異能世界 【1】
「冷えてきたねー」
「そうですね。 日本の四季は好きです。 もう少しすると、もっと寒くなるんですよね?」
十二月の初旬。 部室では相変わらず部活動らしいことはせずに、ただただ読書に時間を割くことしかしていない。 俺はそれを望んでいるから、この上なく過ごしやすい環境だ。 そして、最近では西園寺さんとクレアの話を聞きながら本を読むことが増えている。 嫌な時間なんかではなく、むしろ案外好きな時間だ。 基本的には西園寺さんがボケでクレアがツッコミ。 この漫才は愉快である。
「そうだよ。 それで、冬が終わったら次は春が来るの。 その次は、夏で……あ」
「どうかしましたか?」
言葉を途中で切った西園寺さんを不審に思ったのか、クレアは言う。 あー、助け舟……出しとくか。 泥船の可能性もあるにはあるが、助け舟だと思おうそうしよう。
「……俺と西園寺さんは、夏にあまり良い思い出がないんだよ」
「ああ、そう言えばループ現象に巻き込まれていたんでしたっけ。 大変ですねぇ」
まるで他人事だな。 それはもしかしたらクレアにも降りかかるかもしれないのに。 けど、こいつの場合はなんだかその状況を楽しみそうでもあるから怖い。 「いやぁ、ループとか歳取らないから最高です! 永遠の十六歳です!」とか言い出しそう。 馬鹿丸出しだな。
「……今年は、本当に長かったよー」
「俺は一年くらいだったけど、西園寺さんは三年だったしな」
そこで俺は読んでいる本にしおりを挟み、鞄の中へ。 結局、最後にはいつもこうして本格的に話をすることになるのだ。 最初の数十分は全員本を読んでいるけれど、最初にクレアがそれに飽きて喋り出し、それに西園寺さんが乗っかって……最終的には俺も乗っかる。 最早、これが恒例なのだ。
「へぇ。 でもなんだか良いですね。 ループということは歳を取らないんですよね?」
……なんか嫌な予感がする。
「ということは、最高です! 永遠の十五歳になれます!」
惜しい。 俺が予想したクレアの言いそうなことだったけど、かなり良い線行っていた。 でも内容的にはほぼ一緒だから正解か。 馬鹿丸出しだな。
それよりこいつ、まだ十五歳だったんだな。 俺はつい二ヶ月ほど前に十六になったし、俺のが年上か。
「それで、その中で出会って今に至る……と。 なんだか、ロマンチックですね」
「どこがだよ。 それを言うなら、あんな殺し合いゲームで脱出して再会した俺たちだってそうだろ?」
「ふふ、そうでした」
クレアは口元を手で覆い、笑う。 その手元はカーディガンが覆っている。 俗にいう萌え袖だ。 本当に少しだけ可愛いと思ってしまった俺がいる。
「あれからもう、二ヶ月か」
誰に言うわけでもなく、誰に聞こえる声量でもなく、俺は呟く。
ループを乗り越えた俺たちが次にやらされたこと。 それは、人狼ゲームを題材とした殺人ゲーム。 あの異常で知り合った人のことを俺は一生忘れやしない。 それが、何人も殺してしまった俺の罪滅ぼしでもある。 いや……んな綺麗なものじゃないか。 正しくは忘れられない、だ。
「あ、そうでした。 今日はですね、お二人に来て欲しい場所があるんです。 お時間大丈夫です?」
言われて、腕時計を見る。 夕方にはまだ程遠い時間か。 少しくらいなら、クレアの言う来て欲しい場所というのに付き合っても良いかな。
「俺は構わないよ。 西園寺さんは?」
「わたしも大丈夫。 本当だったらお母さんに会いに行きたいけど、この前「私に会いに来るより友達と遊びなさい」って怒られちゃって。 えへへ」
西園寺さんの母親は、未だに入院中である。 とは言っても、既にかなり体調は元に戻っているということだ。 ついこの前俺が行ったときも、元気一杯ではあったし、心配は要りそうにない。
「分かりました。 では、行きましょう」
そう言って、クレアはいつの間にか荷物を持って立ち上がっている。 行動力とその早さは、俺たち二人と比べて飛び抜けているクレアだな。 問題があるとするならば、クレアが酷く方向音痴の所為で行動の早さも相まってすぐに迷子になるところくらいだ。 重大じゃねえかお前最初に動くなよ。
「分かったからもうちょっとゆっくり準備させてくれよ。 てか、それより行くってどこに?」
「決まってます。 私の自宅ですよ」
……それに果たして、俺が行って良いのだろうか。
「へぇええ。 お洒落だね」
「お前さ、最初からこういうことならそう言えよ……」
俺たちが案内されたのは、喫茶店。 どうやらクレアはここに住んでいて、俺たちを連れて来たかったのは、この喫茶店の売り上げが大変悪いからとのこと。 理由の方はもうちょっとなんとかならなかったのか。 自慢したかったーとかでも良いからさ、金を使えと言われているみたいで嫌だ。 頑なに水だけ頼んでやろうか。 こう見えて俺は水が好きだ。
「自宅は自宅じゃないですか。 それとも、成瀬はよからぬことを期待していたのですか? 変態ですね」
「お前な」
俺が思っていたのはそんなことではなくて、女子二人の内一人の家を訪ねるのはどうなんだってことだ。 何を言ってんだよマジで。 いきなり変態扱いするとか、そこまで想像を発展させたお前の方がよっぽど変態だ。
「お、クレアが言ってた友達ってお前らか! いつも世話になってんな!」
と、俺がクレアに文句の一つでも言ってやろうと思ったそのとき。 カウンターの奥から、若い男が現れる。 口振りからして、クレアの家族だろうか? でも、それにしてはやけに日本人っぽいが。
「俺はこいつの面倒見てる神田和ってもんだ。 こいつとはまぁ、一応は親子って関係になんのかな?」
「……一応は?」
「あー、色々あってな。 保護者って言った方が良いのか?」
俺の問いに、神田さんはクレアに尋ねる。 どちらかと言うと親子よりは兄弟に見えるけど……いくつなのだろう?
「どうでも良いです。 それより、神田、お茶を持って来てくださいです」
「へいへい、少々お待ちを」
そして、その場を離れる神田さん。 なんだ、やけに素っ気ない対応だな。 クレアのそれが、見知らぬ奴に対応するときみたいだ。 良好な関係……ではない感じ。
「ねね、クレアちゃん。 あの人って、いくつなの?」
聞き辛い質問を平気でするな、西園寺さん。 でもそれは俺も気になるところだし、止めはしないでおくか。
「二十五です。 私とは、血縁関係にありません」
淡々とそう返すクレアに、俺も西園寺さんも何も言えなかった。 聞いて良かったのか、悪かったのか。 それすら、俺たちには分からなかったから。
「それでは、また明日」
「おう、またな」
「ばいばい。 またね」
それから一時間ほどそこで話をして、俺と西園寺さんは店を出る。 神田さんとのことについては、結局聞くことはできなかった。 きっとこれは俺や西園寺さんから聞くことではなく、クレアが言ってくれるのを待った方が良いことだろう。
「また行きたいね、クレアちゃんのお家」
「……だな」
「成瀬くん、考えごと? クレアちゃんのこと?」
「だよ。 もしかしたら、クレアは聞いて欲しかったんじゃないかなって」
だけど、クレアが放っていた雰囲気はそれとは完全に逆で。 クレアもクレアで、知ってほしい気持ちと知られたくない気持ちの狭間に居るのかもしれないな、なんて思ったりして。 どんな顔をすれば良いのかさえ、分からずにいる。
「難しいよね、こういうのって。 でも、大丈夫だよ」
「やけにハッキリ言うんだな? 珍しい」
「えへへ、だってさ。 だって、クレアちゃんと過ごした時間は短かったかもしれないけど、気持ちは通じ合っていると思うから。 大丈夫だよ、クレアちゃんは必ず話してくれると思う」
そうだと、良いな。 そこまであいつが俺たちのことを信頼してくれているのかどうかは分からないけれど、それでも言ってくれる日を待つべきなんだろう。
「それじゃあ、わたしはこっちだから。 また明日、成瀬くん」
「おう、また明日」
そして、俺は西園寺さんと別れる。 そんな帰り道の途中、鼻先にぽつりと冷たいものが当たった。
「……雨か」
見上げた空はどんよりと曇っていて、とても不吉なもの。 この感じはなんか嫌だ。
……確か、折り畳み傘が鞄にあったっけか。
「あれ?」
そこでようやく気付く俺。 あろうことか、あの喫茶店に鞄を置きっ放しだ。 ドジなヒロインか俺は。 気が抜けていたのか、それとも俺に天然属性が付いてしまったのか、前者であって欲しい。
ううむ……朝早く起きて寄って行くか、それとも今から取りに行くか。 さて、どうしよう。
効率面で見れば、前者の方を選ぶべき。 けれど、何故か俺の足は自然と喫茶店へと向かっていた。 もしかしたら、何かを知ることができるかもしれないなんて、思いながら。
「すいませーん」
「ん? おー、さっきのか。 どした?」
喫茶店の中に入ると、神田さんがカウンター席へ腰をかけ、新聞を見ながらコーヒーを飲んでいる最中だった。 さすがはクレアが売り上げが悪いというだけのことはあり、客は誰一人としていない。
「と、鞄忘れちゃって」
「そうかそうか。 んなもん、電話すればあいつに届けに行かせたのに」
「さすがにそれは悪いですって。 それに俺、携帯持ってないですし」
「へえ……今時にしちゃ珍しいな。 まぁ折角来たんだ、なんか飲んでけよ。 外は寒いしな」
それを断ろうとは思ったのだが、俺が何かを言う前に、既に神田さんは立ち上がっていた。
……仕方ない。 少しの間、休ませてもらおう。
「酒で良いか?」
「……未成年なんで」
「そうだったそうだった。 んじゃ、コーヒーにするか。 俺特製のコーヒーだ」
そんな会話をしながら、俺はカウンターの席に着く。 小さいながらも内装は綺麗で、一応はちゃんとした店なんだな。
「こんなんでやっていけんのかってか?」
「へ? あ、いや。 そういうわけじゃ」
「良いんだよ別に。 俺も、この店は趣味でやってるだけだからな」
趣味だったのか。 それはそれで驚きだ……。 俺とそこまで離れているわけじゃないのに。
「あれ? っていうと、本職は?」
「ん? なんもやってねーよ。 俺のとこは親が早い内に逝っちまって、そのときに遺産がたんまりってわけよ。 へへ」
「……は、はは」
コメントに困る言葉だ。 とりあえずは愛想笑いをしたけれど、笑って良かったのかどうかは微妙だな。 あまり見知らぬ人との会話に慣れていない所為で、こんなときは言葉に詰まってしまう。
「クレアからは、どこまで聞いてるんだ?」
神田さんは言いながら、俺の目の前にコーヒーを置く。 その薫りはとても良いもので、特製と言うだけのことはありそうだ。
恐らく、聞いているのは神田さんとクレアの関係……かな。 それくらいしかないし、神田さんもそれを分かって言っているんだ。
「ありがとうございます。 クレアからは、何も」
「そうか」
本当に何も、聞いていない。 何も知らないんだ。 俺も、西園寺さんも。 踏み込んで良いのか悪いのか、それが正しいことなのかが、分からない。
「……折角来てくれたんだし、俺から少し話そう」
言いながら神田さんは自身の分のコーヒーを淹れ始める。 慣れた手付きで動きながら、神田さんは続ける。
「あいつはな、孤児なんだ」
「孤児?」
「ああ。 俺が里親になったのは、もう二年前か。 いつも、どこか遠い場所を見ている奴だったよ。 アメリカの孤児院で、あいつともう一人俺は引き取っている」
……それは、俺も感じていた。 クレアはどうしてか、同じものを見ていてもその視線がずれているような、まるで違ったものを見ているような、そんなことが多々あるのだ。
人狼ゲームをやっていたときは、こういう異常な状況だからそうなのだろうとは思ったけれど、こうして一緒に日々を過ごすようになってからもそれは変わらない。 普通の奴とは決定的に何かを踏み違えているような、そんな雰囲気を纏っている。
「理由は、分かるんですか?」
「恐らくこれだ……ってのはな。 けど、それを聞くことはできねーんだ」
「どうして? そういう妙な感じがあって、その理由も分かっているのに、聞かない理由って」
俺の言葉に、神田さんはコーヒーを一口啜る。 壁にかけられた鳩時計からカチカチという機械音が店内に響き渡り、その一瞬の静寂の後、神田さんは口を再度開く。
「それが、あいつの過去に関わることだからだよ。 もしもそれであいつが傷付いてしまったら、俺は一緒に居られないと思うからな。 良いか、成瀬」
「大切な人、家族を守るってのが、同じ家族の役目だ。 そして、傷付けあっても一緒に歩いて行くのが、友人のやることだ」
「……責任逃れじゃないですか、それって」
「かもな。 でも俺は、あいつのことを守りたいんだ。 もうこれ以上、傷付いて欲しくはないから。 あーけどよ、お前らは例外だぞ? お前たちの場合は、想い合う傷付け方ができると思うからよ」
「想い合う傷付け方……。 一体、何が正しいんですかね」
そのあと神田さんが放った言葉を聞いて、俺は喫茶店を後にする。 それは言葉というよりかは、問題だったけれど。
「成瀬はよ、正しいことと間違ったこと、どっちが正しいと思う?」
想い合う傷付け方、か。
果たして、本当に俺はそんなことができる人間なのだろうか? どちらかと言えば、西園寺さんこそ、そういうことができそうだけど。
……結局、クレアの過去については何も聞けなかったな。 聞いておくべきだったとは思わないから、それはそれで良いのかもしれないけれど。 少なくとも、今はまだ。
「さっむいな……」
恋い焦がれた冬ではあったが、いざ迎えてみると寒くて仕方ない。 やはり、人間ってのはワガママだ。
そんなことを考えながら、街灯に照らされた暗い道を歩いているときだった。 瞬きをしたその一瞬、世界の色が変わったのだ。
比喩ではない。 本当に、まるで色が全て奪われたかのような、灰色。 世界の終わりのような、そんな色。
「なんだ……?」
辺りを見回すと、先ほどまで灯っていた家の灯りは全て消えていて。 まるで、この世界から俺以外の人間が全て消えてしまったようで。 よくよく見れば、崩壊している建物もある。 それは、終わったあとの世界のようだった。
そんな中、一つの物が目に入る。 それは。
「……マジかよ」
『手紙』だ。 あの忌々しい十一ヶ月の七月。 俺と西園寺さんが初めて巻き込まれた異常。 そのとき目にしたいくつもの手紙と、同じ物。
……こうなってしまっては、開くしかあるまい。 無視をしてもどうにもならないことは俺が一番良く知っている。
諦め、俺は『手紙』を拾って目を通す。 その内容は、こうだ。
『課題その参。 戦いをしましょう。 この世界には能力者が五人居ます。 彼らを全て倒してください』
「よっしゃ、見ーつけた」
文字を読み終わった丁度そのとき、前方から声が聞こえてきた。
こうして、三度目の異常は幕を開ける。




