異能世界 【2】
目の前に居たのは、女だった。
長い黒髪を後ろで一本に縛っており、その顔には笑み。 そして、手にはグローブ。 ボクサーがつけているようなそれではなく、人に致命傷を負わせるためのように尖った形状をしているグローブだった。
「ワタシは芳ケ崎紅刃。 てめぇは?」
「は……? えっと、俺は成瀬陽夢……だけど」
「成瀬陽夢か。 良い名だな、それ。 ワタシのハートにしっかり刻んどいてやるぜ。 そんじゃ、名乗り合いも終わったことだし……始めるか」
「待て待て待てッ! 始めるって何をだよ!?」
ああいや、なんとなくは分かっていたさ。 あの『手紙』の内容と、この状況。 それらを繋げて考えれば、これから始まることは……一つしかなさそうで。
「あん? 決まってんだろ――――――――殺し合いだよ」
瞬間、女は消えた。 まるでテレポートでもしたかのように、忽然と姿が消えたのだ。 音も前触れもなく、目の前から唐突に消えた。
……マズイ。 さすがにこれはマズイ。 一番最初の異常や二番目の異常なら、まだ頭を使えばどうにかできた。 しかし、これは……あまりにも。
「おせーぞ、ガキ」
言葉と同時だ。 芳ケ崎の声が後ろから聞こえたと思った直後、その蹴りが脇腹に入れられる。 尋常じゃない速度で放たれた蹴りを俺が避けられるわけもなく、自分でも面白いくらいに吹っ飛んだのを感じた。 痛みよりも先に視界が揺れ、何かを考えるよりも先に俺の体は宙を舞う。
「がっ……!」
そのままの勢いで壁に激突し、肺の中の空気が押し出される。 蹴られた脇腹も、打ち付けられた背中も痛む。 ふざけんな、いきなり人のことを蹴り飛ばすだなんて、どんな教育を受けてきたんだよこいつは。
つうか、いてぇ。 くそ……マジかよ。 ここで死ぬのか、俺。
こんな呆気なく終わるなんて、今までの苦労はなんだってんだ。 こんなことになるくらいなら、こんなところで死ぬくらいなら、最初から諦めておくべきだった。 あの夏も、人狼の世界のことも、諦めていれば。
「おいおい終わりか? つか、てめぇ本当に生き残りかよ?」
「……」
「言葉にもできねーってか。 まぁいいや、このエリアに入ってきた以上、ワタシの敵だ」
芳ケ崎の言っている言葉の意味も、分からない。 その意味を俺は知らないから。
……知れる可能性はあったのに、それを知れないってのはやっぱり、悔しいもんだ。
「ちなみによ、良く勘違いされるから教えてやるよ。 ワタシの力はテレポートじゃない。 そこまで強い力を持ってる奴なんて、ほんの一握りだからな。 これから死ぬ奴が聞いても意味のねー話だけどよ」
芳ケ崎が一歩一歩、俺との距離を詰める。 かろうじで顔を上げた俺の目に入ってきたのは、拳を振り上げている芳ケ崎の姿だった。
さすがに、あれで殴られたらただでは済まないだろう。 文字通り、終わり。 こんなところで、どんな異常なのかを知る前に、俺は死ぬ。
「んじゃま、ブッコロだ」
そして、芳ケ崎は拳を振り下ろす。 きっと一秒後にはその拳は俺にぶち当たり、俺は絶命しているんだろうな。 なんて、思った。
「なに諦めてんですか成瀬ッ!!」
それは、聞き慣れた声。 今では毎日聞くようになった声。
「っ!」
そいつは拳を振り下ろし始めている芳ケ崎に見事な飛び蹴りを食らわし、俺の前へと立つ。 腰までの金髪に、碧眼の少女。
「……クレ、ア?」
「私が勝つまで負けるなです。 っと、説教は後でするとして、とりあえずは逃げますよ」
言い、クレアは俺の手を掴む。 そして、そのまま立ち上がらせた。 普通逆だろなんて思いながら、体が痛む俺は素直にそれを受け入れて。
……やっぱり、俺は弱いな。
「……クッソ、いてぇなコラァ!! 逃げられると思ってんのか!?」
言う芳ケ崎の姿は見えない。 遠くまで吹き飛ばされ、土埃が立ち込める向こう側から、芳ケ崎のそんな叫び声が聞こえてきた。
「生憎、逃げ足には自信がありますので。 それにしっかりと仕返しには参りますよ」
クレアはそう言うと、俺を抱える。 相変わらず、華奢なら体からでは考えられない馬鹿力だな。
「さ、一旦は退きましょう。 少し我慢してくださいね」
「え? 我慢って……うおっ!?」
まるで、空を駆けているようだった。 クレアが少し足に力を込めたと思えば、次の瞬間――――――――空を飛ぶように、クレアは俺を抱えたまま、宙を移動したのだ。
「……身体能力を?」
「ええ、どうやらそれが私の能力のようです」
あれから俺はクレアに連れられて、クレアの家へとやって来ていた。 世界の空気が変わったことから多少は予想していたが、神田さんの姿はない。
いや、神田さんどころか、誰も居ないのだ。 街は暗く、人の気配そのものが消え失せている。 俺たち以外の人間が全て消えてしまったような、そんな感覚だ。
「それと、体も多少は頑丈になっているようですね」
「そりゃ、身体能力が上がってるならそうじゃないのか?」
「いえいえ、そういう話ではなくて……成瀬、あなたは全然平気じゃないですか。 あんな思いっきり蹴られたのに」
……確かに、確かにそうだ。 怪我をしてないのが不思議なくらいで、それこそ擦り傷程度で済んでいるのだ。 普通ならば、骨の一、二本くらい折れていても不思議ではないのに。 あのときは衝撃の所為で驚いたが、今こうして体を動かしても痛みは感じられない。
「つまり、私も成瀬も多少は頑丈になっているみたいです。 まぁ恐らくは、この世界で言うところの『異能力者』と戦えるようにってことでしょうかね」
「……異能力、ねぇ」
漫画やアニメではあるまいし、そんなのにわかに信じ難いが……現に、目の前で見せられてしまったからな。 その異能力ってやつを。
「私の場合は身体強化。 ところで、成瀬の場合はなんですか?」
「え? 俺?」
そういや、クレアにも能力が付いてるってことは俺もなのか? けど、別にそういう感じはしないんだが。 自身の体を見ても、特に変化は感じられない。
「特に、そんな感じはないかな」
「そうですかぁ……」
〈能力なしとか使えねー奴ですね、こいつ〉
「……いや確かにそりゃ悪いけど、酷い言い方だな」
「え? あれ? 今、私って口に出してました?」
何をとぼけているんだ、こいつめ。 しっかりと聞こえたってのに。
「思いっきり言ってたじゃないか」
「……あ、あはは。 ごめんなさいです」
言いながら、愛想笑いをしてこめかみの辺りを指で掻くクレア。 そして、それと同時に聞こえてきた。
〈変ですね。 言ったはずはないのに〉
「あれ?」
「今度はどうしました?」
「いや、なんか……クレアの声が聞こえてきた」
「……私の?」
〈何気持ち悪いこと言ってるんですかこいつ。 私のストーカーですか? 幻聴とか、さすがにちょっとですよ。 ドン引きです〉
「……悪かったな、気持ち悪いこと言って」
「あ、あれ……また口に出してました?」
非常に嫌な分かり方だったけど、これでなんとなくは理解ができた。 これが恐らく、俺の能力ってやつだろう。
「思考を読み取る……テレパシー的なやつですかね」
「多分な。 また微妙な能力だよ」
「そうですかね? 成瀬はそういう人の心を読むのはの苦手だって言ってましたし、丁度良いかと思いますが」
いやまぁ、そうかもしれないけどさ。 なんか盗み聞きをしているみたいで嫌なんだよな。 悪いことをしているみたいで。 それに……余分なことまで聞こえてくるし。
「てか、お前ってすげえ嫌な奴だな! 考えてること俺の悪口ばっかじゃねえか!」
「そういうこともありますよ。 嫌なら使わなければ良いじゃないですか、それ」
「……分からないんだよ」
「え? 何がです?」
「能力の、切り方」
〈本格的に使えねー奴ですね、こいつは〉
「うるっせ! もうお前なんか知らん!」
「ふふふ、いじけないでくださいよ。 まだ始まったばかりじゃないですか」
誰も始まって欲しいなんて思ってないけどな。 それに、なんだっけか。 能力者五人を倒すこと……だっけか? それにはきっと、あの芳ケ崎って女も含まれているはずだ。 正直な話、あいつに勝てることなんてできるのか? あの、良く分からない瞬間移動を使う奴に。
「……勝つしかないじゃないですか。 でないと、帰れませんから」
「顔に出てたか?」
「ええ、まぁ。 言っておきますけど成瀬、こう見えて私は結構強いんですよ。 あの女くらいになら勝てます! 多分」
「その最後の多分ってので一気に心配になるな。 けど、そうだよなぁ。 勝たないと、終わらないんだ。 まずはこの世界の状況について、考えていこう」
一番最初の一手を打つ前に。 まずは世界を知ることからだ。 この世界がどんな状況で、どんな異能があるのか。 そして、敵は一体どいつか。
「それなら、この紙に多少書いてありますね。 私の生徒手帳に挟まれていましたから、成瀬のにも挟まれているはずですよ」
クレアが紙切れを懐から取り出したのを見て、俺も同様に制服の胸ポケットへと手を伸ばす。 そして、そこから生徒手帳を取り出した。
広げると、あの繰り返しの七月同様……そこには紙切れ。
『エリアA。 守人は芳ケ崎紅葉。 ランク四の能力者』
「これって……」
「見た通り、異能力者の情報ってところですね。 あの女のことでしょう」
だろうな。 そしてエリアAというのは恐らく、芳ケ崎が言っていた「このエリア」というのを指しているんだ。 最後にランクは……強さ、といったところか?
「ってことはさ、ランク四ってことは他に三人……あいつより強い奴がいるってことだよな?」
「そうなりますね。 ワクワクします」
しないよ? ワクワクしないよ? こいつ何トチ狂ったこと言ってるんだよ馬鹿かよ!? あの芳ケ崎って女だけでも相当手強い相手なのに、あれよりも強い奴が三人だってことだぞ!? やべー、俺こいつのこと勘違いしてたわ。 とんでもない馬鹿だこいつ。
……あぁ、なんだこれ。 生きて帰れる気がまったくしない。
「ちなみに私のは、地図でした」
言いながら、クレアは俺にその紙を広げて見せる。 俺が何を思っているのかも知らずに、呑気な奴だな。
「エリアA……からEまでか。 ん、ていうかエリアBがなくねえか? もしかして、このなにも書いてないところがエリアBか?」
「さぁ? 私に分かるわけがないでしょう。 ですが、この中立地帯というのは分かります。 今ここに居るのが私たちですし、恐らくは安全地帯ということでしょうね。 なので、あの女もここまでは追ってこれなかった」
なるほどね。 エリアAからE、それらに囲まれるようにあるのが、この中立地帯。 広さは丁度、エリア四つを足したくらいの広さ。
俺の能力は『他者の思考を読み取る』こと。 そしてクレアの能力は『身体強化』。 エリアは番号が振られた物が四に、ないものが一つ。 そして、中立地帯という中心にあるエリア。。
目的は能力者五人を倒すこと。 それが今回の世界でのルール。
相手の内、一人は既に判明している。 名前は芳ケ崎紅刃。 力は……移動系、だろうか? いや、そう考えるのはやめておこう。 分からない可能性は排除するべき。 新たな可能性を見失うかもしれないから。
まずするべきは、作戦を立てること。 そして、可能な限りの情報を集めること。 まだまだ俺たちはこの世界について知らなすぎる。 そして次に相見えるときは、絶対に勝つことだ。
死んだら終わり。 相手は殺す気でかかってくると思われる。 まったく、体を使うのは嫌なんだけれど。 恐らくあの番傘の男もそれを知っていて世界を設定したんだと思うけれど。
それでも一度救われた命。 簡単に捨てるわけにはいかないよな。
「あ、そう言えばですけど成瀬」
「ん?」
ウサギのぬいぐるみをベッドの上へと置き、そのベッドの下からあろうことか刀を取り出し、クレアは何かを思い出したかのように言う。 当然のように取り出したってことは、元の世界でもそこに隠してるってことだよな……。 何者だよお前は。
しかし、そんな考えも吹き飛ぶひと言をクレアは言った。
「西園寺はどうしてるんでしょう?」
……どうやら、一番最初の一手はそれになりそうだ。




