも今はな。 な?」
仮面の男だ。 その男はいびつな形をした仮面を付けていた。 左半分は猿、右半分は犬。 そして俺たちのことを嘲笑いながら続ける。
「ディジちゃんお久しぶりだねぇ。 元気してた?」
「……貴様のことなど覚えていない」
「そうかいそうかい。 アハ、アハハ。 酷いなぁ……一緒に戦ってあげたじゃん、革命起こしたときにさぁ」
「虫唾が走るな。 私たちを騙した分際で」
騙した? どういうことだ? そう俺が思ったとき、隣に居た王場さんが口を開く。
「あいつは、俺たち側で戦争に参加していたんだ。 戦争のことは知っているよな?」
「ああ……修善さんから聞いたよ」
「そうか。 それで、あいつは俺たちに取り入ったあと、裏切った。 沢山の仲間を能力を利用して殺し、寝返った」
「寝返ったんじゃない。 あいつは元よりそのつもりだったんだ」
俺たちの会話が聞こえたのか、ディジさんが口を挟む。 その声は珍しく、震えていた。
「そっそ。 ボクはさぁ、最初からそのつもりだったぜ? だってその方が沢山殺せるじゃん? ボクのこの手で。 アッひひは!」
「……下衆が」
クレアは刀に手を掛ける。 この距離ならば、一秒も使わずに喉元まで辿り着くことができるだろう。 なのにどうしてか、毒雨は全く気にした素振りも見せない。 クレアのことを警戒していないのか? ならば、今このときこそがチャンスか?
「ダメだダメダメ。金髪くぅーん、君は能力者だろう? 知ってるぞボクは。 だから言っておこう!」
両手を広げ、男は言う。 大袈裟な手振りを使いながら。 まるで、ショーの始まりを楽しむように。
「君に限った話じゃなくてさぁ、君たち全員だっ。 一歩でもその場から動いたら、あの子たちを解体しちゃおう。 アヒヒ」
男はそこで、視線を動かした。 その先には……三人の、子供。 随分遠くに居たのが視界に入ってきた。 子供たちは木に括り付けられ、そしてその体には。
「あれは……爆弾?」
「そう! ビンゴ! えーっと、君は成瀬くんだっかな? さっすが、噂通りの名推理。 それに目も良いんだなぁ、羨まし。 アハハ!」
クレアが能力者ということだけではなく、俺のことも知っているのか? けど、一体どこからそれを知った? 芳ケ崎との戦いでも、修善さんとのやり取りでも、この男が見ていたとは思えないが。 いや、そんなことより、今はそれよりも。
「……そんな」
クレアだ。 顔面は蒼白で、言葉をうまく言えないほどに動揺している。 手は震え、足は震え、今まで見たことがないほどに焦っている。
そうだ、こいつは……クレアにとっては、この状況は一度経験しているものなんだ。 それもこんな狂った世界ではなく、現実の世界で。 目の前で友達が、手榴弾を使い殺されるのを。
……まずいな。
「一歩でも動いたら即爆破するよぉ。 遠隔操作でいつでもドカンさ」
毒雨は言うと、俺たちに小さな機械を見せる。 あれを操作して、爆破するってことか。
……クソが。 どうする、この状況。 考えろ。 普段まともに使ってねえ頭を使って考えろよ、俺。
まず、俺たちと毒雨との距離はそこまで離れていない。 クレアならば、一瞬で到達できる距離。 正確に狙えば、毒雨が持っている機械だけを奪うことだって可能なはずだ。 それはクレアだけにできることで、俺たち他の奴らではあそこへ辿り着くより先に、毒雨が反応できるだろう。 毒雨は殺すことができるかもしれない、しかし……反応されては、駄目だ。 子供たちを人質にされている以上、迂闊に動くことだってできない。
クレア任せでやるとしても、懸念するのはクレアの精神状態だ。 こいつは今、酷く動揺している。 こんな状態では、満足に狙いを定めることもできやしない。
かと言って、子供たちの元へ行って解放するにも、距離が遠すぎる。 それに、一人一人の距離があまりにも離れている。 全部で三人の子供たちを助けるにしても、時間が足りない。 せめて数十秒だけ時間を稼げれば、どうにでもなるというのに。 その策が、浮かばない。
……芳ケ崎の能力があればどうにかなる状況だが、ないものねだりをしてもどうしようもねぇな。
「……何をすれば」
「んー?」
「何をすれば、子供たちを解放してくれますか」
クレアは震えながら、小さな声で言う。 それと同時に、憎しみと怒り。 様々な感情が混ざり合ったような、そんな瞳をしていた。 そして様々なものが混ざり合った表情で、クレアは毒雨に向けて言う。
「話が早くて嬉しいなぁ! じゃあさじゃあさ、とりあえずはお願いでもしてみる? 解放してくださいお願いしますって、頭を地面に擦り付けて。 あひゃひゃ! どうやらさ、聞いた限りじゃ金髪くんが一番好かれていたんだろう? ならさならさ、子供たちのためにそれくらいやってくれないとなぁ!」
腹を抑え、男は楽しそうに笑う。 クレアは一瞬嫌悪感を露わにする表情をしたあと、口を開いた。
「プライドなんかいらねーです。 分かりました」
クレアは言うと、膝を付く。 誰も、それを止めることはできなかった。 もしも何かを言って毒雨の機嫌を損ねたら、その時点で子供たちが犠牲になり得るのだ。 どうしようもなく腹が立つが、ここは我慢するしかない。 俺たちの何倍も、そんな気持ちを持っているクレアが我慢しているのなら。
「……子供たちを解放してください。 お願いします」
綺麗な髪が汚れることを気にもせず、クレアは地面に頭を付ける。 そして、そう言った。
「あは、アハハハハっ! いやいや愉快だなぁ。 顔に泥付けちゃって、恥ずかしくない? まぁでもそんなお願いするくらいだし、そんなことはないんだろうけど。 ひひ! あー楽しい」
「これで、解放してくれますか」
顔を上げ、クレアは言う。 しかし、男は未だに笑いながら首を振った。
「まだダメに決まってるでしょー。 んじゃあ次はぁ……あ、そうだそうだ。 成瀬くんのこと、殴ってもらおうかな。 俺はさぁ、いつも冷静なクソガキがいっちばんムカつくんだ。 だからやっちゃってよ、できるよね?」
「……それは」
クレアはそこで、口を閉じる。 馬鹿かこいつは……自分はあんな謝り方をしたっていうのに、どうしてそこで悩むんだよ。 自分のことをもっと大切にしろ、馬鹿野郎が。
「クレア、やれ。 お前には殴られ慣れてるから、大丈夫だよ」
「……成瀬」
「ほらほらはーやーく! 良いの? 子供たち殺しちゃうよ?」
「ごめんなさい、成瀬」
クレアはひと言そう言い、俺の目の前に来る。 だから一々謝るなってのに、本当にこいつは……友達想いだな。
「手加減をしたってボクが判断したらすぐ終わりだからね。 思いっきり、顔面を殴り飛ばしちゃってね」
クレアは男の言葉に、唇を噛み締めた。 強く噛みすぎたのか、クレアの白い肌には血が一筋、流れる。
「……ごめんなさい」
そう言うと、クレアは拳を俺の顔へと打ち込んだ。 さすがに本気で殴られると、冗談抜きで意識がぶっ飛んでしまいそうだ。 だけど、クレアだけが痛みを知るのは不公平だしな。 俺もほんのちょっとの痛みくらい、我慢しねえと。
「かはっ……!」
打たれた俺は、吹き飛ばされる。 こりゃ、体が頑丈になってなかったら一発で死んでいてもおかしくない。 しっかし、なんでこう……痛さだけは変わらないんだろうな。
「おお、良いね! 良いパンチだ、ひひひ。 ねぇねぇ、大切なお友達を殴った気分はどう?」
「……最悪に決まってます、そんなの」
「そっかぁ、ボクは最高って気分だけど。 それじゃあ次の要求ね。 ここまで来てよ、金髪くぅん」
血が流れる。 口の中が裂けたのか、それとも鼻でも折れたのか、血がぼたぼたと、地面に落ちて消えていくのが見えた。 視界はなんだかぼやけているし、思考もうまく捗らない。
……マズイな。 何か、策を考えなければならないのに、頭が働くのを拒絶している。 こんな状況じゃ、ろくな策も練ることができやしない。 この状態になるのも、ひょっとしたら毒雨の思惑か?
地面に倒れながら、俺は毒雨とクレアの方を向く。 見えたのは、小さな小さな背中だった。
最早、言いなり人形と言っても良いかもしれない。 そんなクレアの小さな背中の向こう側、毒雨がニタリと、笑ったのが見えた。
先ほどまでの楽しそうな笑い方ではない。 それはまるで、まんまと罠に嵌めたのが嬉しくて、堪え切れなくなって、顔に出てしまったかのような笑いだ。 それがどうにも、嫌な予感がしてならない。
あいつは、何かを企んでいる。 そして、クレアはそれに気付いていない。 普段ならば気付けるだけの変化だ、なのに……クレアの気が動転している所為で、あいつは気付けていないんだ。
「く……れ、あ」
声を出すも、その声は届かない。 クレアはいつの間にか、毒雨のすぐ傍まで行っていた。 あの距離でなら、間違いなく一撃で仕留められる。 だが、クレアは恐らく手を出せない。 万が一のことを考えて手を出せないんだ。
「だ、めだ。 くれ……あ。 ころ、せ」
「来ましたよ。 次は、なんですか」
クソ……! なんで声がでねえんだよ! 伝えなければ、あいつは何かを企んでいると。 クレアの身が危ないと。
毒雨が手に持っている機械も、壊すことは容易いはずだ。 そして毒雨の持っているカードはあの人質の子供たちと、エリアEの蒼龍だ。 毒雨を殺せば蒼龍も動けるようになる、それをこいつは盾として利用しているんだ。 けれど、そんなことを考慮している場合じゃねえ。 早くやらないと、この状況は。
「次? 次はねぇ、そうだ。 あっち向いてくれ」
男が指差す方向には、子供たち。 等間隔で木に縛り付けられ、身動きができずに……その体には、同時に爆弾が括り付けられている。
「……向きました。 次は、何をすれば」
クレアは素直にそちらを向く。 そして、男は言った。
「あーでもぉ、ボク最初に言ったよね? 一歩でも動いたら爆破するって」
「……え?」
「残念でしたぁ、約束は守らないと」
爆発音が、聞こえた。 そして、先ほどまで子供たちが縛り付けられていた三本の木の内、一本が――――――――吹き飛んだ。
「え? なに……? 私は、言うことを聞いて。 約束、は」
状況が、飲み込めない。 クレアは子供たちを助けるために言うことを聞いて、それなのに、それなのに、それなのに……!!
「ほら、真ん中の子供すっごい怖がってる。 可哀想に」
男はクレアの耳元で言う。 そして、再び爆発音が聞こえた。
木が、吹き飛ぶ。 燃え上がる。 黒煙はあがり、残されたのは焦げた地面のみで。
「や、やだ。 やだ、よ……やめて、やめてやめてやめてッッ!! なんで、私は従って……子供たち、みんな助けるって」
「君の所為だよ、君の所為で、あの子供たちはみんな死ぬ」
最後の爆発音が聞こえた。 子供たちが居た場所が、全て吹き飛んだ。 全員、死んだ。
「いやぁあああああああああああああ!! なんで、嘘、嘘嘘嘘嘘ッ!! いやだ、嫌だよ……私、私は守るって、言って、みんな、守るって、なのに……う、ああああああああああ!!」
クレアは、頭を抑えて蹲る。 耳を塞ぎ、拒絶する。 その目からは涙が零れ落ち、それは溢れ続けている。
〈いや、イヤイヤイヤイヤ! 嘘、私の所為で、死んだ? 私が言うことを聞かなかったから? 私の所為、私の所為でみんな、殺されたの? 爆弾で、殺されたの? いやだ、嫌だよ。 もう、嫌だ。 何もかも、イヤだ。 どうして私は、こんなに弱い。 もう、生きるのは嫌だ〉
クレアの声が、頭に響く。 それはもう声ではなく、剥き出しになった感情だった。 あまりにも悲痛な叫びは、俺の中で響き渡る。 ひとつひとつは壊れそうで、ひとつひとつはクレアの気持ちで。
そんな感情の波が、俺の中にも押し寄せていた。 そしてそれと同時に、得体のしれない感情が芽吹いた。
なんだ、この気持ちは。 この感情は。
なんだろう。 黒い? 気持ちか? 俺は今、何を思っている? 何を感じている? 自分のことは難しい。 けれど、今回ばかりは少し分かった。 たった一つだけ、俺でも理解できた。
この濁ったような感情は――――――――殺意だ。




