七月二日【1】
七月二日。
昨日は一度、お互いに落ち着く必要もあるだろうとの判断で、仲良くアイスを食べた後はそのまま帰宅。 学校を半日ほどサボってしまったが、状況が状況だけに、それは甘えさせてもらうことにしよう。
そして、いつもとは違った思いで迎えた七月二日の朝、どんなふうに転ぶのだろうと期待していた俺は、開始早々頭を痛めることになる。
「陽夢ー! あんた、あんたあんたッ!! 外にすっごい美人の子が来てるわよ!! ちょー美人の子!!」
リビングに入ると同時、そんな金切声が聞こえてくる。 テンション高いときはいつもこうだ。
「え!? うわマジじゃん!! 兄貴に彼女とかマジかよ!?」
そして次に、女にしては乱暴な口調なもの。
「かのじょ、かのじょ? おにーちゃん、かのじょってなぁに?」
最後に、若干言葉足らずな声が聞こえる。
「……うるっせえな!! 朝からなんだよお前ら!?」
最初に興奮気味で言ってきたのが、母親。 名前は成瀬薫。
次に窓の外をチラチラと見ながら言うのは、上の妹。 名前は成瀬真昼。 男っぽい口調だが、一応は女。 中学二年生で、ばりばりのスポーツ系女子で、サッカー部に所属している。 ちなみに初夏に開かれる大会では予選敗退なのだが、本人はそのことを知らない。
そして最後に俺の服を引っ張り言うのが、下の妹。 名前は成瀬寝々。 まだ五歳。 俺のことを何故か慕っている節がある。
「あー! 親に向かってその口の利き方は駄目なんだぁ! お父さんに言いつけちゃお、ふんふん」
「あのさ、自分の歳考えてくれ。 真面目に。 それに親父は今海外だろ」
頬を膨らませて文句を言うのが俺の母親だと思うと、すごく切ない気持ちになるな。 年齢は……想像に任せよう。 とりあえず「ふんふん」と言っているのが心底気持ち悪いくらいの年齢だ。
とまぁ、俺の家族たちだが、当然俺が置かれている状況については知らない。 話しても信じられないだろうし、ルート通りでいくならば死ぬ可能性もあるんだ。 それに加えて下手をしたら変な病院に突っ込まれる可能性もある。 そして……なんというか、あまり厄介事には巻き込みたくはないってのもある。 なので、話すというのは絶対になしの選択肢。 母親も父親も、過保護的な部分があるからってのが結局は一番の理由かな。
過保護も行き過ぎると虐待だと常日頃から俺は思っているのだが、それを言ったら下手したら泣かれてしまう。 そっちの方がよっぽど面倒で、厄介なことなのである。
「それじゃ行ってくるけど……」
母親、笑顔。 上の妹、笑顔。 下の妹、他二名に合わせて笑顔。
俺、不快。
「……行ってきます」
「行ってらっしゃーい!」
心底嬉しそうな母親の声を聞きながら、心底嫌な気分で俺は家を出るのだった。
「成瀬くんの家って、なんか楽しそう」
俺の横を歩きながら言うのは、西園寺夢花。 朝から頭が痛くなる思いをさせてくれた張本人。 背は俺より小さく、髪の毛は茶色に染めていて、丁度肩にかかるほどの長さだ。 性格は……知り合って間もないので、未だに分からないところも多いが、悪い人だとは思えない。 それとなんだか、これは気のせいだろうけど、懐かしい感じがどこかする。 多分、西園寺さんの話しやすい性格のおかげかな。
「そうかな。 母さんと上の妹はいっつも結託している感じだし、下の妹は妹で俺に何故か懐いているし。 そのおかげで俺は本当に大変なんだよ、本当に」
これはきっと、兄妹が居る人でなければ分からない辛さだ。 居ない人に限って、楽しそうだとか羨ましいだとか、無責任なことばかりを言うんだ。 そう言えば西園寺さんは確か、一人っ子だったっけ。
「えへへ」
「なんで笑う……?」
「あ、ごめんなさい。 話しているときの成瀬くん、幸せそうだったから」
はぁ!? どこがだ!? もしかして、俺の心底疲れきった顔は幸せそうな顔に見えているのか!? だとしたら、大変納得が出来ないことだぞ……今すぐ直し方を教えてくれ。 頼むから。
「……よし! 成瀬くんの家族のお話を聞いちゃったから、わたしも家族のお話をするね」
手をパンと叩いて、西園寺さんは言う。 その手を叩くのはもしかして、癖なのだろうか。 その音で思考を切り替えることが出来るから、便利といえば便利ではある。
「西園寺さんの?」
えっと、西園寺さんの家庭事情は……俺が集めた情報で、それはあったな。 俗に言う噂程度のものだったけど、確か……両親は教育熱心で、家に居る間は殆ど自由な時間がなくて、学校が終わればすぐに帰ってくるように言われている、とかなんとか。 十一回も七月を繰り返していれば、最早プライバシーも調べ放題だ。 だからと言って、それを悪用したりはしようと思わない。 あくまでも、何かのヒントになればとの思いから。
「うん。 まずね、お母さん」
そして、西園寺さんは両手で学生鞄を持ち、それを膝の前にやりながら話す。 歩く速度は気持ち、遅くなった気もした。 そんな行動とは裏腹に、話す口振りは若干早い。
「お母さんはね、友達みたいな感覚なんだ。 家に居るときは、一緒にテレビを見たりお話をしたり。 休みの日は、二人でお買い物にも良く行くんだよ」
「へぇ……」
何だろう。 聞いていた話とは大分違うな。 もっとこう、缶詰状態にでもなっているのかと思ったが……。 所詮、噂は噂、真実はいつだって思いも寄らぬということか?
「あはは。 成瀬くん、もしかしてわたしのお母さん、怖い人だと思ってたでしょ?」
「いや……それは、なんというか」
図星である。 まさかそこをツッコまれるとは思っていなかったので、返す言葉に迷ってしまった。
「ごめんなさい。 その噂、流したのはわたしなんだ」
「へ?」
西園寺さんが……流した? あの、俺が聞いていたような家庭の噂をってことか?
「わたしね、一人が好きなの。 一人で外に居て、風の音を聞いて目を瞑って。 そうやってゆっくりしているのが好きなんだ」
だから、わざとそんな噂を流した。
「……あー、そうだったんだ。 ごめん」
「あ! 違うの! 別に成瀬くんがそれの邪魔だったとか、そういうわけじゃなくて!」
必死に手をぶんぶんと振りながら、西園寺さんは否定する。 その必死な姿が面白く、笑いそうになるがなんとか堪えつつ話に耳を傾ける。
「……ただ、違うんだ。 遊ぶって言ったらさ、みんなで騒いでって感じでしょ? そうするのより、もっとわたしはゆっくりしていたいんだ」
ほんわかした性格……だな、これは。 ひと言で表すのは難しいが、西園寺さんのイメージとなんとなく繋がった。
「勿論、そうやって騒ぐのが悪いことだとは思わないよ。 でも、わたしが思いっきり楽しめないのに、誘ってくれた人たちに申し訳なくて……それで、わたしは一人で居ることにしたの」
「それは、ループに関係なくってことだよな。 俺が知ってる西園寺さんって、入学式の日にクラスで顔合わせをして、その日からあまり人と話しているのは見なかったから」
関わろうとせず、関わらせようとしていなかった。 そんな見えない壁を作り、西園寺さんはいつも一人だったのだ。 けど、別にそれが原因で悪口やら陰口を言われることもなかった。 それはきっと、西園寺さんの性格のおかげだろう。 浮いているけど、馴染んでいる。 輪から外れているけど、異端ではない。 それが西園寺夢花という少女。
一度話せば、多分殆どの人が友達になりたいと思うこの性格。 しかし、それと同時にどこか、見えない強固な壁を感じるのだ。 一線引いてあるような、そんな感じ。 無論、俺も一番最初にそれを感じたが……今は、あまり感じないな。
「けどね! けどね、成瀬くん。 こんなことになっちゃって、思ったの。 もっとみんなと仲良くしておけば良かったって」
「……ん? でもさ、西園寺さんはそれでも人と関わろうとしていなかったじゃん。 俺はてっきり、西園寺さんも他の人たちと同じように、同じ行動を繰り返しているだけだと思ってたけど……それも、違ったみたいだしさ」
まぁ、今思えば不自然なこともあった。 一回目と二回目と三回目。 それらの七月一日の朝、俺と一緒に登校する武臣が、西園寺さんと会えるパターンだ。 そして、それが四回目になった瞬間、今に至るまで一度もそのパターンになることはなかった。 それは明らかな異変だったんだけど、特別俺が何か行動を起こしたわけではなかったから、不思議な変化だったんだよな。
それも今となっては単純なことだ。 ループに気付いた西園寺さんは、そのイベントを避けたのだ。 武臣にとっては物凄く悲しいお知らせになってしまうが、事実はそんなところだと思われる。
だが、腑に落ちない点がこれにはあるか。 とは言っても、それにも大体の見当は付いているけど。
「それは……進めないからだよ」
「進めないから?」
疑問に思って尋ね返すと、西園寺さんはこう答えた。
「わたしがいくらみんなと仲良くなっても、みんなとの関係を築き上げても、それは七月三十一日で全てが終わってしまう。 わたしだけが覚えていて、わたし以外のみんなは知らない。 それがとても、とてもわたしは辛かったんだ」
西園寺さんは続ける。 その一瞬だけ、とても辛そうな顔をしていた気がした。
「それに。 それに……わたしもきっと、進めない。 このままじゃ駄目だって思っているのに、甘えてるんだ」
それは果たして、ループのことだろうか? それとも、別の何かのことか?
「だからね、成瀬くん。 成瀬くんに会えたことが、わたしはとても嬉しいんです」
にっこりと、微笑みながら……首を絶妙な角度で傾け、西園寺さんはそう言う。 この仕草と笑顔を狙ってやっているわけではないのが、恐ろしい。 ごくごく一般の普通の高校生ならば、一発で落ちる仕草だ。 天然恐るべし……。
「それは……どうも」
そしてそんな西園寺さんに、素っ気ない返事しか返すことが出来ない馬鹿な俺。 顔も見れずに、俺は西園寺さんとは反対の方向を向きながらそう返すのが精一杯。
「あ、そうだ。 成瀬くん、一つ聞いても良いかな?」
「ん?」
俺が何かと思い西園寺さんの方を向くと、西園寺さんは手をパンと叩き、言う。 幸いにも、さっき見せていた天使のような笑顔は消えている。
「成瀬くんは、男の人ですか?」
……待て。 これはなんのナゾナゾだ? それとも、高度な問題か? 俺にそんなのを仕掛けてくるとは、良い度胸じゃないか西園寺さん。 いやでも待てよ、もしかしたらこれって俺が女に見えているってことか……? いやいや、ないだろさすがに。 ということは、考えられることはとても分かりづらい冗談だ。 それしかない。
「ああ、実は女なんだ」
「あー! だからだったんだぁ」
だから俺は冗談で返したのだが、なぜか西園寺さんはそれに納得する。 なんか変な方向に話が行っているんじゃないか、これ。 早いうちに訂正しておこう。
「いや冗談だよ。 俺は男だ、男」
「えっ!? ううーん……本当に?」
「本当だって。 なんなら生徒手帳でも見るか?」
そこまで疑われると、なんだかとても悲しく切ない。 顔も別に女顔ってわけじゃないし、声だって高いわけではない。 だとすると、どこをどう見て女だと思ったんだろうか。
「……ううん、大丈夫。 変なこと聞いてごめんね、えへへ」
……何かをきっと、隠しているな。 でも、それは聞いても良いことなのかが分からない。 俺がそのことについて足を踏み入れていいのかが、分からない。 もしもそこに、触れられたくない西園寺さんの気持ちというのがあったとしたら。
だから嫌なんだ、人の気持ちは。 こればかりはいくら時間をかけて一人で考えたとしても、分からない。 人の気持ちは触れ合うことでしか分からないんだ。
そんなことを思いながら、俺は西園寺さんの横顔を少しの間、眺めていた。