五千八百四十日目
真っ暗な中、段々と視界が開けて行く。 ぼんやりとしていた頭は次第に覚醒していき、薄れていた意識もはっきりとして、俺は長い長い夢から覚める。
「……朝か」
見慣れない天井から、見慣れた天井へ。 そして、見慣れた部屋と匂い。 間違いようのない、俺の部屋だ。 こんなにも自分の部屋であることが嬉しいだなんて、貴重な体験だよ。 一応言っておくが、二度としたくはないけどな。
それになんだか、終わってしまえば全部が全部夢だったかのようだ。 こうして起きたことが当たり前のように、あんな異常なんて存在しなかったかのように。
そんな考えをしながら、俺は体を起こす。
「朝だー! 朝だっぞおい!」
と、静かな朝は呆気なく終わる。 俺の部屋がけたたましいほどに叩かれる所為で。
いいや違うか。 この音は叩いてる音じゃない。 蹴り飛ばしてる音だ。
その蹴飛ばしてる張本人は上の妹。 母親ならまずそんなことはしないだろうし、下の妹ならそこまで乱暴な発想にはならない。 よって、消去法で上の妹だ。 まぁ、消去法ではなくても長年そうされてきた俺なら一瞬で分かるけれど。
「起きろって起きろって! いつまで日曜日気分なんだよ!?」
そうして考えている間にも、上の妹……真昼はドアを蹴り飛ばす。 ぶち破らんとするほどに蹴り飛ばす。 蹴る、蹴る、蹴る、蹴る、蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る。
「うるっせーよ!! お前はドアになんか恨みでもあんのかよッ!?」
「おお、起きた起きた。 外で最強寺さん? だっけ? 待ってるよー」
言わせてもらえば最初から起きていた。 そして更に言わせてもらえば西園寺さんだ。 なんだよ最強寺さんって……強そうな名前だな。 んで、更に更に言わせてもらえばまだ朝の六時だ。 真昼は部活の朝練があるからまだ良いとして、あの人は一体何時に起きているんだ。
「……あー、はいはい」
真昼には後で説教をするとして。
とりあえずは、西園寺さんとの顔合わせをしよう。
「よ」
「おはよー。 えへへ、さっき振りだね」
さすがの西園寺さんでもやはり、その顔からは疲れが感じられる。 普通では考えられない状況を乗り越えた直後なのだから、無理もないか。
「成瀬くん、それじゃあ今度の土曜日と日曜日、どっちが良い?」
「ん?」
「遊ぶんだよ? 二人で」
……あ……れ? これって、あれか? もしや、まさか、デートのお誘いか!? そうだよな、あんなゲームを終えたあとなんだし、そういうイベントの一つや二つ、起きないとおかしいよな!
「パスタを一緒に食べに行くんでしょ? えへへ」
ああ、そんな約束もしましたね、そう言えば。
「お、おう。 勿論。 西園寺さんの都合が良い方で構わないよ」
異常が終わってから最初の会話がこれなんて、俺たちらしいと言えばらしくもあるのかな。 けどまぁ、もうちょっと違った会話もしたいものである。
「それじゃ、行こうか。 学校!」
……ま、後でも良いか。
そして時間は流れ、放課後。 結局、疲れが溜まっていた俺は授業中に爆睡することになったのだが、教師に窘められることは特になし。 普段の授業態度がこういうときに表れるんだなぁ。 やっぱり、日頃の行いは大事ってことだ。
「成瀬くん、大丈夫? すごく疲れているみたいだったけど」
「授業中にずっと寝てたからな。 もう大丈夫……と思う」
いつも通り、俺と西園寺さんは部室である数学準備室に居る。 長年使われていないから、正しくは「元」数学準備室だ。 ここのドアは立て付けがとても悪く、下に向けて力を入れながらではないと開かないという状態でもある。 一番最初に部室へ足を踏み入れたとき、西園寺さんが中に閉じ込められたのも懐かしいものだ。
「それよりそっちは? 大丈夫なのか?」
「えへへ、わたしは平気ですよ。 成瀬くんが、沢山頑張ってくれたから」
「……んなことないって」
妖狐を見つけることは容易かった。 けれど、人狼に勝利することは……決して、容易ではなかったんだ。 あの日、最後の日。 西園寺さんが俺に声をかけてくれていなかったら、負けていたかもしれない。 全てが終わった今でも、そんな風にも考えてしまう。 それに、クレアの力が大きかったか。 あいつもまた、あのゲームでは欠かすことができない存在だった。 どちらが欠けても、同じ道筋は辿れなかったはずなんだ。
「また会えるかな? クレアちゃん」
「さぁ。 でもま、俺は若干ライバル視されてるから……ひょっとしたらその内、会いにくるかもな」
とは言っても、お互いに名前以外知らない間柄。 クレアはアメリカ出身だと言っていたから、日本に居ない可能性だって充分にある。 同じ日本でも相当運がなければ会えないと思うのに、ましてやそれが国外ともなれば、二度と会うことがない確率の方がよっぽど高そうだ。
……だったらもう少し、別れを惜しんでも良かったかな?
「すいませーん」
そんなとき、部室のドアを叩く音。 同時に、俺と西園寺さんに語りかける声が聞こえてくる。 その叩き方は丁寧で、俺の妹である目覚まし時計……じゃなかった。 真昼とは対象的だ。 やっぱり、ドアって普通はこういう風に叩くものだよな。 常識的なことながら、感動してしまうよ。 てか、俺が西園寺さんを女子らしい女子だと思う理由の一つに、一番身近にいる女子が男勝りだというのもあるかもしれない。
「はーい」
手に持っていた本を机に置き、対応をするのは西園寺さんの仕事。 誰かが訪ねてくるのは珍しいことではない。 以前、俺が対応をしたら同学年の女子で、俺の顔を見て悲鳴をあげた悲しい過去があったからこそ、この流れ。 客人の対応は西園寺さんだと決まった瞬間である。
そんなに怖いのかね、俺の顔って。
「すいません、何でしょ……え?」
ドアを開け、いつも通りに西園寺さんは応対する。 しかし、その言葉は途中で疑問形へとなった。
何事かと思い、俺も読んでいた本から目を外し、その方向に顔を向ける。 すると、そこに居たのは。
「昨日振りですね、成瀬、西園寺。 仕返しをしに来ました」
「……クレア!?」
……どうやらこの先、部室は騒がしくなりそうで。
「へぇえええ、それじゃあ、クレアちゃんってこの近くに住んでたんだ?」
「ええ、そうです。 高校は違いましたけど、仕返しをするために編入することに決めました。 今日はそのご挨拶に」
にっこり笑って言うクレア。 俺目線から見ても、これでもかってほどに嬉しそう。
「どんだけ恨まれてるんだよ俺たち」
「ふふ、それはもう最大級にですよ」
帰り道。 いつもなら俺と西園寺さん二人っきりで静かなそれは、今日に限って騒がしい。 でも、何故だろう。 それは嫌なものではなくて、良いもののような……そんな感じがした。
「しっかし、本当に存在したんだな、お前」
「なんだかとても失礼ですねその発言……。 勿論存在しましたよ。 というより、私からしたらお二人こそ、本当に存在したのかって感じですが」
「それもそうか。 けど、どうやって俺たちのことを調べたんだ? 手がかりなんてなかっただろ?」
いくら直感が凄かったとしても、さすがにそんな芸当ができるとは思えない。 ましてや今日の朝から今に至るまでの間にそれを調べるなんてこと……想像も付かないな。
「聞いたんです。 狐男に」
へえ、なるほどね。
「個人情報じゃねぇか!?」
「今更何を言ってるんですか。 個人情報なんて漏れ漏れですよ。 今の時代」
いやいや、そうじゃなくて。 そうじゃなくてな……俺が言いたいのは、勝手に人のことを言い触らすなということでだな。
あー、でもそれをこいつに言っても、仕方ないか……。
「そういうわけですので、これからよろしくお願いしますです。成瀬、西園寺」
再度、クレアは笑って俺と西園寺さんに向けて言う。 これからよろしく、か。 まぁ……うるさそうな奴が一人居ても、別に良いか。
「うんっ! よろしくね、クレアちゃん!」
「はいはいよろしく」
そんなわけで、こんなわけで。
俺と西園寺さんだけが所属していた暦学部の部員は二人から三人へとなるのだった。 やっぱりそれは嫌な感じではなくて、俺は自分でも驚くほどにそれを受け入れていて。
もしかしたら、一緒に命を賭けたゲームを乗り越えたからなのかもしれない。 一緒に知恵を振り絞ったからなのかもしれない。 明日になれば、気持ちは変わっているのかもしれない。 けれど、今はそれで良い。 明日があるということは、未来があるということ。 未来があるということは、明日があるということ。 俺は、そんな明日を大切にしていきたい。 俺と、西園寺さんと、クレア。 この三人で進む明日は、きっとまだまだ知らないことだらけなのだから。 今はとにかく、そんな明日が楽しみで仕方ないのだ。
それから。
それから、俺は家へと帰った。 家へ入るとすぐに荷物を部屋へと置いて、俺はベッドの上へと横になる。 この一日は、人生で一番疲れた日になるだろうな。 なんて言ったって、一週間ほどの日数を一日で体験したのだから。
目を瞑れば、もしかしたら夢を見るかもしれない。 楽しい夢だったり、怖い夢だったり、悲しい夢だったり、そして。
ひょっとしたら、殺し合いの夢だったり。
「さすがにないよな?」
二日連続、あいつが何かを仕掛けてくることなんてさすがにないよな? なんてことを思いながら、俺は目を瞑る。 意識は沈むように、静かに消えて。
「兄貴ぃ! 大変だぁ!!」
「うわっ!? な、なんだ!?」
そんな睡眠を妨害する者が、約一名。 成瀬家で一番騒がしく、一番元気な上の妹。
見たところ、相当慌てている様子だ。 一応は家族だし、こう慌てられるとさすがに少しは心配にもなるが……。
「それがさぁ! あたし、主役になっちゃったんだよ!」
「意味が分からないし抱き着くなよ!! それに勝手に部屋に入るな! ノックしろ!」
「おおっと、忘れてた」
真昼は言うと、既に開かれたドアを蹴り飛ばす。 酷いなこいつ。 お前に対して同じことをしてやろうか。
「よっしノックオーケーね。 んでさ!」
「お前今度覚えとけよ」
朝のこともあるし、こいつには一度厳しく言っておかないと。 その内、俺の部屋のドアが蹴破られそうだ。 今日の内は勘弁しておいてやる。 別に真昼の方が喧嘩が強いからでは断じてない。 ほんとに。
「なに、文句あんの?」
「……いや、別にそんなのないよ。 それで、何が大変だって?」
睨むように言ってきた真昼に俺は大人の対応をする。 断じて、真昼の方が喧嘩が強いからではない。
「あーそうだった。 いやいやこれがさ、実は今度やる劇で主役に抜擢されちゃったんだ! これを兄貴に自慢しない手はないよねって思って、はるばる足を運んだってわけ!」
そんなはるばるって言うほどの距離じゃないだろ。 精々、真昼の部屋から俺の部屋まで二メートルが良いところだ。 こいつは僅か二メートルの距離にそんな大層な表現を使うのか。
「へえ。 そういえば、文化祭で劇をやるとか言ってたな」
「そうなんだよ! で、三匹の子豚をやるんだけど」
「待て、ストップだ真昼」
「なんでさー。 まぁ、良いけどさ」
……待てよおいおい。 確かあの話は、子豚たちを食おうとする狼に家を立てて対抗する話だったはずだ。 この流れからいって、もしやこいつの役は……。 読めたぞ! クレアではないが未来が読めたぞ! こんな見事なオチを付けられて堪るか。 もしやあの番傘男が言っていた「仕返し」ってこのことか!? 甘いな、へへ。
「真昼、主役だって言っていたっけ?」
「おうとも!」
主役、主役。 当然ながら、三匹の子豚では子豚たちが主役のはず。 ならば、大丈夫か? いや待て俺。 このオチを回避するためにも、ここは慎重にいかなければならない。 まずは、確認するべきことを確認しよう。
「それは、三匹の子豚たちで言うところの、子豚役ってことで良いよな?」
「だからそう言ってるじゃーん。 飲み込みわりいな兄貴は。 三匹の子豚たちで言うところの子豚役だよ、あたしがやるのは」
……ふむ。 問題なしか? 真昼が俺に嘘を吐いていない限り、問題はないか。 そして真昼の唯一の取り柄として、物事に正直なことというのがあるから……よし、大丈夫だ。 いつだったか、俺が落として割った花瓶の罪を真昼に擦り付けたときだって、こいつは馬鹿正直に騙されて怒られていたくらい素直だからな。 問題なし。
「そうか。 そりゃ凄いじゃんか」
「へへへ、でしょ? んでさ、折角やる劇だし従来通りじゃつまんないよねーってことで」
「え?」
「あたしたちのクラス、三匹の子豚じゃなくて三匹の狼をやろうって話になったんだ。 で、あたしが狼役ってわけ! どうどう!?」
「……」
見事に付けられてしまったオチと、真昼への理不尽な怒り。 この話の最後は、こんな幕引きで終わる。 もうしばらくの間は、動物関連の話は一切聞かないようにしよう。
そして、その後数日の間、俺が真昼のことを無視し続けたのは言うまでもないことである。
以上で第二章、終わりとなります。
ブックマークして頂いた方、評価を付けてくれた方、感想をくれた方、ありがとうございます。
また、少々時間を置きまして、第三章の投稿を始めます。
ほぼ書き終わってはいますので、推敲が終わり次第の投稿となります。
第三章はバトル物、能力バトル物となります。
今回の章よりも残酷な描写が増えるかと思いますので、ご注意ください。
それでは、ここまで読んで頂きありがとうございます。




