七月二日【2】
「やっぱりか」
七月二日の登校中。 律儀にも俺と西園寺さんは学校へと向かっている。 とは言っても、俺と西園寺さんが出会うという、今までで一度も起こらなかった大きな変化がもたらした結果を見たかったのだ。 俺も西園寺さんも、このループから抜け出す手掛かりを何か掴めないかと思って。
変化と言えば、朝に早速あったな。 西園寺さんが俺の家を訪ねてくるという暴挙に出てくれたおかげで、家族たちから妙に生暖かい視線を寝起きで送られる羽目になったのだ。 恨むぞ恨むぞ。
そして、こんな風に会話をしながら登校するのも、変化と言えば変化。 今まででは絶対に、ただの一度もなかった光景ではある。
「えぇ? やっぱりって、成瀬くんは予想出来ていたの?」
困ったような顔をしながら、西園寺さんは横で言う。 俺たちがしていた会話とは「何故、武臣の接触から逃げたのか」という会話。
そもそもの話、妙なのだ。 俺が考えていた一回目、二回目、三回目のループでそれを学んだというのは、あくまでも俺視点の話でしかない。
俺よりももっと前からループをしていた西園寺さんにとって、それは一回目、二回目、三回目のループではなく、二十八回目、二十九回目、三十回目のループとなるのだから。
そして、何故そんなにも遅くになってから避け始めたのかという、素朴な疑問。 それに対しての西園寺さんの返答。
『えへへ、それだけ繰り返して、やっと気付いたの。 もしかしたらこれって、わたしが走って逃げれば回避出来るんじゃないかって』
最早、天然もここまで来ると神様でもビックリではないだろうか。 怖いんだな、天然って。 少なくとも俺は怖いよ。
「むしろそれくらいしか考えられなかったよ。 西園寺さんって、ちょっとだけ抜けてるところあるし」
「……失礼だなぁ。 わたしはこれでもしっかり者なんだよ?」
果たして西園寺さんは知っているのかな。 それを自分で言う人の殆どは、しっかり者ではないという衝撃的事実を。 知らないだろうから黙っておこう。 成瀬陽夢はとても優しい男だから。
「はは、そういうことにしておく。 それよりさ、西園寺さん。 そっちは何か変わったことってあった? 起きてから家を出るまでに」
「なんだか誤魔化されてる気がする……むう」
頬を少し膨らませ、俺の顔を覗き込んでくる。 そして相変わらず、その距離は限りなく近い。 もっとこう、羞恥心的なものがないのか? この人は。 俺にはそれがあるから、いち早くその癖は直して頂きたい。
「良いから良いから……それで、変わったことは?」
そんな西園寺さんから距離を取りつつ、俺は再度尋ねる。 すると、西園寺さんは唇に人差し指を当てながら答えた。
「うーんと……あ。 あったよ! ひとつだけ、いつもと変わったこと」
「本当に!?」
それが事実ならば、思わぬ収穫だ。 どれだけ些細なことでも、今の俺と西園寺さんにとっては、それは大きな一歩となるかもしれない。 ループを脱出する『鍵』の可能性も考えられる。 喉から手が出る勢いで、俺は今それを欲しているのだ。
「うん! いつもね、七月二日の朝ご飯はパンとスクランブルエッグなんだけど、今日はそれにいちごジャムが付いてたんだ! えへへ」
「そうなんだー。 それは良かったねー」
なんてことだ。 俺と西園寺さんが出会った次の日の変化が、西園寺さんの朝食メニューの変化だけとは。 俺の家でも変化はあるにはあったが、それは西園寺さんが家を訪ねてくるという行動があってのことだったし……。 出会ったことが起因していると言えなくもないが、少し違う気もするからな……あれは。
「美味しかったなぁ。 いちごジャム」
「……ははは」
今日の朝食を思い出しているのか、西園寺さんは幸せそうな顔付きだ。 俺はもう乾いた笑いしか出ない。
そして、もうどうしようかと頭を痛め続ける俺に、西園寺さんはすかさず追い打ちをかける。
「む。 もしかして成瀬くん、わたしのことを食いしん坊さんとか思ってる? だとしたら違うからね?」
「いやこれっぽっちも思ってない」
敢えて言うならば「なんでもっとしっかりした人がループしていなかったのだろう」という落胆だけである。
「なら良いんだけど。 もしもそんな失礼なことを考えてたら、わたしは怒るよ?」
「そうですか」
既にこの時点で怒っていると言えなくもないが、黙っておこう。 言ったら言ったで確実に、今より更に話がややこしくなっていきそうだ。 これ以上、妙なことになるのは御免だ。
「うんうん。 あ、そう言えば『手紙』も来てたよ」
西園寺さんはにこにこと嬉しそうに笑うと、手に持っていた鞄からひとつの紙を取り出す。 真っ黒な封筒に入っているそれは……。
「いやそっちのが大事だろ!? 何考えてんの!?」
「え? あ、そうだったの? その……ごめんなさい」
下手をしたら、一人でこの世界からの脱出を試みるよりもよっぽど大変そうな、十一回目の七月であった。
「……結構なヒントかな、これは」
「そうなんだ。 やっぱり成瀬くんって、頭良いよねぇ」
それから、俺と西園寺さんはひとまず、近くにあった公園でその手紙を読むことにした。 ベンチに二人並んで腰をかけ、西園寺さんは隣で暖かいココアを飲みながら俺が読む手紙を覗き込み、そんなことを言う。
……この季節に暖かいココアって、中々のチャレンジャーだぞ。 というか、そもそも暖かい飲み物を売っている自動販売機も凄いな。
「俺は……別にそんな頭は良くないけど」
「そうなの? わたしよりも、良さそうに見えるのに」
「気のせい、気のせい。 それより、この『手紙』の内容かな」
俺は依然近い距離から覗き込む西園寺さんから少し距離を取り、その『手紙』の内容を西園寺さんに伝える。 本人から手渡された物の内容を伝えるというのも変な話だが、事実そうなのだから仕方ない。
「えっと、じゃあまずは内容の再確認」
真っ黒な『手紙』に書いてあった内容は、こうだ。
『問題その弐。 高き場所に咲く一輪の花。 そのすぐ下には種を芽吹かせるモノ。 モノの下には生い茂る物があり。 そしてその下に大事な物』
「綺麗な字だよねぇ」
的外れな感想は放っておくとして、この内容だ。
「西園寺さん、高い場所にある花って何か分かる?」
謎を解くときの初歩中の初歩。 まずはその文に散りばめられた言葉の意味を理解するということ。
この場合は『高き場所』と『一輪の花』と『芽吹かせるモノ』と『生い茂る』だ。 最後の『大事な物』は除外。 それを見つけることこそが目標ならば、他の言葉を繋げていけば最後のそれには辿り着けるだろうから。 そして、場所を示す単語は一つで、物を示している単語は三つ。 まずはそれが何かということから、考えるとしよう。
「高い場所……うーん、山の上……とか?」
山の上か。 なるほど……確かにそれが一番近いような気もする。 高い場所で花が咲けるところなんて、そのくらいだろうし。
「そうだ。 成瀬くん、わたしの家のお庭にも、いくつかお花があるんだよ。 今度見に来る?」
「……うん、今度な」
すぐに話が脱線していくのは、もう諦めるしかないかもしれない。 西園寺さんとの会話には付き物として考えておこう。
……えーっとそれで、山の上。 山の上。
「この辺りで、山ってあったっけ?」
俺にはとても思い付かなかったので、西園寺さんに尋ねる。 苦肉の策で苦渋の選択だ。
「山。 うーん……ないよ? この辺り、結構都会だし」
「だよなぁ」
そうなのだ。 西園寺さんが言った通り、この辺り……俺と西園寺さんが暮らしているこの周辺には、山なんてものは皆無。 あるのは精々、デパート的な建物くらいなもので。
だからこそ、分からない。 その『高き場所』というのが山というのは、恐らく間違ってはいない……はずだ。 高い場所で花が咲きそうなところなんて、山くらいなものだろうしな。 それに、それ意外に高い場所といえば、それこそさっき考えたデパートくらいだろう。 そしてそのデパートの上にあるのは駐車場で、花なんてないはずだ。 早速頭が痛くなってきたぞ。
「山……うーん」
腕組みをして悩んでいたところ、横で西園寺さんは全く同じポーズで悩んでいた。 なんだか周りから見たら物凄く間抜けな光景だったので、俺はそっと腕組みをやめる。
「山、山……ヤマンバ!!」
「あのさ、ちょっと静かにしてて」
「……ごめんなさい」
そう素直に謝るのは良いことだけど、思い付いた単語を適当に声に出すのは止めた方が良いと思う。 今後の為にも。
「でも……他にも山田さんとか、山上さんとか、悪巫山戯とか」
「いや、その悪ふざけって言葉が出てきたのは凄いと思うけど」
やはり、俺よりは頭が良さそうだ。 ただ、その使い方が間違った方向に行っているというだけの可能性が高い。 ここまで勿体ない人も中々居ないだろう。
「えへへ、ありがとうございます。 でも、他に山といえば……山頭駅とかかなぁ」
「んー、駅だしなぁ、そこ……ん?」
ちょっと待て。 待てよ……駅、か? 高き場所、イコール山で……山頭駅は、山に頭と書いて山頭駅だ。 つまり、山の頭……頂上。 山は山でも、本物の山とは限らない……ってことか?
「……ナイスだ西園寺さん!!」
俺は勢い良く立ち上がり、西園寺さんに向けて言う。 さっきの言葉は訂正しよう。 思い付いた言葉でもばんばんと言ってくれれば、役に立つ時もある!! 稀に!!
「へ? よ、良く分からないけど、どういたしまして」
パチパチと手を叩いて、西園寺さんはお礼を言った。 一々そういう仕草が様になっていて、恐らく西園寺さんでなければ似合わない仕草でもあるのだろう。
……と、そうじゃない。 そんなことを考えている場合じゃなかった。 今、俺たちが向かうべき場所は。
「西園寺さん、一日くらい学校サボっても大丈夫かな」
「わたしとしては……駄目だよって言いたいけど。 でも、何か思い付いたんだよね? 成瀬くん」
「まぁ一応は。 けど合っているかは分からない」
西園寺さんはしばし考えた後に、頷く。 真面目と思える西園寺さんにとっては、結構な苦渋の選択なのかもしれない。 それこそ、俺が先ほど西園寺さんに尋ねたくらいに。
「……うん。 良いよ、分かった。 サボっちゃおっか」
こうして、俺と西園寺さんは七月二日の一日を犠牲にし、少し離れた場所にある山頭駅へと向かうことにしたのだった。 上手いこと『手紙』の差し出し主に操られているようで気分が悪いが……状況が状況だけに、仕方あるまい。
「風が気持ち良いなぁ」
すぐ隣で、自転車を漕ぎながら西園寺さんは言う。 顔はとても涼しげ。
「……暑い」
その横で、俺は自転車を漕ぎながら項垂れて言う。 顔は今にでも息が絶えてしまいそうになっているだろう。
正反対の光景だが、仕方のないことだ。 突き刺さる陽射しはまるで凶器だし、確実に俺を殺しに来ているとしか思えない。 暑いの苦手なんだよな……。 早く冬になれ、早く冬になれ、早く冬になれ。
例え、こうして流れ星に三回願ったとしても、それは叶わないのだろう。 このループを脱出するための鍵を見つけるまでは。
……冬を迎えるためにも、しっかりとやってかないと。
「サイクリングって、本当に久し振りなんだ。 楽しいよね」
「……もっと近い場所なら楽しかったよ」
歩いて行くには少々厳しい距離。 かといってバスを使うのも、山頭駅に行くバスは本数が一時間に一本しかないので、時間が勿体ない。 よって、俺と西園寺さんは自転車でその駅へと向かうことにしたのだった。 その結果がこれ。 休憩はまだかな? あ、ほらあそこに丁度良いベンチと自動販売機が。
「あーさ、キラキラ太陽~。 おーひる、おにぎりふ~たつ~。 よーる、おやすみまた明日~。 みんなでたーのしっく、うーたいましょー。 ふんふんふふーん」
しかし、西園寺さんはそんな俺の思いにも気付かずに歌を歌い始める。 色々と大丈夫かこの人。 心配になってきた。
「聞いたことないな」
横でにこにこ朗らかに歌う西園寺さんに向け、俺は言う。 自転車を漕ぎながら歌う人は見たことあるが、こんな身近に居たとは。
「へ? も、もしかしてわたし、今歌ってた……?」
「そりゃもう、めちゃくちゃ楽しそうに」
「……」
そして、自分ではどうやら歌っていたつもりはなかったらしい。
「よーし! 山頭駅へ向け、しゅっぱーつ!」
……誤魔化したな。 既に出発しているからそれはおかしいし、あからさますぎて物悲しさすら漂っているぞ。
「あーさ、キラキラ太陽~」
「静かにして」
真似をして歌い始めたところ、怒られた。 理不尽じゃないですか。 理不尽ですよね西園寺さん。 あなたさっき歌ってましたよね。
ちなみに、後になって聞いた結果そんな歌は存在せず、西園寺さんの自作の歌であることが分かったのだった。 趣味のヒトカラで歌っているのだろうか……気になるな。